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31.雉猿狗の導き

「──かかかかッッ!! 愉快! 実に愉快ッッ──!!」

 大巨人"大悪路王"と同じ視界を得た役小角は高笑いしながら、虫けらのような小ささの東軍と西軍の両軍勢を容赦なく踏み潰し、無尽蔵に溢れ出す"黒液"で次々と飲み込みながら、無慈悲に関ヶ原の戦場を蹂躙していった。
 馬を持たない武者や足軽たちが押し寄せる"黒液"になす術なく飲み込まれていくのはもちろんのこと、馬で駆け出した武将たちもまた、その勢いと量を時間と共に増していく"黒液"の津波からは逃れられず騎乗した馬ごと飲み込まれていく。

「──のう、一言主よッ! わしの腹の奥底より見ておるかッ!? ──これが、"大悪路王"の力ッッ!! わしが千年の時をかけて日ノ本に咲かせた"闇の大空華"じゃッッ──!!」
「……御大様(おんたいさま)、御見事、御見事ォ──!」
「見事に咲かせましたなッ! 御大様ッ──!」

 見開いた両眼から"黒液"を垂れ流しながら叫ぶ役小角に対して、同じく"大悪路王"の胸奥に立つ晴明と道満が"大悪路王"の圧倒的な力を体感しながら歓喜の声を上げる。
 そうして、三人の伝説的な陰陽師によって操縦される"大悪路王"は、両手で足元の"黒液"をすくいあげると、関ヶ原の東方に逃げていく軍勢に向かって放り投げるように浴びせ掛けた。

「うぎゃああああッッ──!!」

 馬で走りながら、逃げ切れたと思って油断していた武将が空から降り注ぐ"黒液"の雨を見上げながら絶叫する。

「──愉快ッ! 愉快ッ──! くかかかかかッッ──!!」

 絶望と共に飲み込まれていくその光景を"大悪路王"の"魔眼"を通して見届けた役小角は、両眼から"黒液"を噴き出させながら大笑いした。
 今や、3万を超える人数を飲み込んでいる"黒液"は人間を飲み込んだ数だけ勢いと総量を増していき、関ヶ原を闊歩する"大悪路王"から少しでも遠く離れようとする者たちをも黒い津波によって次々と取り込んでいった。
 だがしかし、そんな状況下にあってただ一人、漆黒の大巨人"大悪路王"に接近していく者がいた──桃姫である。

「ハァアッ──! デヤァアアッッ──!!」

 桃姫は、意思を持った触手のようにうねりながら高速で伸びてくる"黒液"の群れを両手に握りしめた仏刀で次々と斬り捨てていく。
 そして、"黒液"の波間に点々と浮かんでいる瓦礫の上を妖々剣術で会得した軽業で器用に飛び跳ねて移動しながら"大悪路王"との距離を着実に狭めていった。

「……フッ──!!」

 一息大きく発した桃姫が"大跳躍"をして、"黒液"に押し流されている物見櫓の残骸に飛び移ったその時、何者かの手が桃姫の足首をグッ──と掴んだ。

「──ッッ……!?」
「ぶはぁっ!! ──助けてぇっっ! 助けてくんろォっっ──!!」

 驚いた桃姫が咄嗟に足元を見ると、体の大半を"黒液"に飲み込まれた足軽の男が必死の形相で桃姫の顔を見上げながら助けを求めていた。

「……あ、ああ──」

 動揺した桃姫が声を漏らしながら、足軽の男を助けようと〈桃源郷〉を握る右腕を伸ばした次の瞬間、"黒液"の中から三本の"黒い手"がグォッ──と伸びてきて、男の顔面をガッシと掴んだ。

「あがぁっ──!? や、やめろぉ──!! おらには帰りを待つ嫁と赤ん坊がおるだぁっ──! ──離せっ! ──離して──あがあッッ──」

 泣き叫ぶ足軽の顔を掴んだ三本の"黒い手"もまた、"黒液"に飲み込まれて助けを求める"亡者の手"であった。

「……う、うう……!」

 桃姫はなす術なく、男の頭が"黒液"の中に引きずり込まれていくのを嗚咽を漏らしながら見やった。
 そして、桃姫の足首を掴んでいた男の手が力なく離されると、流れる"黒液"の中にドプン──と沈んでいった。

「……なんで、なんでこんな酷いことを……」

 段々と"黒液"に沈んでいく傾いた物見櫓の頂上まで這い上がった桃姫は、涙を流しながら"黒い海"と化した関ヶ原の戦場を見渡して震える声を漏らす。
 四方を山に囲まれた広大な関ヶ原、その至る所で"黒液"に飲み込まれた何万という泣き叫ぶ声、助けを求める声が聞こえ、桃姫は今にも正気を保てなくなりそうだった。

「……地獄……」

 桃姫がそう口にしながら背後を振り返ると、四つん這いになった"大悪路王"が至近距離で桃姫のことを睨んでいた。
 巨大な体を子供のように這いつくばらせた"大悪路王"は、まるで珍しい昆虫を観察するかのように物見櫓の尖塔に立つ桃姫の姿を真紅の"魔眼"で睨みつける。

「……みんな、ごめん……」

 桃姫は力なく声に漏らすと、目を閉じて一筋の涙を頬から落とした。そして、恐怖に震えた両手から〈桃源郷〉と〈桃月〉を手落とす。
 二振りの仏刀は斜めに傾いた物見櫓の上をカラカラ──と音を立てながら転がり落ちていくと、"黒液"の海に落下して、美しい銀桃色の刃を黒く染めながらゆっくりと飲み込まれるように沈んでいった。

「……私、勝てない──」

 仏刀を失った桃姫が顔を伏せながら呟くと、満足気に"魔眼"をにんまりと細め、満面の笑みを浮かべた"大悪路王"が漆黒の両手を広げ、物見櫓の尖塔に立つ桃姫の体目掛けて、その巨体で伸し掛かるように盛大に倒れ込んできた。

「……ッッ──」

 歯噛みした桃姫の体を物見櫓の残骸ごと瞬く間に飲み込んだ"大悪路王"。その巨体を形成する膨大な量の"黒液"の奔流に全身を翻弄された桃姫は、死を受け入れた。

 ──みんな、ごめんね──ごめんなさい──。

 桃姫は様々な瓦礫が渦を巻く"黒液"の激流の中で全身を押し潰されていきながら、何度も心の中で謝った。
 これまでの17年間の人生で自分に希望を託してくれた人たち──桃太郎、小夜、おつる、雉猿狗、カシャンボ、たまこ、おたつ、ぬらりひょん、夜狐禅、妖々魔、五郎八姫、政宗──全員の顔を思い浮かべながら桃姫は謝罪した。

 ──ごめんなさい──ごめんなさい──。

 目を固く閉じた桃姫が何度も謝り続けたその時、意識が薄らいでいく桃姫の胸元で翡翠色の淡い光りが放たれた。
 何もかもを"黒液"が包み込む暗黒の世界の中で、ただひとつ──雉猿狗の魂、〈三つ巴の摩訶魂〉だけが道導(みちしるべ)のように光り輝くのであった。

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