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条件

 ランタンの灯りのもとで食事しているなか、エレノアは今後の計画を話していた。

「本来ならあと2日で海岸に出るが、今日の状況を見て、もう少しペースを上げるべきだと判断した」

「それは……アッシャーのことですか?」

「あの2人、次は数で勝負しようと警察も連れてくるだろう」

 木が生い茂るこの森の中で、数で勝負なんてことをあの人は考えるだろうか。霧の中でエレノアと戦った時に、それを暗示する発言でもしたのだろうか。

「今日の進捗と今後の旅路を鑑みると、明日の昼には舟を停めている場所に着くようにしたい」

「明日?」

 いったいどれくらいの速さで進む気なのだろう。

「ちょっと速くない? だってあいつら4日かかってアタシたちに追いついたんでしょ? そこから更に進んでるアタシたちに追いつくのはもうちょっと――」

「あいつらが、毎回毎回森の出入りをしているわけがない。私たちと同じように野営をしているだろう。それに、馬を走らせて2人で追いかけてきたということは、他の仲間は置いてきたはず」

「……それってつまり、どういうこと?」

 エミリーが再び疑問を出した。

「本当は既に警察を連れて森へ入っていて、我々の捜索をしている。そして本日我々を見つけたことで、仲間に発見を報告して我々の進行方向へ進ませている、ということでしょうか」

「それも、猛スピードで。大鴉たちに急襲させるのも手だが、彼らが殺される可能性があるから避けたい」

「……それ、近くにいるかもしれないってこと?」

 そんなわけない、と誰もが反応したかっただろうが、それができるほど僕たちは楽観的ではない。
 まあそうだとしても、恐ろしいことを言わないでくれ、エミリー。

「今はその気配はない。だが正直に言って、今出発したいくらい危機的なんだ」

「なら、なんでここで野営しようと言ったんだ?」

「状況整理がしたかったし、お前たちも疲れていると思ったからな。それに、1つ言っておかなければならないことがある」

 そう言ってエレノアは居住まいを正して、僕たちを見つめる。

「お前たちをアヴァロンへ連れて行き、必ず帰すと約束した。だが一定の条件が要る」

 エレノアが話したその条件。
 1つ目、アヴァロンへ向かう舟にはこの5人しか乗ってはならないこと。
 2つ目、半日以内に島を出ること。

「条件が破られればどうなるか、分かるな?」

「……了解しました」

 この手の物語では、その条件が完全に守られることはほぼないが、禁忌を犯せば僕たちは多分帰れない。
 というか、そもそもアヴァロンは生者が気軽に行っていい場所ではない。エレノアなりに、生きて帰す方法をよく考えてくれたのだろう。

「……じゃ、明日早めに出発するために今日は早めに寝ようぜ」

 ジャックの提案に皆が同意し、いつもより早くお開きになった。
 『いつも』? ……この1週間の旅のルーティンが『いつも』のことのように話していることが、不思議な気持ちにさせる。ただの慣れなのか、それとも僕自身がこんな生活を望んで?
 ……まさに逃避行だ。家の陰気な雰囲気から、僕は逃げたかったのかもしれない。

 いつから家はあんな陰気になったのか。僕は母が亡くなった時からだと確信している。お母様がお元気だった頃は、屋敷中が笑顔だったはずだ。お父様も、使用人たちも、そしてお兄様も。


  僕が3歳で、リチャードは8歳の時。
 一緒の部屋で眠っていた僕たちは、ある嵐の夜、肩を寄せ合っていた。雷の音や光に怯えていたところに、お母様が訪ねてきた。

「リック、アル。怖かったわね」

「お母様……!」

 彼女が僕たちのベッドの上に来て、抱き寄せて話をしてくれた。

 年の離れた兄たちと同様に騎士となることを夢見たガレス卿はキャメロットへ向かうが、素性を明かさず、兄たちとも面識がなかったため厨房働きとなる。
 そんななか、名前も知らされていない貴婦人を救ってほしいという依頼が宮廷へ舞い込み、無名のガレス卿が冒険に出る。そこで彼は実力を証明し、ランスロット卿から騎士に任命される。

 当時の僕にはまだ、その話の内容はほとんど理解できていなかったが、リチャードも母も笑顔だったことを鮮明に覚えている。

「アルにはまだ難しいわね。でも、分かるようになる。その時はまた話してあげるからね」

「うん!」

 雷への恐怖は忘れて、お母様がまたお話をしてくれるという期待を膨らませていた。

「リック。お前も勉強を面倒に思うかもしれないけど、いずれそれが報われる日が来るわ」

「……ガレスみたいに?」

「そう。(つら)いことと楽しいことは、交互にやってくるの。だから楽しい時でも気をつけなければならないし、逆に辛い時でも下を向いてばかりじゃだめよ。上を向くために、賢さという力がいる。おとぎ話の主人公はお前くらいの子どもが多いけれど、みんな賢いでしょう? 机に向かうことだけが勉強じゃないの。これだけは覚えておいて、リック」

 僕がこんなに覚えているのは、お母様が亡くなる直前――僕が11歳の時に同じことを話してくれたからだ。

 明るい性格で読書家、さらにお父様とチェスをするといつも勝つほど頭も良かったお母様。
 屋敷をうまくまとめる女主人(レディ)がいなくなった途端、白亜の壁が灰色がかって見えるようになった。リチャードを始め、皆が笑わなくなったのも、そこからである。


「アル」

 突然後ろから声をかけられ、驚いて振り返る。声の主ジャックだけでなく、ジョージもいた。

「お前、全然大丈夫じゃないな」

「……無理もないだろう?」

「いきなり坊ちゃんの方へ行って何を言うかと思えば……。その話をしたところで我々には何もできないというのに」

 どうやらジョージは、僕たちの話が気がかりだったようだ。
 やれやれ、事情を知る僕たちがこうして話していると誤解を生むかもしれないのに……。

「昼間は悪かったな。どうしてもリチャードが許せなくて、カッとなったんだ」

「わざわざ謝りに来たの? どうせ君は、発言を撤回する気はないでしょ?」

 ジャックは黙り込んだ。いつもの調子なら、ここで何か返してくるだろうに。

「しかし、厄介なことになりましたね。リチャード様がアッシャーの依頼人だったとは」

「全くだね。帰りまで気が抜けない」

「たとえアヴァロンへ向かう舟に無事乗り込めたとしても、帰りを待ち伏せされてるかもな」

 そうなればエレノアは捕まってしまうかもしれない。僕も帰った後何が待っていることか……。

「1つ馬鹿な提案していいか?」

「……何?」

 ジャックが真剣な面持ちで、その提案を述べる。

「……エレノアが言った条件、『半日以内に島を出ること』を破るってことだ」

 思わず「……は?」と口から漏れてしまった。

「ジャック、まさか……」

 その理由になんとなく想像がついてしまう自分が怖い。

「なんでエレノアが半日以内に出ろと言ったか。それは多分、アヴァロンは時間の流れが俗世(こっち)より遅い、もしくは止まっているんだ。1ヶ月滞在して帰ってきたら数10年、なんてこともあるかもしれない」

 ジャックは本気で言っている。それは彼の表情を見ればわかるのだが、隣に目を向けるとジョージの眉間にはシワが寄っていた。

「……なぜそれを提案したのです」

「そうすれば、たとえ待ち伏せされていたとしても、奴らはなかなか帰ってこない俺たちを諦める。滞在期間によっては、二度とリチャードと顔を合わせなくていいかもしれない」

「待って、ジャック」

 ジャックを遮って僕が続ける。

「案内人や人ならざる者の忠告を無視したらどんな結末が待っているか、知っているだろう? せっかくレディ・サリヴァンが僕たちを生きて帰すために――」

「その案内人が、奴らに逮捕されてもいいのか? 自分が撃たれてまでアッシャーたちを足止めしてくれた彼女が」

 ジャックの論に「それは……」と自分の言葉を濁さざるを得なかった。
 確かにエレノアが逮捕されてほしくない。だけど――。

「ジャック様。あなたはここまで馬鹿だとは思ってもいませんでした」

 ジョージが冷たい口調で言い放った発言が、ジャックの心に刺さったように見えた。というのも、彼が言葉を失うのがはっきり見て取れるからである。

 ジョージの言葉の後、誰も何も言わなかった。その沈黙も、言葉の矢がジャックに刺さっていくのを加速させているのが分かる。かと言って、僕の言葉では彼を救うことができないことは目に見えている。

「……分かってるよ。馬鹿なことを言っている自覚ぐらい、ある」

「ジャック……」

「悪い。疲れてるんだ、頭を冷やしてくる」

 そう言って彼は「待って」という僕の制止を聞かずに、大木がある場所へ行った。

 ジョージは何も喋らない。だが、その表情はいつもより沈んでいる。彼なりに「強く言い過ぎた」と思っているのだろう。

「……戻りましょう。アルバート様」

「……うん」

 テントに入って横になった後、僕はしばらく眠れなかった。
 さっき「僕の言葉では彼を救えない」と述べたが、本当にそうだっただろうか。僕が自分でそう決めつけて諦めただけじゃないのか。自問自答を繰り返すうちに、意識が朦朧としてきた。

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