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07

「レゾン」

「ハロー、ヴィオレ」

 間髪入れず、スピーカーから合成音声が返す。

 コンピューターに搭載された人工知能・レゾンは、ペスト発生以前から起動し続ける最古の「人格」だ。膨大な学習期間で培われた合成音声の表現力は、もはや人間と遜色ない。

「いつも同じ挨拶だよね」

「私の原点だ。ハロー、ワールド。これをモニターに表示してみせたときの開発者たちの反応は、今でもメモリー深部に残っている」

 レゾンはそこで一度区切り、

「ところで、ヴィオレ。私と話をするだけなら、なにもここまで下りてくる必要はなかったんじゃないか?」

 あっさり本題を切り出そうとした。

 浅間全域にネットワークを構築しているレゾンは、接続可能な入出力装置さえあればその場でコミュニケーションがとれる。研究者が持つ個人用のコンピューターでも、地上へ出るハイジアに支給される無線機器でも、電話線に繋がれている固定電話でも、レゾンと話すことは可能ではある。

「私はレゾンに会いにきたんだよ」

「そこに差異は──ある、か」

 ザザ、とレゾンはわざとらしくノイズを混ぜる。

「ハロー、ワールドが私の原点であるのと同様に、ここはヴィオレの原点だったな」

 人工知能らしからぬ言い回しに、ヴィオレは口元だけで笑いながらフードを下ろした。レゾンを支える柱に背中を預け、そのまま冷たい床へ座りこむ。

「まぁ……安心できるところでは、あるのかな?」

「光栄だ。気温も湿度も私に合わせているようなところだが、存分に安心していくといい」

 言い終えたあと、スピーカーの電源が切れる音がして、最下層は静寂に包まれた。

 ヴィオレは膝を抱え、自らの腕に頭を乗せる。話をはぐらかしていることなど、レゾンはとっくに見抜いているだろう。けれど、ヴィオレ自身もなにをはぐらかそうとしているのか、よく分かっていないのが現実だった。

 なにかが足りていないような気がする。なにかが必要な気がする。なにかが欲しいような気がする。けれど、それは形のあるようなものではなくて、意識の中で掴もうとするたびに実態を眩ませた。

 それを伝えれば、レゾンは正しい答えを返してくれるかもしれないし、逆に困惑してしまうかもしれない。どちらにしろ聞いてみるべきなのだろうが、そうやって他者の力で答えを見つけるのも、なんだか違う気がした。

 御堂の言う通り、レゾンはヴィオレにとって親のようなもので、レゾンの言う通り、最下層はヴィオレにとって原点のようなものだ。けれど、その関係に甘えるにも限度や程度がある。

 ヴィオレは孤児だ。浅間の地上のさらに上、塔の上部にある見張り台で放置されているのを窓越しにハイジアに発見されて、最下層まで連れてこられた。

 科学者たちが猛烈に反対していた──と、かつてレゾンはヴィオレに漏らしたことがある。ペストや放射能の危険を顧みず見張り台で「仕事」をしているのは、浅間でも上層部に暮らす貧困層だからだ。見張り台での汚染だけでなく、地中に染みこむ雨水からの汚染も浅間の上層では問題になっている。浅間が下層に重要機関を集中させているのはそのためだった。

 そんな上層で、しかも見張り台で発見された子供が「健康体」であるはずはない。科学者たちの主張は、おおむねそのような内容だったという。

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