本編2
お休みの午後、ここは一人暮らしの私の部屋。窓際のライティング・デスクに肘を突き、レースのカーテン越しに曇り空を見た。で、心を鎮めるために、凮月堂のストロベリーのゴーフレットを齧り、マリアージュ フレールのマルコ ポーロ ルージュを一口飲んた。
少し逸る心を抑えながら、パソコンで小説の投稿サイトを開いた。あれ? 何か、デジャ・ヴ? と、言うことは? まさか、振り返れば奴がいる? 後ろを向くと、案の定いた。
「お久しぶりです。ご機嫌麗しゅう」
私はこの男、明星商会のメフィストから、文学の才能=タレントを買っていた。以前であれば小説を書く際、登場人物を考え、世界設定を考え、ストーリーを考えた末にプロットを練り上げないと書き始めることができなかった。でも、今はちょっとしたきっかけで、物語世界が「丸ごと降ってくる」。「降ってくる」としか、表現のしようがない。私はその世界を仔細に観察して、若干脚色して書き下ろせば良いだけだった。
「一体何の用? 後金の1千万なら、まだ無いわよ」
「お売りした才能の効果を、確認に上がりました。一種のアフター・サービスです」
「そう…それであなた、何してるの?」
男は小さめのバランスボールの上に、前回同様タキシード姿で立って、お辞儀も華麗にこなしていた。
「いやあ、お恥ずかしながら、健康診断で長年脂肪肝と出てしまいまして、腹の脂身を減らすべく、こうしている訳です。中年になると若い頃のようにいきませんなぁ、ははは」
「中年て、見かけ20代だし、あなた悪魔でしょ? 悪魔に中年とかあるの?? サン・ピエトロの大安みたいなもん?」
「ありますよ。大体私、去年までは人間やってましたし。ちょっとした経緯から死後うちの上司に拾って頂いて、新米悪魔をやっております。うちは社会保険完備で健康診断も年に1回の受診義務があります…脂肪肝は人間の頃の診断ですがね」
「へぇ…そういうの、あるんだ」
「あるんです」
「で、あなた何で勝手に私の部屋に入ってきてるの?」
「いえ、そちらのお部屋にはお邪魔しておりません。私は私の執務室におります」
「えっ?…」
彼の身長は170cmを超えていたはず。バランスボールが50cm位として、確かに私の部屋だと天井に支えるだろう。良く良く見ると、私の居室の境目から先が彼の執務室になっていた。
「…勝手に私の部屋とあなたの部屋を繋いだのね。今後は事前に私の許可を得て、やって下さい』
「御意。それでは、そちらへお邪魔しても宜しいでしょうか? これから小説の応募結果を確認なさるのでしょう?」
「うん。まぁ、一次選考だけどね。どうぞ」
私は部屋の隅から踏み台代わりに使ってる丸椅子を持ってきて、私の隣に置いた。彼はその椅子に座り、私のパソコンの画面を覗き込んだ。
結果は…無事、通過。うん、苦労した甲斐があった。以前の私は才能の限界に達していたのか、伸び悩んでいた。しかし、才能を買ったことで限界突破したのか、それまでの苦労=経験値が一気にレベル上昇に繋がったようで、前よりも楽に書くことができている。更に、努力すればするほど能力が上がっていくのが自分でも分かるのだ。つまり、今の私は努力が報われる状態にある。こんなに嬉しいことはない。
♪パラパ、パッパパー
彼が両手を広げるとファンファーレが鳴り響き、頭の上でくす玉が割れて紙吹雪が舞った。
「おめでとうございます! 苦労が報われましたね」
「まぁ、一次選考は今までも通ってたから、これからだけどね」
「いえいえ、今回の作品はいままでより一層の磨きがかかっていますよ。私も読ませていただいて、感動致しました」
「読んだの? ありがとう」
悪魔に褒められて喜ぶ私もちょっとどうかと思うけど、やっぱり嬉しい。
「…えっと…紅茶、飲む?」
「いえ、お気遣い無く。私も次の仕事がありますので」
「そう? じゃぁ、またね」
「はい、それではまた、二次選考の結果発表の頃、お伺いします。折角なので、そちらの才能に更に磨きをかけるためにも、次の作品の執筆もご検討下さい。では、ご機嫌よう」
そう言い残して、彼は消えていった。…って、
「こら! くす玉と紙吹雪ちゃんと片付けなさい!」
と、怒鳴ったら、どちらも綺麗に消えて無くなった。良かった。掃除しなきゃいけないかと思った。
…ふむ、次作か。それにしても、彼が以前人間だったというのは驚いた。一体どんな人だったんだろう? っと思った瞬間、また「物語世界が丸ごと降ってきた」。よし、自作はこれで行こう…