『再会』#1
新しいクラスでの教科担当係を決める際に、ロイスは敢えて地理を選んだ。担当教師は、当日にならなければ判らなかったが、シエンに近付ける確率を上げたかったのだ。
レイモンドには「生徒会があるからって、去年はやらなかったのによ」と揶揄《からか》われたが、「両立出来ることが判ったんだ」と無難な返事をした。
そして初めての地理の授業の日。
ロイスは朝からどこか心《こころ》|此処《ここ》に在《あ》らずといった感じで、珍しく外国語のリスニングでミスをした。
クラスの全員がザワつく。
こんな些細なミスなどしたこと無かったのに。
着席すると、ショックで頭を抱え、溜め息が出た。
すると前の席のロドルフが、そっと机に紙切れを置いた。渋々、紙切れを開く。
『どしたー? なんかあった?』
と、辛うじて読める汚い字が、ノートの切れ端に並んでいた。
機械音痴のレイモンドは、タブレット端末や携帯電話からのメールではなく、前々席《ぜんぜんせき》からわざわざ間のルドロフを介して手書きの手紙を寄越して来た。
「チッ…レイのやつ」
ロイスは舌打ちをして、その紙を丸めて制服の上着のポケットに押し込んだ。
そして、前のロドルフの背を突《つつ》く。
ロドルフは教師に気付かれぬように、僅かにロイスに顔を向ける。
「──レイモンドへの伝言だ。『授業中にふざけるな』」
ロドルフは無言で伝言を受け取ると、レイモンドの背を突く。
「なに?」
レイモンドは教師の目も気にせずに振り返った。その視線はロドルフを通り越して、顔はニヤニヤとして、明らかにロイスのミスを面白がっている。
そのレイモンドをロイスのアイスブルーが睨み付けている。
「授業に集中しろ」
ロドルフの忠告に、レイモンドはうんざりした顔に変わると「へいへい」と小さく返した。
そして次が地理の授業の時間がやって来た。
ロイスは担当教師がシエンであれと祈るか、違えと祈るか迷っていた。
休憩時間中のクラスメイトが、それぞれグループを作り、談笑したり悪ふざけをしたりしている中、ロイスは窓際の自席に座り、教科書を開いたり閉じたりと、落ち着かない。
「どうかしましたか?」
朝から普段と違うロイスを見兼ねて、窓の外を警戒しているロドルフが声をかけた。
ロイスは開いていた教科書を、パタンと閉じる。
「な、何でもない」
焦ったロイスは早口で答えると、顔を赤らめて教科書を机の上に置いた。
レイモンドとロドルフに気付かれてしまう程、今日の自分は挙動がおかしいらしい。
心の中で「落ち着け、シエンが来るとは限らないだろう」と繰り返す。
レイモンドがトイレから戻って来る。
「おっと、間に合ったかな? あれ、坊ちゃん、どうしたんだよ。いつもより眉間にシワ寄っちゃってるよ~」
「なってない‼︎」
ロイスは眉間に伸びて来た、レイモンドの人差し指を払う。
「怖い怖い。綺麗な顔が台無しだ」
レイモンドは振り払われた手を、チェック柄のスラックスに突っ込む。
「余計なお世話だ」
ロイスは肘を机の上に置いて、手を組むとそっぽを向く。見抜かれた気不味さで、顔が熱い。
レイモンドは気にせず続ける。
「地理、嫌いだっけ? 自分から教科担当選んどいて、そりゃ無いよなぁ。ギャハハ!」
大笑いしながら、自席に着く。
それとほぼ同時に、始業のチャイムが鳴る。
「……ホント、うるさい奴だな」
ロイスはレイモンドに聞こえるか聞こえないかの声量で呟く。
窓の外に顔を向けて、黙ってやり取りを聞いていたロドルフも着席する。
(でも…少し気が紛れたな)
ロイスはこっそりと目を細めって、口元を緩めた。
クラスメイト達全員の着席が終わる頃、教室の扉が開かれ、担当教師が入って来た。
すると、女子生徒達がざわめき出す。思わず悲鳴を上げた者もいた。
「……‼︎」
ロイスも目を見開いて息を飲む。
(シエン…‼︎)
式の時とは違う紺色のスーツを着ていたが、やはりまだ着ていると言うより、着させられている印象だ。
クラス長が起立の号令を出し、教師に礼をし着席する。
「このクラスの地理を担当するシエン・アンブラです。よろしくお願いします」
マイク越しではない、生のシエンの声にロイスは心穏やかではなくなる。
シエンが改めて自己紹介し、女生徒の質問に答えているが、ロイスの耳には普段より早い、自分の心臓の鼓動音しか入って来ない。
口内がカラカラになり、一生懸命に唾液を分泌させて、喉を鳴らした。
「──では、皆さんの顔と名前を覚える為に、出欠を取ります。名前を呼ばれたら、返事をして下さい」
シエンの声は、相変わらず穏やかで聞いていて心地良い。
が、ロイスはそれを聞いて、更に緊張する。
名前を呼ばれた時、どんな顔をすれば良い? もし、自分の事を覚えて…成長しているから、判って貰えなかったら?
中等部に進学した四年前から、懸命に忘れようとして、事実、シエンが居ないことが当たり前に感じるようになって来たところだったのに。
何だか自分に気付いて欲しいのか、気付かないで欲しいのかも判らなくなって来た。