23話
春の空は晴れて、夕間暮れの時刻人々は帰宅を急いでいた。ビルについた大型モニターから、ニュース番組が緊急速報を始める。
アナウンサーが緊張した面持ちで手元の資料を読み上げる。
「……速報です。本日午後、都内の公園にて、児童の……」
アナウンサーが一度言いよどむ。それから、彼女は一気にまくしたてた。
「児童の頭上に《《風景のような映像》》が浮かび上がるという前例のない事象が発生しました」
アナウンサーが次のページをめくる。
「現象は一人の児童に集中しており、周囲の人々にも視認可能な風景のような映像が頭上に実体化しているとのことです!」
永田町、官邸会見室。
官房長官が、眼鏡越しに資料を見つつ喋り出す。
「現在、政府としてはこの事案を<世界観可視化現象>と仮称し、早急に調査を進めております。現象の原因については、今の時点で不明であります。対象となっている児童については、安全確保のため、隔離措置を取らせていただく方向で、話を進めております」
記者が手を上げて質問する。
「隔離とは、どういった……?」
「あくまで保護的措置であり、人体に対する危害や外部感染性は確認されておりません。なお、この件に関しては警察庁および厚生労働省と連携を取りつつ対応を進めております……」
霞が関、警察庁内会議室。
「これは精神疾患か!?特殊能力か!?もしくはテロか!?現象が全国に広がれば、パニックになるぞ!」
「民間で映像がSNSに拡散し始めている。早急に通信制限をしなければ!」
「対象児童の周囲に《《感染者》》が広がっているとの報告があります!現在、目黒区の住民のほとんどが《《感染》》してしまっています!感情リンク、あるいは記憶伝播の可能性あり!」
「SATを出す!接触は慎重に。拘束は非殺傷で、精神影響下にある者が複数出た場合は即座に鎮圧せよ!」
目黒区、公園。
黒い装備の隊員たちがヘルメット越しに小声で指示を確認している。その頭上には、既に世界観が浮かび上がっていた。
「標的は女子児童。花畑の世界観は未だ持続中」
「目標は公園中央の滑り台下。建物の影からは観測困難」
滑り台の下に立つ少女の周囲を、武装した警察の特殊部隊が取り囲んでいた。
「建早理世!ここから一歩でも動けば、発砲する!」
SAT隊員の声が響く。だが、それは理世の頭上に広がる花畑の世界観には何の波紋も与えなかった。
しかし、その花畑はゆっくりと枯れ始めていた。周囲の兵士たちの恐怖、怒り、焦燥が、彼女の世界観に染み込んでいたのだ。
「やめてええええ!!」
大声を上げて、隊員たちの間に男の子が飛び込んで来る。
佐之雄だ。
彼は、理世に走り寄ろうと隊員たちの間をつっきろうとする。だが、その体は、またたくまに隊員たちに制止された。彼が叫ぶ。
「理世!!ごめんよ!」
目の前にいるのに、手を伸ばすことすら許されない。
「ごめんよ!ごめんよ理世!僕が理世なんかいなくなれって思ったから!だからこんなことになったんだ!ごめんよ!違うんだ!本当は僕は……」
佐之雄は、理世をうとましく思っていた。だけど、望んでいたのはこんな結末ではなかった。
理世の笑顔を思い出す。優しい理世。一緒にいると、ワクワクしたあの頃。
「理世のこと大好きだ!姉ちゃん!一緒に帰ろう!」
「そこまでだ」
忽然と、青年がそこに現れた。
青年は銀色の髪をふわりとなびかせて、理世の前に立った。佐之雄の肩がびくりと震える。
物凄い緊張感が場を支配していた。隊員たちが呻くのがわかった。
みんな金縛りにあったように、動けない。
青年彼は隊員たちの銃口の前に立ち、誰よりも静かに、理世に語りかけた。
「やあ。僕は、イツキ。君を監視する者の使者」
「あたし、理世」
「理世。君の世界観は、もう《《君だけのもの》》じゃなくなってる」
「……わかってます」
理世はほほえんだ。その顔には、涙の痕が光っていた。
「私の花畑、もうずっと前から、人の痛みでいっぱいになってた。怖かった……でも、見てくれる人がいるだけで、嬉しかったの」
イツキが一歩前に出る。
「このままここにいれば、君は撃たれる。でも、もうひとつの選択肢がある。静かに在ることを選ぶなら、僕たちの……《《あっちの世界》》へ向かう道を開く」
「そこに行けば、誰にも迷惑をかけない?」
「君の花は、誰にも踏まれない。でも、誰にも見られない。それでもいいなら」
理世は、ふと佐之雄を見た。彼の顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「ごめんね、さっちゃん」
イツキが、手を差し伸べる。
「私、こっちを選ぶよ」
そう言って、理世はイツキの差し出した手を取った。
次の瞬間、理世の足元が光に包まれた。
花畑は一面の白に変わり、彼女の体はゆっくりと、光粒となって、暮れなずむ空へ昇っていった。
「……見えなくなっても、私はいるから」
彼女の最後の声が、公園の風の中に溶けていった。
イツキの姿が遅れてその場から消失する。
隊員たちは、ただ銃を構えたまま立ち尽くしていた。
そして佐之雄は、立ちすくみながら、空に向かって泣き続けた。


