バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

2.イスズ・ランコ ダイナーにて

 アタシの父さんはカッコ悪いと思う。友だちのお父さんはみんなカッコええのに、なんでアタシの父さんはあんなんなんやろう。
 アルトのお父さんは明るくて若くて、面白い話をたくさんしてくれる。キャリィのお父さんはあんまり喋らんけどシブーい髭をたくわえてて、いかにも技術者って感じで素敵。ところがうちの父さんときたら、しわくちゃやわ禿げてるわ、おまけに最近どこかで前歯まで失くしてきた。仕事にもたまにしか行ってないらしい。うちの家計を回しているのはアタシで、何度家を追い出して一人で暮らそうと思ったことか数え切れないぐらい。
 でも、あんなんでも一応アタシには優しいし、たった一人の肉親やしで見捨てられずにいる。最近になって、ほんのたまにやけどお金を持って帰ってきてくれるようになったし、父さんが死ぬまでは面倒くらい見てあげてもええかなって思い始めている。
 別に嫌いなわけじゃない。でも、好きでもない。ケンカしてるわけじゃない。かといって、仲が良いわけでもない。邪魔じゃない。けど、傍には居てほしくない。そんな感じ。
 店の厨房でそんなふうに小説の主人公ばりの独白をキメていると、見知った少年が店に入ってくるなり声をかけてきた。
 「 よう、ランコ。売り上げに貢献しに来てやったぞ」仕事の後で疲れているだろうに、いつでも快活な男だ。
 彼は店で働いているウエイトレスの恋人で、仕事終わりに度々こうしてやって来る。名前はトミー、姓は知らない。
 「なに言うてんの、ジーナに会いに来ただけやろ」思わず口の端が上がってしまう。トミーやジーナとは同年代。この国にガッコウはないから、同じ年頃の友だちがいるのは少し珍しいことで、貴重な関係だと思う。
 珍しいといえば、トミーは一人で来たわけではないようだった。彼と同じ職場の者でうちによく来る客は少なくない。でも、トミーはそういう人たちと一緒に来ることはこれまでなかった。彼の性格上、職場でうまくいってないなんてことはないだろう。ジーナからそういう話を聞いたこともない。おそらく、恋人に会いに来ているという都合上、他の人と同席するのは気まずいのだろうと思う。
 トミーの連れていた人は背の高い(おそらく高いと思う。トミーの背が小さいせいで大きく見えるのではないはずだ)男だった。眉の上で短く切りそろえた黒髪と肉体労働者らしい体格が彼の年齢を不明瞭にしている。うちに来る客の多くは積み下ろし業や採掘業の人間で、そういった人たちにありがちな浮ついた雰囲気はなく、落ち着いた人間であるように感じる。この仕事ではあまり見ないタイプで新鮮だ。ちょっと格好いいかも、なんて思って見ていると目が合ってしまった。慌てて目をそらす。
 トミーと何某さんは厨房前のカウンター席についた。
 「とりあえずビールふたつな」トミーがいつものように言う。
 「いや、私はアルコールはやめておくよ。冷たいグリーンティーを頼む、砂糖は抜きで」何某さんが言う。ますます珍しい存在だ。アルコールが駄目な人はよく見かけるけど、その代わりにグリーンティー、しかも砂糖抜き!
 「なんだよ、見た目によらないな、飲めそうなのに」彼がぼやく。
 「あんまり無理言うたらあかんよ。酔うて、落ちて、怪我でもしたら大変やんか」アタシは、ついそう口を出してしまった。「それに、トミーもあんまり飲みすぎんようにね。あんたが落ちたらジーナが泣くよ」
 「俺はいつもそんなに飲まないだろ。でも今日はまぁ気の合う奴に会えたからってことでさ」彼は言った。
 「そういえば、お連れさんは見ない顔やね。というか、誰かを連れてくるなんて珍しいやんか」トミーは決して人見知りするような男ではない。仕事の上では仲間たちとうまくやっているそうだけど、プライベートまで共にすることはない。「お名前は?」
 「ああ、はじめまして、私はモチヅキ・ヨシキという。今日の昼に入国したばかりでね。いろいろあって彼に国を案内してもらったんだ」ヨシキと名乗った彼は言った。さっきは気づかなかったが、低いが良く通る声をしている。そんなに大きな声を出していないはずなのに、お腹の底に響いているようだ。耳から入った言葉が体中を反射して回って、そうしてからじっくりと頭に染みこんでくるような、そんな声だった。
 「はじめまして、アタシはこの食堂のオーナー兼コック兼ウエイトレス兼看板娘のイスズ・ランコ。店は五時から十一時までね。お休みの日はほかの仕事と同じ」長く話したいがあまりか、余計なことまで言ってしまった。
 「ランコか、よろしく。それと、彼が言ったようにアルコールが駄目なわけじゃないんだ。でも、あまり強くはない。つまり、さっき君が言ってくれたように落ちて怪我でもしたら大変だから」ヨシキさんは言う。彼の印象に”真面目”が追加された。
 「なんだよ珍しいって、お前のほうこそ珍しいじゃないか、見ないタイプだからって一目惚れか?」トミーが余計なことを言う。
 「馬鹿なこと言わんでよ。お客さんやから声かけてるの」気恥ずかしさからか、ついそう言ってしまった。強欲な商売人だと思われなかっただろうか。トミーのやつ、普段そんな話は滅多にしないのにここぞとばかりにからかってくる。もちろん、さっきトミーが言ったような”一目惚れ”なんてことは決して無い。ただ、強欲ではないにしろ商売人である以上、不必要に嫌われたくはないというだけだ。
 「はは、もちろん贔屓にさせてもらうよ。この街に慣れてきたらアルコールも飲むようにする、グリーンティーじゃ儲けにならないだろ?」ヨシキさんは軽く頬を上げて笑いながらそう言った。うん、大人の対応だ。トミーも見習え。
 いったん厨房に引っ込んで作業をする。二人はなにやら真剣な顔で話をしているようだ。トミーはああ見えて軽薄な男ではない。情に篤い熱血漢だ。店でもたまに自分の夢について語っているし、ジーナもそんな彼のことが好きなのだと言っていた。
 冷凍庫からビールジョッキを取り出して、ついでに冷蔵庫からグリーンティーを出す。さっきはトミーにあんなことを言ったものの、私もビールは好んで飲む。エールと違って、ビールはやはりキンキンに冷えているのが美味しい。うちではジョッキを水につけてから冷凍庫に入れている。いつだったか聞いた話では、氷でジョッキを作っている国もあるということだった。さすがにそんな手間はかけられない。ジョッキはガラス製で、もちろん四足の龍が側面に描かれたやつだ。ビールといえばこのマークだ。そういえばサーバにも描かれている。どういう意味があるのだろう。以前、商人のおっちゃんに聞いたが彼も知らないとのことだった。などと考え事をしながら作業をしていたせいか、思わずグリーンティーに砂糖を入れてしまう。これは出せないな。あとで自分で飲むことにしよう。

しおり