信頼
突然エレノアの声が聞こえて何かと思えば、「追っ手が来るから出発する」と言われて飛び起きた。聞けば彼女は、ジャックとアーサーを足止めに向かわせているという。
僕たちは急いで準備をして馬車に乗り込み、そのまま発った。
エレノアが馬車を運転していて、ジョージは今僕とエミリーと一緒に座っている。馬は夜目が利く生き物だし、エレノアも同様だと言うが、僕たちは急ぎの準備をするためランタンに火を灯した。寝起きでパッとしないからというのもある。
「ジャック……」
大丈夫だろうか。剣術については僕より才能があるとはいえ、警察相手にやり合えるものだろうか。
「ねえアルバート。ジャックと何かあった?」
エミリーは本当に鋭い。
「……どうして?」
「ジャックがアタシたちに何も知らせないでここを離れるとは思えないんだけど。なんか気まずくなるようなこと?」
ここで隠せば、信頼関係に亀裂を入れてしまうだろう。だけど、どこまで言ったものか。
「ジャック様が変な提案をしてきたので、アルバート様はお困りだったのですよ」
「提案?」
ジョージ、まさかエミリーに全部話す気か。
「坊ちゃんがリチャード様に会わなくてすむかも、などと息巻いておりました」
「ふーん、……やっぱあいつ優しいね」
……優しいよ、ジャックは。
ジョージは「そうですかね」なんて言っているが、彼も分かっているはずだ。
僕のほうが2つ年上なのに、いつも僕に気づきを与えてくれる。そのうえ胆力があって凛々しい出で立ちをしている、僕が知る中で最高の紳士。エレノアが「ジャックとランスロット卿が似ている」と言ったのも理解できる。
だから、最前線で戦ってくれている彼のためにも、僕たちは進まなきゃ。
「大丈夫だよ。ジャックは必ず、僕たちのところへ戻ってくる」
「……坊ちゃん」
なんだかんだでジャックを心配している2人に対して言ったが、これは僕自身に言い聞かせる言葉でもある。
馬のいななきが突然聞こえてきた。
もしかして、僕はいつの間に眠っていたのか? さっきまで夜だったはずなのに、もう空が白んでいる。
「お目覚めですか。アルバート様」
「ジョージ! ……今は何時? ジャックは?」
「今は朝の6時ですが、ジャック様はまだお戻りではありません」
エミリーは僕の隣で眠っていた。馬車の速さは夜中の時と変わっていないから結構揺れていたはずなのに、疲れて眠りこけていたのか。
「ジャックがどうであれ、多分アッシャーと……リチャードは、仲間たちを囮にして僕たちを追ってくるだろう」
「アルバート様……」
「レディ・サリヴァン! 予定通り進めそうですか?」
エレノアは後ろを振り返らないが、「飛ばせば着く!」と大声を張り上げた。夜中から進み始めたことで、多少は距離が稼げているのだろう。
早く来てくれ、ジャック!
そう願いながら馬車に揺られ、かなり時間が経った。もうエミリーは目を覚ましているし、日も高くなってきた。
「遅いなー、ジャック。……本当にやられちゃった?」
「そんな恐ろしいことは言わないでくれ」
時計を確認すると、いつの間にか8時半になっていたが、ジャックはまだ来ない。確かに遅い。
「いったいどこで油を売っているんだか……」
ずっと彼のことを考えていたから、後ろから馬が駆ける音が聞こえても幻聴だと思った。だがその音はジョージやエミリーにも聞こえているらしい。
騎乗者がジャックであれという期待を込めて後ろを振り返る。
だが、どうやら期待は外れた。馬が黒くないからだ。しかもその影は2つ、アッシャーたちで間違いないだろう。
「サリヴァン様! もっとスピードを!」
「わかった!」
馬をより速く走らせるエレノア。今までより大きく揺れる。
「しっかり掴まって!」
昨日と同じだ。なかなか2人が乗っている馬は僕たちに追いつかない。
だが今日は、僕に助け舟を出してくれたジャックがまだ来ていない。2人の仲間であろう警官たちを足止めするのに手間取っているのだろう。
さらに海岸までの距離は昨日より近い。エレノアは今日の昼に着くつもりだと言った。
つまり距離を稼いだはいいが、海岸で行き止まりになる可能性がある。どうすればいい……?
「そこの馬車よ、今すぐ止まれ! 直ちに投降せよ!」
リチャードが大声でエレノアを呼んでいる。もちろん、ここで止まるわけにはいかないので無視する。
「命令に応じなければ、この一帯に火を放つぞ!」
「もちろんその火はお前が放ったことにしようか!」
その2人の脅し文句は、一瞬エレノアの気を引いたようである。少しだけ馬車のスピードが遅くなった気がするのだ。
「この一帯を? 火がついたらあっという間に広がっちゃうよ」
エミリーの焦りをよそに、エレノアは低く威厳ある声でこう言った。
「…………〈湖の乙女〉。奴らの喚きが聞こえたなら、我らに協力せよ!」
その声に応えて、青い光と水柱とともに〈湖の乙女〉が現れる。
「全く……、長らく会っていなかったというのに注文の多いことです」
「無駄口を叩くのはそこまでだ」
エレノアへ対する返事の代わりなのか、馬車と2人が乗る馬たちの間に川の水が流れ込む。その水は
リチャードたちが構わず突っ込んでくる。だが突破することはできないようだ。
「ヴィヴィアン様、サリヴァン様、あれは……?」
「〈湖の乙女〉とは、いわば水の精。水を操ることなど容易いのだ」
「そう。わたくしの仕事は、森中に張り巡らされて湖や海に繋がるこの川を守ること。そしてこの川
すごい……。だけどこれではジャックが僕たちと合流することができないかもしれない。
「ヴィヴィアン様、もう少し距離を稼いだら水の壁を無くしてください。ジャックが通れなくなってしまう」
「いや、ジャックにはアーサーがついている。ヴィヴィアン、王が私のもとへ戻ったら帳を無くせ」
「承りました」
さらにスピードを上げて、追っ手から離れていく。道が曲がりくねっているので、右往左往する度に馬車が揺れる。しがみつかなければ振り落とされてしまいそうだ。
何度目か左右に揺られていると、突然大鴉の鳴き声が聞こえてきた。まさか、アーサーか?
グワァー!! と猛スピードで飛んできた大鴉は馬車の中に入り、そのままエレノアに向かって鳴き始めた。未だに僕たちは、大鴉の言葉が全く理解できていない。
「レディ・サリヴァン、……なんと言っているのですか?」
「ジャック1人で警官たちを足止めし、数人が一時退却。彼はリチャードとアッシャーに追いつき、攻防を繰り広げているという。ヴィヴィアン、帳を解け」
「はい」
その瞬間、大鴉アーサーは来た方向へ再び飛び立って行った。
「あっそうだ、ヴィヴィアン! アタシが行けない代わりに、ジャックをサポートして。1人じゃ無理だよ」
「……分かった。祝福に免じて頼みを聞こう」
そう言ってヴィヴィアンは再び川へ戻った。
ジャックが無事で良かった……のだが、あの2人を出し抜けるのか心配だ。
さて水の帳が解除された今、ジャックが合流するのが先か、アッシャーたちに追いつかれるのが先か……。……こんなに激しい揺れの中で考えるだけ無駄か。
しばらくすると、アーサーと共にエレノアの黒馬が戻ってきた。
そこにジャックは乗っていない。エレノアもそれに気づいて呼びかける。
「どういうことだ! ……なに? 警官たちによって落馬させられた? 今は1人で戦っているのか」
そんな……! ジャック、僕が君のためにできることは――。
「ジョージ」
「はい」
「馬でジャックのもとへ」
いつもはすぐに承諾してくれる彼だが、今回は違った。
「私は、あなたの従者です! 私が離れて、あなた様の身にもし何かあれば――」
「これは僕の命令だ。大丈夫、ここにはエレノアもエミリーもいる。本当は僕が行きたいくらいなんだ」
「…………、承知致しました。サリヴァン様、お借りします」
エレノアは頷いた。だが彼女は馬車から1頭のハーネスを外す。
「さすがに、男2人が1頭に乗っては馬に負荷がかかりすぎる。こいつを連れて行け」
「では、この馬車は……」
「こう見えて変身は得意なんだ」
ジョージは彼女に礼をして、馬に跨り、2頭揃ってアーサー王の案内で来た道を戻っていく。
エレノアは自分で馬に変身した。彼女が乗っていた黒い馬にそっくりだ。僕が彼女にハーネスをつけて、出発する。
お願いだジョージたち、間に合ってくれ!


