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第65話 傍観する艦隊の恐れる『魔法』

 地球圏フランス共和国宇宙軍遼州艦隊。

 その旗艦である『マルセイユ』は指揮下の艦船を楯にして、じっと遼州系アステロイドベルト外の宙域を進行していた。

 ブリッジに並ぶ艦隊首脳陣のピケ帽はただ目の前に広がるデブリを見つめていた。

「カルビン提督!報告に上がりました!」

 自動ドアが開き、諜報担当士官が入ってきた。

 カルビン提督と呼ばれたひときわ長身の老提督は、静かに入ってきた若者に視線を送った。

「現在、この宙域には……」

 報告を始めようとする若い通信士官を余裕を持った笑みを浮かべて遮ってカルビンは口を開いた。

「君。年はいくつかね?」

 長身の老人。カルビン提督の言う言葉はどこまでも穏やかでクーデターの現場を間近にしているとは若者にはとても見えなかった。

 そのあまりに唐突な言葉に驚いたような顔をした後、若者は遠慮がちに口を開いた。

「はっ、二十六になります!」

 若者らしい元気の良さでそう言って若い通信士官は敬礼をした。

「そうか。それでは君が手にしている情報を当ててみようか?現在この宙域には我々の艦隊ばかりでなく、殆どの宇宙艦隊を所有する勢力の艦隊で埋まっていると言う事だろ?」

 カルビンは笑顔で通信士官を見つめた。

「それこそこの艦隊で一斉に攻撃を仕掛ければ貴族主義国家、甲武国の過激な貴族主義者のクーデター部隊はひとたまりも無く鎮圧されるだろうと……そう言うことなんだろ?甲武国の現政権は嵯峨惟基が失敗した時は我々に期待しているのかもしれないな……共和国もそうすれば甲武国と遼州同盟に借りを作ることが出来る。私としては嵯峨惟基には敗北してもらいたいね」

 カルビンの言う通りこの宙域には主要な地球連邦加盟国の艦隊と遼州同盟加盟国の艦隊が十重二十重の包囲網を甲武国の貴族主義者のクーデターを起こした艦隊に対して敷いていた。

「はい!その通りであります!この艦隊が動き出せばこの報告書にある近藤と言う貴族主義者に一分の勝利の見込みもありません!」

 青年士官はカルビンの言葉に思わず最敬礼をしていた。

「それだけ知らせてくれれば君の任務は終わりだ。下がって休みたまえ」

 何か言いたいことが有りそうな青年士官に向けてカルビンは優しくそう語りかけた。

「ありがとうございます!」

 青年士官はもう一度最敬礼をすると颯爽とブリッジを出て行った。

「アステロイドベルトでは『遼帝国』宇宙軍と地球遼州派遣軍指揮下のアメリカ海兵隊がにらみ合いっています。特に衝突が有ったという報告は今のところありません」

 艦隊の情報管理を担当する金髪の若手将校がそう言った。

「恐らくこの銀河で艦隊を持つ国家でこの宙域に艦船を派遣していないのはアメリカと遼帝国くらいのものかと思われます」

 手前に立っていた首脳の一人が中央の画面に目をやる。

 そこには1つの大きめの小惑星を巡りにらみ合う遼帝国軍の艦隊とそれに呼応するように動き出しているアメリカ海兵隊の艦隊の画像があった。

「遼帝国の山猿とヤンキーは『茶番』に夢中で我々には関心は無しか……これから起こる出来事には我々にもそれを見学する資格があるらしいね。そしてどちらもこれから起きる出来事は結果が見えすぎていて見る価値もない……そんなところなんじゃないのかな?彼等にとっては」

 静かに老提督ジャン・カルビンはそう口にしていた。

 手前の白髪の士官はそのままレーザーポインターで画面の端に映っている艦に目をやった。

 イギリスの外惑星活動艦の姿がそこにはあった。

「しかしわざわざユニオンジャックが来ているということは、今回の『イベント』は連中にも関心がある出来事のようだ……アメリカの『魔法研究』の情報についてはアングロサクソンの間でもまったく水漏れが無いというところですか?」

 先ほど口を開いた若手士官は苦笑いを浮かべつつそう言った。

「アメリカがそれほどまで守ろうとした秘密が今公然のものとなろうとしている……我々は歴史的な瞬間に立ち会うことになるんですね」

 艦隊付参謀長がゆったりとした調子でそう切り出した。

「そうだろうな。国家に真の友人などいない。友好国であっても、情報が紛争の帰趨を左右するほど重大なものなら知らせる義理はない。それがヤンキーのやり方だろうな」

 カルビンはそれだけ言うと掛けていた眼鏡をはずし、静かに掛け直した。

「それだけこれから我々が目にするのは、歴史を変えるような意味を持つ出来事だということだ。共和国の利益の為には一瞬たりとも目の前の現象から目を話す訳にはいかない……実に重要な任務を我々は国家から与えられているんだ。そのことを誇りに思うことにしよう」

 アメリカ嫌いのカルビンは苦々しげにそう言って笑った。

「私も軍の情報部がヤンキー共が隠しきれなかった『魔法』に関する資料に目を通したが、これから起きる出来事を直接この目に見るまではその中身を信用するつもりは無いよ」

 そう言うカルビンの表情にはこれまで浮かんでいた優しい表情は消え、緊張した雰囲気が彼が歴戦の優秀な軍人であることを見るものに示して見せた。

「恐らくヤンキーが来ないのは見るまでも無く、彼らが『魔法』と呼ぶ遼州人の力のその被害にあったことがあるんだろうね。これはあくまで私の私見だが」

 カルビンはそう言って再びズレかけた眼鏡をただし、ピケ帽を直して気合いを入れ直した。
 
「『魔法』関係……それでは諜報部からの十九年前のネバタ州の実験施設の事故と言うのは?その中心からただ一人、生き残ったあの嵯峨惟基という戦争犯罪者と関係があると考えるべきだな」

 『戦争犯罪者』と言う言葉にブリッジに座る士官の表情は曇った。

「その事故の原因である『戦争犯罪者』、嵯峨惟基があのクーデター部隊を鎮圧しようとしている。実に皮肉な話だね。クーデターを起こした近藤と言う男は十九年前のネバタの砂漠で嵯峨が使った『魔法』について知っているんだろうか?知っているとしたらこのクーデターは狂気の沙汰だ」

 カルビンは静かにずれたピケ帽を直しながら言葉を発した。

 十九年前にネバダのアメリカ陸軍実験場であったという大規模爆発についてはこの場にいる誰もが耳にする機会を持っていた。

「恐らくそれを知らないから未だに籠城を続けているのだろうな。そして嵯峨ではない誰かが起こす『魔法』を我々は目にすることになるだろう。その事だけは確かだろう」

 そう言うカルビンの表情には緊張感と嵯峨の起こす『魔法』への期待が見て取れた。

「ゲルパルトの秩序の守護者を自認する老人から私的に送ってもらったメモにも、驚天動地の大スペクタクルの末に、甲武国の貴族主義者が最期を迎えるとあった。しかもその主役はネバタで次元断層を引き起こすほどの大爆発を起こした嵯峨惟基本人では無いというんだ」

 この場に居るものの誰もがネオナチの首魁がアメリカと対立関係にあるフランスの立場を利用して共和国上層部まで影響力を持っていることは知っていた。

「まあその老人は私にとってはもうすでに過去の人となった人だ。私は彼が言うほど嵯峨の思惑通りにうまくいくとは思わんがね。嵯峨がネバタで使ったそれでは無い『魔法』とやらがどんなに優れたものであっても五十倍の戦力差を覆せるとは私には思えん。ただその嵯峨惟基の持つ力が『次元断層』を引き起こすクラスのものならば……味方の損害を考慮に行けなければこの戦力差は十分覆せる差と言えなくも無いが」

 静かにデブリの中に戦艦の巨体が消えていった。

「艦長。無人偵察機の用意は出来ているか?これから起きる出来事は一瞬たりとも取り逃すことは出来ないスクープになるんだ。大統領閣下もそれをお待ちかねだ」

 カルビンは少し離れた所で海図を見ていたマルセイユの艦長にそう尋ねた。

「全て問題有りません!遼州同盟司法局実働部隊の実力と言うものの全てを知る事ができるでしょう。司令はそうおっしゃりますが、嵯峨惟基と言う男は『部下を見捨てない男』として知られた男です」

 緊張するカルビンに対して柔らかな笑顔で艦長はそう返した。

「あの男にはネバタでの爆発以外の能力が眠っているらしいというのが情報部からもたらされた情報です。それに嵯峨一人だけがあの『魔法』の唯一の使い手だとは思えません。この遼州系が独立した時の地球軍の信じられない敗北を考えれば嵯峨以外に司法局実働部隊内に同様の『魔法』を使える兵が居ると考えるのが自然です。恐らくその人物の『魔法』を使えばピンポイントでクーデターを鎮圧できると嵯峨は読んでいるのでしょう。その新しい『魔法』を使える人物の登場……それを嵯峨がどう利用するかが気になるところではありますが」

 にこやかに答える艦長の言葉にカルビンは表情をこわばらせつつ頷いた。

「確かにそう言う見方もできるね。嵯峨惟基。そう簡単に手札を晒す人物ではない。それが嵯峨惟基だ。ただし確実にいえることは、これから我々は彼が仕組んだ1つの歴史的事実を目の当たりにする事になると言う事だ」

 艦長の進言に対しカルビンは再び表情を柔らかくしてそう答えた。

「不本意では有るが、我々はもう既に彼の手の内にある。そして彼は何手で我々をチェックメイトするかまで読みきった上でこの事件を仕組んだ。私はそう考えているよ。艦長、君の言う通り恐らく嵯峨は自分の『魔法』以外の方法でクーデター部隊を鎮圧するだろう」

 カルビンは確信を込めた口調でそう言った。

「私はもう終わった人間だと思っていたが、ルドルフ・カーンは今回の対局は負けと踏んで、次の対局に備えている……やはり、『一流』は違うという所かな。彼もまだ現役だったということか」

 明らかに不機嫌な提督の反応に、艦長は息を飲んだ。

 
挿絵


「原子力爆弾の投下が時代を変えたように、超空間航行が人類の生活空間の拡大を引き起こしたように、明らかにこれから我々の目にする事で時代が変わる。確実にいえることはそれだけだ。地球人の私には不本意な話だが……遼州人だけが使える『魔法』と言うモノの威力を我々は地球の歴史に今度こそ刻まなければならなくなる。ちょうど400年前に我々の先祖たちが手痛い犠牲をこの星系に胎って手を引いた時の様に」

 そうはき捨てるように言うとカルビン提督は静かに眼を閉じた。


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