正義
永遠に続くように見える森の果てにとうとうやってきた。
豊かな森を抜けた先にあるとは信じられないほど荒涼とした平地が広がっている。土が盛り上がっている場所とへこんだ場所があり、さらに曲がりくねっている。かつての
この地に立つエレノアは、馬の姿でも人間の姿でも変わらず威厳ある。実際に武器を手にしていたら、アーサー王よりも前の時代にローマと戦ったブーディカ女王の再臨を彷彿とさせるだろう。
だが今は、そんな想像をしている余裕はなかった。
「あの2人、遅いったらありゃしない」
「エミリー、今しばらく待ってくれ。必ずここへ来る」
「その前に、奴らが来るだろうがな」
エレノアの言うことは間違っていない。
でも、僕はもう覚悟を決めた。警察相手に戦うジャック、渋々ながら僕の命令を聞いてくれたジョージ。2人に倣って、僕も戦わなければ。
「……この地に足を運ぶのは久しぶりだ」
「レディ・サリヴァン?」
彼女はそれ以上何も言わなかった。彼女の口ぶりとこの風景から察するに、もしかしてここがアーサー王最後の戦いが起きた場所カムランなのだろうか。
馬が走ってくる音がする。その数からして、アッシャーとリチャード、数人の警官だろう。
「いたぞ!」
「来たよ、エレノア」
エレノアは一切動じない。
ただ彼らを、そのエメラルドのような瞳で力強く見つめているだけ。
アッシャーとリチャードが、馬に乗ってこちらへやってくる。
「執念深いことだ。……ランタンを開けて」
エレノアは指輪が入ったランタンに火を灯した。
「何をするつもりか」と問うとする間もなく、エレノアは「それを馬車に置いて。2人はここから出ないで」と忠告したうえで、追っ手へ向けて竜巻を起こした。
彼らの身体は宙を舞い、悲鳴とともに強風に煽られる。人だけでなく、馬も同様だ。
「うっ……! すごい風だ!」
「吹き飛ばされそう!」
魔法解除の指輪を入れたランタンが置かれた馬車だけは安全だが、見ていられない光景だ。
このままでは詐欺どころじゃ済まない。公務執行妨害でほぼ確実に捕まる。
「ちょっ……、アルバート!」
僕は考えるより先に身体が動いていた。ランタンを持って、馬車を降りた。
「……!? 何をしている!」
僕はランタンを手に竜巻に近づく。竜巻の勢いが弱まっていく。
「危ない!」
いつの間に傍に来ていたエレノアが僕を抱えて竜巻から離れた瞬間、僕がいた場所に馬と人が落ちてきた。地面と激突する寸前でエレノアが彼らを魔法で浮かせたので、大事には至っていないようだ。
「なぜこんなに危ないことを……」
僕に問いかける彼女は、「心底理解できない」と言わんばかりに不満げな表情をしていた。
「あのままでは、彼らを殺しかねなかった」
「悪いが私は文字通りの人でなしだ。直接手を下したことなんて数えられ――」
「それでも! 今ここでやってしまえば取り返しがつかない。エミリーを、僕たちを、アヴァロンへ連れていくという約束が果たせなくなる」
僕も彼女も、それ以上何も言わない。
その沈黙を破ったのは、馬のいななきと蹄の音だった。森の方を見ると、大鴉に率いられて馬が2頭姿を見せた。騎乗者はジャックとジョージである。
「アル!」
顔を見るのは昨日の夜中以来なのに、久しぶりに会った感覚だ。だが警官たちも態勢を立て直して、2人を迎え撃つ。2人は馬で僕たちのもとへ来た。
「遅いわよ! 2人とも」
「悪いな。……だが困ったな、これでは出発も厳しい」
僕たちは舟から4ヤードくらい離れていたが、5人全員が乗り込む時間と追っ手がこちらまで来る時間を考えると、後者が早いのは明白だ。
「足止め担当は俺だろ?」
ジャックが僕たちの前に出て、槍を構える。
「君は全く――」
「エミリー、お前の水の力で俺をサポートしてくれないか? 俺に水がかかってもいい、むしろかけてくれ」
「別にいいけどさ……」
ジャックは「ありがとう」と言って、警察官たちの方向へ走っていく。
「ジャック様だけではどうも不安です。私も行ってよろしいでしょうか?」
「ジョージまで……。まあ、1人で戦わせるよりはマシかな」
「感謝致します」
彼もジャックに加勢しに行く。
「もーー! 仕方ないわね」
エミリーは海岸まで走っていった。ペンダントから取り出した宝石の力で彼女が操る水が、ジャックたちにかかる。すると、なぜかジャックの攻撃力が上がった? 彼が槍でなぎ倒す人数が増えたからか、ジョージはジャックから離れた場所で格闘術を駆使している。
「あいつ……、さては湖の水を
「え?」
どういうことか問おうとしたが、アッシャーとリチャードの声に遮られた。
「今の水はどこから出た!」
「……! あの赤毛の女か!」
「ていうかさ、ジャックってアタシが力を使ったらこう言われるの分かってたよね!?」
今更隠せるわけがないとは思っていたが、とうとうエミリーの力もリチャードたちに認知された。リチャードはこれでますます自分の主張に自信を持つだろう。実際彼は、遠くからでも分かるような微笑を浮かべていた。
エミリーによる超常的な水の攻撃に対してさらに勢いづいた警官たち、水のおかげで力を強めたジャック、一瞬で警官たちをねじ伏せていくジョージ、彼らを傍観しながら馬を進めるアッシャーたち。
風景も相まって、ここは戦場と化したように見える。
僕はやっぱり見ていることしかできず、エレノアはそんな僕を隣でうかがっている。気づけばアッシャーとリチャードが僕たちの前に来た。
「1日ぶりだな、我が弟よ」
リチャードの挨拶に返事をせず黙っていると、海から青い光と水柱が出てきた。
「騒がしいぞ、人の子らよ」
「ヴィヴィアン……、今はやめとけ」
呆れるエレノアをよそに、警官たちが一斉に構える。
「なんだあれは!?」
「海から女が……?」
ヴィヴィアンは彼らを一瞥し、海の水を波立たせ、警官たちにかけた。彼らはずぶ濡れになった。
「これはこれは! なんの真似事ですかな?」
アッシャーは瞳をがめつく輝かせ、ヴィヴィアンに問いかけた。
「この〈湖の乙女〉に随分と無礼な口を利くのですね」
「〈湖の乙女〉……?」
リチャードは一瞬驚きを見せたが、すぐに平常の表情に戻って鼻で笑った。
「魔女が3人、まさに『マクベス』だな。余計なことに構っているとその身を滅ぼすぞ、弟よ」
もう、耐えられない。僕はランタンの炎を吹き消し、エレノアとリチャードの間に入る。
「……もうやめてください。あなたを兄として扱うのが恥ずかしくなってきました。リチャード・マクレイ卿」
突然「お兄様」でも、昔呼んでいた「兄さん」でもなく、姓名に敬称を付けて呼んだことに、リチャードは戸惑いの表情を浮かべた。
「!? アルバート……?」
「あなたが『魔女』という発言を撤回する気がないのならば、こちらも言わせていただきます。永い年月を生きる彼女たちのほうがよっぽど真理を突いている」
今度はアッシャーが、僕を嘲るように見つめる。
「今更何を言って――」
「『
僕が発した一節に、アッシャーは未だに表情を変えなかったが、リチャードは目を見開いた。これは『マクベス』の序盤に登場する、魔女たちのセリフである。
「僕から見れば、エミリーの強かさも、レディ・サリヴァンの意志の強さも、ヴィヴィアン様の使命感も美しい。でもあなたにとっては悪しき存在なのでしょう? ですが、そんな存在を排除するというあなた方の『美しい』正義は、僕にとっては醜悪この上ない。皆にとっての正義など存在しません」
リチャードは相変わらず黙り続けているが、アッシャーはため息をついた。そして彼は皮肉めいた口調で僕に語る。
「
「裁判すらしていないレディ・サリヴァンを撃ったのは他でもないあなただ! 人身保護法では不当な投獄すら禁じているのに、発砲で命の危機を与えることが許されるわけがない」
アッシャーもリチャードと一緒に黙り込む。
「とにかく、あなた方がご自分の正義を貫くというのなら、僕もそれに倣います。僕の正義は、『不当に扱われている人が使う武器となり、共に戦う』こと! この3人に手出しはさせない」
「アルバート……」
僕がこの3人を守るなんて
アッシャーは僕の演説に一切表情を変えない。それで構わない。僕の遅すぎる宣戦布告は、リチャードに対してしたものだ。
「僕はちゃんと覚えていますよ、ロード・マクレイ。あなただって、お母様がご存命だった時までは夢を見ていらした。今更、僕に夢を見続けることを諦めろと?」
リチャードの表情が、やっと変わった。
おとぎ話や伝説を聞かせてもらった時の輝きが、少しだけ戻っている。〈
「……あの時お母様が仰ったこと、忘れたなんて言わせません。
「母上の、お言葉…………」
リチャードは俯いた。
アッシャーは「マクレイ卿、弟君は時間稼ぎを――」なんて言ってリチャードに呼びかけていたが、彼はアッシャーに応えなかった。
すぐに僕たちを捕まえることができる距離にいるのにそうしないという異様な状況とは知らずに、ジャックとジョージが慌てて走ってきた。
「おい、そろそろ行こうぜ」
「……うん!」
エミリーの水の力でバリアを張りながら、僕たちは小舟に乗り込んだ。
「エミリー、水で舟をまっすぐ進めるんだ。できる?」
「こういうこと?」
水で舟を押すようにして進み始めた。エレノアは「完璧だ」と言う代わりに微笑む。
「おい! 待ちやがれ!」
陸を見ると、アッシャーがいつもとは違う口調で叫んでいた。彼、あんな言葉遣いをするんだ……。
「お、奴がまたキレてるぞ」
ジャックがアッシャーを面白がっているのも、僅かな時間だけだった。なぜなら、アッシャーは海に飛び込んだからだ。
「アッシャー先生!」
アッシャーは海から顔を出して、こちらへ向かってくる。まずい。エミリーが追い風のように水を動かしているので、彼もすぐ舟にたどり着いてしまう。
「アッシャー先生! もうやめるんだ!」
リチャードの声に、さすがのアッシャーも振り返らざるを得ない。
「依頼を取り消す! 戻ってきてください!」
「取り消し……? それって!」
エミリーの表情が明るくなる。
リチャード……! 僕の想いが、彼に伝わったのか!
「マクレイ卿! ガキどもの言うことにあっさり流されるとは……、伯爵の後継者はそんなものか!」
「その舟に乗っているのは僕の弟だ! 舟に手を出すことは許さないぞ!」
リチャードの制止を無視して、舟の方へ泳いでくる。
「あいつ正気かよ」
「私の体術であっという間に倒れた方なのに、よく泳ごうなんて思いましたね」
「レディ・サリヴァン、どうするんです?」
エレノアは黙っていた。特にイラついているわけでも深刻そうでもない、穏やかな表情をしている。
「いつまで遊んでいる?」
そう呟くのが聞こえただけ。
そしてその呟きに応じるように、アッシャーが舟から離れていく。
「なっ……なんだ!」
彼の周りに渦が巻き始めた。
この舟も巻き添えになると思いきや、舟は何も影響を受けずに進んでいく。
陸ではアッシャーを助けようとしているのか、警官たちが急いで何か(舟かロープだろう)を準備しているようだ。
「アッシャーは……」
「水を血で
その声は、ヴィヴィアンか。なるほど、湖の水は川に流れ、その川の水は海へ繋がっている。〈湖の乙女〉が干渉できるというわけか。
アッシャーは呻き声を上げながら溺れていく。だがこの舟に乗せるわけにはいかない。この舟に乗ることが許されるのは、僕たち5人だけだ。
ジャックたちと顔を見合わせる。5人しか乗ってはいけないという条件がなかったとしても、ジャックやエミリーは放っておこうとするだろう。
「……ヴィヴィアン、アンタ意外と執念深いんだね」
「モーガンには敵わない」
「ヴィヴィアン」
エレノアが「言うな」と言わんばかりに彼女に圧をかける。ヴィヴィアンは「これは失礼」と笑顔で応じる。
「……まあ、妖精は恩と恨みを忘れないんだ。人間より上だという誇りもあるしな」
「だからわたくしたちは畏敬されていた。いつしか、
恩と恨み。それに対する報いが、祝福と呪いというわけか。
「おや、そろそろあの男が……」
そう言えば、アッシャーの呻き声が聞こえなくなっている。彼がいた方に目を向けると、渦すら無くなって
ヴィヴィアンは「ふふ」と笑った。なんと冷たく、穏やかな笑顔だろう。
陸を見ると、警官たちが舟を持ってきていた。だがアッシャーが見当たらないので慌てている様子。リチャードも顔を強ばらせて辺りを見渡している。
「残念な男だな、アッシャーは」
「珍しく気が合いますね、ジャック様。あの方は、ご自分が沈んでいく様を誰にも見届けられなかった。最期の足掻きが誰にも届かず、たった1人、魚にその身を差し出すことになるとは」
あんな鼻持ちならない人物でも、寂しい最期を迎えたと言われれば哀れにも思えてくる。


