琉球結界戦線(07)
夜の国際通りにまた灯りが戻ってきた。提灯の赤とネオンの青が交錯し、軒先から漂うソーキそばの匂いが風に乗る。観光地の光景は一見何も変わっていないように見える。だが、その裏で確かに結界は生きて動いていた。那覇という都市の構造そのものが“霊的ネットワーク”のように形を取りつつあり、それを維持しているのは、直輝たち六人の“選び続ける行動”だった。
その夜、帆夏の家に全員が集まっていた。那覇市内の高台に建つ古い平屋。祖父の代から続く屋敷の裏には、小さな石垣と庭があり、そこにも当然のように二体のシーサーが鎮座していた。門柱に置かれた雄と雌。けれど、今そのどちらも、淡く輝いていた。まるで、何かを“感じ取っている”かのように。
「この輝き、ただの余韻じゃないね。まだ何か“起こってる”」
帆夏がそう言って、シーサーの台座に手をかざした。結界符なしでも彼女の手からはわずかに霊気が立ち昇る。街に張り巡らされた霊的ネットワークに自分の感覚が同調しているのだ。彼女のその力は、結界起動者としての“適性”をはっきりと示していた。
「さっき識名のシーサーが自発的に起動したって言ってたよな?」
悠平が寝転んだまま、スマホの画面を指でなぞりながら言った。
「今さ、うちの祖母の古い資料読み返してたんだけど、どうも“第二結界”ってやつがあるっぽい。今動いてるのは第一層の“防御型”。けど、さらに“審判機能”っていうのが存在してて、それが稼働したとき、本当の“選別”が始まるらしい」
「選別?」
美佳が眉をひそめる。
「どういう意味よそれ。“善悪を見分ける”ってこと?」
「それがね、“善悪”じゃないんだ。“この土地に相応しいかどうか”を判定するって書いてある。もっと感覚的な、“縁”とか“魂の濃度”に近い基準。つまり——」
「結界が人間を“審査”し始めるってこと?」
直輝の言葉に、部屋の空気が固まった。
「そんなの、俺らがコントロールできるもんじゃねぇだろ。霊的システムが勝手に暴走してんのか?」
「でも、違うのかも」
まみがぽつりと口を開いた。
「たぶん、“暴走”じゃなくて“起動”。私たちが結界を動かし始めたことで、眠っていた第二機能が“連動”してる。なら、むしろこれは必然」
「けど、どこからどう起動するんだ。場所の当たりは?」
帆夏が黙って立ち上がった。
「波上宮」
その言葉に全員が振り返った。
「那覇で最も古い信仰の地。海に面していて、“空と地と霊を繋ぐ場所”って呼ばれてる。結界のすべてが動き出した今、その中心点にあたるのが、あそこ」
直輝はゆっくりと立ち上がった。まるで“それを待っていた”かのように、内側から火が灯る感覚を覚えた。いつの間にか、戦うことに躊躇がなくなっている。それが良いことかどうかはまだ分からない。ただ、これまで守りたかったものが、確かにその場所に集まりつつある気がした。
その夜、六人はそれぞれの意志で波上宮に向かった。夜の神域は観光客もいなくなり、灯りもほとんど落ちていた。石段を登るたびに、空気が静かに変わっていく。風が止まり、鳥の声も消え、ただ霊の気配だけが濃くなっていった。
拝殿に立つと、正面にある対のシーサーが同時に“顔を上げた”。
「来るって、分かってたみたいだな……」
卓が言った。どこか畏敬を含んだ声だった。彼の高貴な性質は、こうした場所では不思議なほど自然に馴染む。言葉の重さ、態度の節度、それらが霊的な空間を乱さずに保つ。
「中央に立って。“審判”が始まる」
帆夏が小さく告げた。
その声に応じて、直輝が一歩、拝殿の中心に立った。その瞬間、拝殿の奥、社殿の屋根上に“人影”が現れた。いや、正確には“霊”だった。目は赤く光り、身体は風のように揺れている。だがその姿には、不思議なことに“怒り”も“怨念”もなかった。ただ、“見ている”だけだった。
「審判霊だ……」
まみが呟く。
「この霊は、選ばない。見るだけ。そして、私たちが“どう選ぶか”を見て、それを境界に刻むの」
「だったらこっちのやることは一つだ」
直輝は腕を組み、真っ直ぐ霊を見返した。
「俺たちはこの街に生きてる。“昔からいた”っていう理由じゃなくて、“今ここにいる”っていう理由で、ここに立ってる。だから、この街の境界に、俺たちの“意思”を刻ませてもらう」
その瞬間、霊の瞳が大きく見開かれた。そして静かに頷くように身を翻し、夜空に溶けて消えた。
それと同時に、社殿の奥から低い音が鳴った。まるで大地が呼吸を始めたかのような波動。結界の最終層が、起動を始めた。
波上宮の拝殿に立つ六人の影が、月の光に照らされて静かに伸びる。
それは“都市”という舞台で、霊と人が選び合った“結界の意思”。
次は、彼ら自身が“何を変えるか”を問われる番だった。
(次:08へつづく)