陽射しの中へ
しばらく進んでいると、右側に陸が見えてきた。もちろんそこに近づいているのではなく、横目にして通りすがるだけなのだが。むしろ舟はどんどん左側に進んでいく。
「あれは、アイルランドですか」
「そうだ。ちなみにあそこから出発しても、同じ時間でアヴァロンに到着する」
そんな気楽に行ける場所であるように言われても……。
アイルランドを過ぎたくらいのタイミングで、僕たちが出発したブリテン島の方から大鴉たちが飛んできた。
彼らは僕たちの進行方向へ飛び去っていく。アヴァロンで僕たちを待っているのだろうか。
さらに気づけば、周りにはすっかり霧がかかっていた。まだ舟に乗っている人についてはお互い目視できるからいいが、どの方向へ進んでいるのかも分からなくなりそうなくらいの濃霧である。
「それにしてもジャック! アンタいつの間にあんな強くなったの?」
「ああ……。あれは、俺が湖の水を飲んだからだってヴィヴィアンから聞いたよ」
「飲んだからって、アタシたちも飲んだよ?」
ジャックが事細かく説明している。『手で掬って飲む』のと『水を汲んで煮沸して飲む』のは何が違うのか、は疑問に思うが、ジャックに訊いても「分からない」って返されるだろうな。
「あ、そうだ! 俺はアーサー王の声を聞いたんだよ。なんか優しくて落ち着きがあるけど威厳があって、それから……、なんかふわふわするような――」
「声が、聞こえたのか……?」
エレノアがようやく僕たちを見た。今まで僕たちが見た中で1番驚いた表情をしている。
「え、レディ・エレノアが聞こえるようにしてくれたんじゃないのか?」
「そんな暇はなかっただろう。…………だが、そうか。やはり、ランスロットなのだな」
そう呟くエレノアは、子を慈しむ母親のように見えた。
「そうだ、これ返すよ。大事なものなんだろ? かなり年季が入ってる」
そう言って、ジャックが今まで使っていた槍をエレノアに差し出した。
「……ああ、そうだな。お前が持っていても使う機会はないだろう」
「逆に俺が持ってていいって思ってたのか?」
「私が持っていても、……いろいろ思い出して哀愁に浸るだけだ」
「だったら尚更、あなたが持っておくべきだ」
2人の会話が意味するところは、僕にもなんとなく想像がつく。ランスロット卿の話だろう。
「僕の想像が正しいなら、ジャックに同意します」
「お、アルにも分かるか?」
「レディ・サリヴァンが愛した、数少ない人物のもの、なんですよね?」
ジャックが
「愛…………。そう、なのだろうか」
「確かに愛だな。……んーでも、数少ないっていうか『たった1人』なんじゃないのか?」
ジャックの発言に、思わず僕は吹き出してしまった。
彼も彼で、意外と鈍感なのかな。
「大切な人との思い出の槍を、何とも思っていない人に預けるほうがおかしいよ」
ジャックもエレノアと同じ表情になった。それを見て、今度はジョージが笑い出す。
「ふっ、はは! おやおや、ジャック様。おめでとうございます。あなたが妖精の女王に愛されるとは」
「……お前、言い方はどうにかならないのか?」
ジョージに言い返してはいるが、ジャックは少し照れている。いつも堂々としている彼のこんな姿、初めて見た!
「じゃあ、アタシとお揃いだね。アタシは〈湖の乙女〉、アンタは……モーガン? ってことで」
「エミリーまで……! ちょっとやめてくれよ。ほら、レディ・エレノアからもなんか言ってくれ」
「そうだな。私の祝福では、お前はランスロットよりガウェインに近くなる」
エレノアに「そこじゃねえよ!」と突っ込んでいるジャック。ジョージやエミリー、それからエレノアまで、笑顔で会話している。
良かった……。一時はどうなるかと思ったが、無事にアヴァロンに行くことができる。
問題は帰りだが、リチャードが少しは理解を示してくれたから、帰ることが大して憂鬱ではなくなった。ジョージは僕と同じようにするだろうし、ジャックもあの提案をしたのは僕のことを想ってのはずだ。だから本人はイングランドに帰るだろう。
エミリーがどうしたいのかが僕には分からない。「母親に会いたい」とは言っていたけど、彼女はブリテン島に帰る気があるのだろうか。
「坊ちゃん。良かったですね」
ジョージが僕に声をかけた。
「うん。もうすぐ冒険が終わるのは寂しいけど――」
「そうではなく、リチャード様のことです。亡き奥様のお言葉を持ち出したとエミリーから聞きました」
「ああ、その話? ……うん、良かったよ。これでまた『お兄様』って呼ぶことができる」
ジョージが「そうですね」と言いながら笑った。それに釣られて笑っていると、ジョージは柔和な笑顔で僕に話す。
「私は、あなた様の笑顔が好きです。初めて出会ったあの日を思い返すと、私のもとへ舞い降りた天使のようだった。13歳のあなたに対して愚かな態度を取った自分が恥ずかしいと反省しております」
彼の言う「あの日」。それは僕の父が親しくしている貴族ハモンド卿がパトロンをしている
僕は父に連れられて訪れたんだっけ。お父様とハモンド卿が2人で話している間、僕は施設内を徘徊していた。石割りの仕事をやっていたジョージに、なぜか僕は声をかけたのだ。理由は今でも分からない。彼は僕と目を合わせずに応えていたっけ。きっと迷惑だったんだろう。
「人が人ならざる存在と出会っても、意外に気づかない。レディ・サリヴァンの時だってそうだったでしょ?」
ジョージはまた「ふふっ」と笑って続ける。
「私は、その笑顔を守るため、どんなに辛いことにも耐えてきました。ですが、その笑顔はなかなか見られなかった。あのお屋敷に笑いがあることのほうが珍しいと感じたほどです。そして占いの時も、それ以降も、あなた様が笑顔になる機会は少なかった。でも本日、やっと笑顔が戻ってきて、私は幸せです」
僕の、笑顔……。お互い様だよ。
僕だって、ジョージの笑顔は見たことがなかった。強いて言うならジャックを
でも、今の彼の表情。物悲しい微笑みとよく似ているが、それとは違うと確信している。陽の光のように温かい眼差しを僕に向けている。これが、ジョージの心からの笑顔。
「ジョージ、僕の笑顔はみんなのおかげだよ。もちろん、君がジャックと一緒に戦ってくれたことも理由の1つ」
「アルバート様……」
「お母様がいらっしゃった頃は、屋敷に笑顔が溢れていたんだよ。確かに今の屋敷では肌に霜が降りる心地がするけど、……リチャードが多少柔らかくなってくれたんだ、きっと雪解けが来る」
ジョージは僕の言葉に肯いて、立て膝でお辞儀をした。
「これからもあなた様のお傍におります。共に、雪解けの瞬間を待ちましょう」
「うん。これからもよろしくね、ジョージ」


