黒と赤
「マクレイ卿! やっと追いつきましたぞ」
「アッシャー……!」
「ねえアンタ! アタシを蹴飛ばしたこと、まだ許してないからね!」
エミリーまで声を張り上げた。
だがアッシャーは彼女を見ても、表情を変えなかった。
「誰だったかな?」
「はーー!? ふざけんじゃないわよ!!」
「エミリー抑えて。こんなやつと話すだけ無駄だ」
俺たちの様子に構わず、アッシャーは続ける。
「さあ、エレノア・サリヴァンはどこだ?」
「答えるわけ――」
言葉を発した瞬間、馬車が急に止まった。
「ジョージ!? 何を――」
前を見た俺たちは目を疑った。
黒い馬だけがそこに取り残されて、エレノアはいなかった。
「サリヴァンさんの馬だな。本人は逃げたと」
そんなわけない。わざわざ俺たちをアヴァロンへ連れていくと約束した彼女が、簡単に約束を反故にするわけがない。
「ほらな、アルバート。お前は騙されていたんだ」
「違う、違います、お兄様! 僕の話を聞いて!」
その時突然、大鴉たちが猛スピードで飛んできてリチャードに襲いかかった。
「うわぁーー!」
「マクレイ卿! ……あーー!」
リチャードから大鴉を跳ね除けようとしたアッシャーも襲われている。なんとも滑稽な光景だ。
笑いを堪えるのに必死になっていると、今度は上から黒い物体が降ってくる。
あれは翼をはためかせた……人?
リチャードたち目掛けて降りてきたのは、エレノアだった。
「久しいな、アッシャー。それにリチャード・マクレイ卿まで」
全身黒ずくめなのはずっと変わらないが、翼まで黒いとは……。ただ黒いのではなく、見る角度によって青や緑が見えるカラスの羽根のようだ。翼開長がかなり長く、その翼だけで攻撃ができそうだ。
「サリヴァン様……? どうしたんです、その……翼」
「見たままだ」
説明してほしいところだが、今はそれどころじゃない。もはや彼女自身がリチャードの偏見を煽っているのでは……。
「魔女どころか、悪魔だったのか……!」
「私についてならなんとでも言うがいい」
リチャードとアッシャーはエレノアに銃を構えたが、彼女は一切動じない。それどころか「必死だな」と2人を煽る始末だ。
エレノアが少し飛び上がって翼を前方に動かして風を起こすと、2人はその風圧で転倒した。
「くっ……! これでどうだ!」
アッシャーは手にした散弾銃を、彼女の翼に向けて発砲。赤い飛沫が舞ったと同時に、エレノアは地に膝を着いた。
「うっ……!」
「エレノア!」
エミリーが彼女に駆け寄ろうとしたが、今度はリチャードが「動くな」と銃をエミリーに向けた。リチャードがアルを撃つことはないだろうし、やつにはジョージがついている。
俺はエミリーの側へ行った。エレノアには近づけない。
「さあ今度こそ終わりだ!」
俺たちが尻込みをしている間に、もう一度アッシャーはエレノアに銃を向けてすぐに発砲した。
が、今度は彼女の身体から出血はしなかった。
「アーサー……!」
エレノアは金切り声を上げた。彼女の表情は後ろからでは分からないが、今まで毅然としていた彼女が初めて感情を乱すのを感じた。
彼女は血を流した翼をもう一度動かしてリチャードたちを吹っ飛ばし、要塞から逃げた時と同じ濃霧を起こした。
アーサーと呼ばれた大鴉を抱えて、エレノアはこちらを振り返った。
「……エミリー、アーサーを頼む。お前の水の力で、傷を癒してくれ」
そう言って有無を言わせずに大鴉をエミリーに託した。
「まずアンタの手当を――」
「私は! この永き命にかえても守ると決めたんだ」
たった1羽の鳥に対して、そこまでするか? まさかアーサーとは……、なんて今はその答え合わせをしている場合じゃないか。
「あの2人を少しでも遠くに追いやる。すぐに戻るから、馬車を進める準備をしていて」
俺たちの返事を聞かずに、エレノアは霧の中へ入っていった。
エミリーは「仕方ないわね」とアーサーを川の水に浸ける。
「弾丸を取り出さなくては」
ジョージも手を水に入れて、弾丸を探る。本来は消毒しなければならないが、浄化作用があるというこの川なら多少は大丈夫だろう。……ヴィヴィアンが怒るかもしれないが。
弾丸を取り出した後、ペンダントから宝石を取り出した。エミリーがそれを握って水に手を入れた状態で念じると、アーサーの傷が治っていく。力を使うのは2回目だっていうのに、飲み込みが早いな。
「よし」
アーサーはすぐに回復し、翼を広げた。まるで俺たちに礼をしているようだ。
「皆様、ひとまず馬車には乗ってください」
「ああ」
ジョージの言葉に従って馬車に乗り込む。ハーネスの強度は、まだまだ大丈夫そうだ。
その時、衝撃音が聞こえた。エレノア、結構暴れているんじゃないか。そのエレノアらしき影が、霧の中に現れた。
「レディ・サリヴァン! ご無事でしたか」
「ああ、なんとかな。やつらが気絶している間に逃げるぞ」
彼女は再び馬に乗って、先へ進んだ。
気絶させたって、あの衝撃音からすると何かにぶつけたということか? アッシャーはまだしも、一応アルの兄貴だぞ?
そのアルは、ずっと俯いている。
「おい、大丈夫か」
アルは何も言わなかった。
何か言ってくれ、俺はお前を責めたいわけじゃないんだよ。
だが今は、どんな言葉をかけてもアルを傷つけかねない。もうしばらく待つとしよう。


