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 たった1日の中で、いろいろなことがあった。

 エレノアがモーガン・ル・フェイその人で、事務弁護士と警察から追われる身となって、それに俺たちが巻き込まれている。さらに〈湖の乙女〉ヴィヴィアンとも会った。

 情報を整理しようという気も起きず、かと言って「すごいことがあるものだ」と眠れるわけがない。

 テントは3つあって、1つ目はアルとジョージ、2つ目は俺1人、3つ目はエミリーとエレノア。話し相手がいなくては、情報過多による胸のざわめきが収まらない。

 一旦外の空気を吸って落ち着かせようと、テントから出た。
 明かり1つない森の中だが、夜空に輝く星のおかげで真っ暗ではない。既に目が暗闇に慣れていることもあるだろうが、湖岸に座っているやつがいるのが見えた。
 カール髪を肩まで垂らしているから、あれはエミリーか。俺は彼女のところへ行った。

「眠れないのか?」

 エミリーはビクッと身体を震わせて、俺の方を見た。こんな夜中に、誰かに話しかけられるとは思ってなかったのだろう。

「なんだ、ジャックか。……眠れないっちゃ、そうかもね」

「ここで何してたんだ?」

「星を、見てた。ロンドンで見るよりキレイな気がしてさ」

 改めて空を見上げる。確かに、金銀糸を織り込んだ紺色の絨毯のように煌めいている。

「なんとなくお前の心が晴れやかになったから、じゃないか?」

「……そうかな」

「俺にはそう見える。だってお前の母親はヴィヴィアンと繋がりがあったって知れたし、水の操り方も覚えた。順調な旅じゃないか」

 想定外のことが起こっているのはさておき、エミリーにとっては前途洋々のはずだ。
 だがなぜか、エミリーは俺の答えに納得していないような、「何も分かっていない」と呆れているような表情を見せる。

「結局、ヴィヴィアンは何も教えてくれなかったから……。アタシ、せっかちだから早く答えを知りたいんだよね」

「……そういう答えって、教えてもらうものじゃなくて実感するものだと思うんだ」

「実感?」

 エミリーはやっと、俺の意見に興味を示した。

「そういうのは大抵、言われたところで理解できねえよ。祝福の意味は、大事なものを失いかける時に分かるものだ」

「……『ここぞ』という時まで待て、って?」

「大切なものを失わないための力、それこそが祝福だと俺は思ってる。……まあ、そこでしくじったら『呪い(いらないもの)』になるかもな」

 俺の言葉に、エミリーは吹き出して笑った。

「アンタってホント、たまにいいこと言うよね!」

「おい、『たまに』は余計だぞー?」

 突っ込みつつもなんだか可笑しくなってきて、2人で笑った。ここまでエミリーが明るく笑っているのを、俺は初めて見た気がする。

「ねえ。アンタこそなんで起きてるの?」

 やっぱり、そう勘づかれたか。

「いろんなことがあったんだ。寝られないだろ」

「これからも何かあるんじゃないかって思ってる? それが楽しみで眠れないとか」

「遠出が楽しみで眠れないガキじゃあるまいし」

 エミリーの憶測は、半分正解だ。
 残りの半分は、不安も感じているということ。

 さっきも述べたが、俺たちは今追われている。腐っても事務弁護士のアッシャーがいるというのがなかなか厄介だ。なにせ、あいつの依頼主が誰か分からない。

「まあ、これから何があってもアタシが頑張る」

「エミリー……」

「せっかくもらったものだから、使わないと損でしょ?」

 早速、俺が言ったことを実践しようとしている。その心意気が、彼女の一番の魅力だ。

「何笑ってるの、アンタが言ったことでしょ」

「俺笑ってたか? ……いや、頼もしいなと思って」

 今度はエミリーが照れる番だ。その照れをすぐに隠そうとしたが。
 冒険、か。騎士たちも仲間と語らって気晴らししながら、困難に立ち向かって行ったのだろう。存外悪くない。

 エミリーがあくびをして、「もう寝る。おやすみ」とテントへ戻って行った。

「おやすみ」

 俺もテントへ戻り、明日からの旅へ向けて身体を休める。


 なかなか明るくならないが、目が覚めたので外へ出た。あの晴れていた美しい星空とはうって変わって、霧がかっていることでより神秘的な光景を作り出している。
 霧雨程度なら旅にそれほど大きな支障はないだろう。

「遅かったね、ジャック。『太陽に敬意を表する』ってやつ?」

「おはよう、アル。ぱっとしない朝だからな。……てか、なんだ? その『太陽に敬意』って」

「フランス語のことわざだよ。『朝寝坊する』って意味」

 当たり前のように言われてしまった。
 確かに、アルも俺もそれなりにフランス語には通じている。だがことわざなんて会話ではそう多く使わないから、フランス語のものは1つも知らない。
 そういえばマクレイ家には、フランス人の使用人がいたな。そいつから聞いたか、言われたのだろうか。

「この霧なら、出発するのは可能だ。私が先導する」

「もちろんです。あなた以外に、ここの土地に詳しい者はいませんので」

 エレノアとジョージは荷造りと、馬車のメンテナンスをしていた。馬たちはその近くで水を飲んだり、食事をしたりしている。

 俺も朝食にするか。
 湖の水を少し飲んでから、昨日狩りの途中で採った果物を1つ、口に放り込んだ。

「ジャック! 早めに出発するから準備してってエレノアが言ってたよ」

 そう言ってエミリーが急かしてきた。

「ああ分かったよ」

 まあここに長居する意味もないし、少しでも進んでおいたほうが、俺たちにとっては安全だろう。すぐに着替えて、荷物を馬車に詰め込んだ。

 またエレノアが馬とともに先頭に立ち、ジョージが運転する馬車がそれについて行く。
 大鴉たちが間隔をあけて木に止まり、追手が来ないか後方確認をしてくれている。つくづく、よくできたペットだ。


 ひとまず何もない穏やかな旅が2日続いた。
 あの湖から出発して今日で3日目。
 エレノアの話では「このまま順調に行けば、今日を入れて3日で海岸に出る」らしい。

 順調に行くのが一番いいのだが、この曇り空のせいか胸騒ぎがする。ここで何か大きな障害が立ちはだかるのではないかと。

 こういう時の不吉な予感は、なぜかよく当たる。
 突然大鴉たちの鳴き声が、森中に響いた。グワァー! グワァー! と、警告されているような激しい鳴き声だ。

「……! 早く進むぞ!」

 エレノアはその言葉を言い切る前に馬を走らせ、ジョージは困惑しながらも馬に鞭を打った。ハーネスが外れないか心配になるほどスピードが出ている。

「追手か!?」

「ああ、そう知らせてくれた!」

 馬車に乗っている俺とアル、エミリーが必然的に後方確認を任される。さて、来たのは警察か、アッシャーまたはその一味か……。

 馬の影が見えてきた。誰が乗っている? 狩猟服に乗馬用上着(ライディング・ジャケット)を合わせた短髪男に見える。アッシャーか?

「アルバート! 無事か!」

「その声……、お兄様!?」

 よりによってなんでリチャードなんだ。まさか……。

「アッシャーがもうすぐ来る。今すぐその馬車を降りろ! 巻き添えになりたくないだろう?」

 アルは顔面蒼白になった。やつにとって、一番信じたくなかった事実だろうから。

「……まさかあなたが依頼人なのですか?」

「お前を守るためだ! 魔女に惑わされているお前を――」

「その発言を撤回願います!」

 珍しくアルが、声を荒らげている。
 まずいな。エミリーやエレノアにも、今の言葉が聞こえていただろう。優しいアルが危惧した事態になってしまった。これが、『災い』か。

「事実エレノア・サリヴァンは魔女だ! アッシャーから全て聞いたぞ! やっぱり僕の言う通りだった、ならそこの――」

「やめてくれ! 何も言わないで!」

「……本当に哀れな弟だ。()()の魔女に囲まれてはまともな判断などできやしない。大丈夫だ、僕が救い出してやる」

 弟の言葉を一切聞かず、自分の偏見で全てを判断する。これが紳士なものか。

「おいリチャード!」

「ジャック!? 何を考えて――」

 アルの制止を無視して、俺は叫ぶ。

「何が『哀れな弟のため』だ! 何が『救い出してやる』だ! 弟の気持ちをひとっつも考えずに、他者を下に見て侮辱しやがって!」

 リチャードは何も言わない。
 図星を指されて何も言えないのか、単純に怒ってるのか。
 どうでもいい、俺は言葉を続けた。

「全部『自分のため』の間違いだろ! 『今まで頑張ってきたもの、信じてきたもの全部が崩れ去ることを恐れてる』だけだろーーが!!」

「…………このっ、無礼者がっ!! 僕のことを何1つ分からないくせに! 『世襲平民』のくせに!」

「何も知らねえよ! 知りたくもない!! 正真正銘の貴族でも人間性は最底辺のやつのことなんてな!!」

 俺たちの舌戦を具現化するように、馬車とリチャードの馬は一定の距離を保って進んでいる。
 どちらもスピードが上がっているから、リチャードの馬は追いつけない。『アキレスと亀』と似た状況だ。

 エレノア、ジョージ、このまま逃げ切れ!
 そう思ったのも虚しく、リチャードの後ろから馬がもう1頭やって来るのが見えた。

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