琉球結界戦線(06)
那覇の朝が来た。結界中枢が再起動し、街全体に満ちていた霊的な“濁り”はひとまず消え去った。空気は澄み、蝉の声も高く響く。観光バスが国際通りに列をなし、地元の高校生たちがコンビニの袋を片手に笑いながら通り過ぎていく。けれど、街のそのど真ん中で、目に見えない“選択”が、ひとつひとつ確かに積み重ねられていた。
直輝は那覇高校の屋上に立っていた。昨夜の出来事が遠い夢のように思えるのに、身体の奥に残る疲労と霊圧の残響が、その現実を否応なく証明していた。彼はあの白いシーサーの瞳の光を、今も脳裏にはっきりと焼きつけていた。あれはただの封印装置じゃなかった。“この街を託された存在”だった。そこに込められた意思と記憶を感じたからこそ、今でも心が落ち着かない。
「変わったね、あんた」
後ろから声をかけてきたのは帆夏だった。彼女も制服の袖をまくり、風に髪をなびかせていた。その横顔には、あの日までに見たことのない柔らかさがあった。
「何が?」
「顔。前はもっと、無関心そうだった。いろんなことに“関わらない”ようにしてたでしょ。自分で決めたつもりの距離感、誰にも期待されないようにしてる顔だった」
「そう見えた?」
「うん。でも今は違う。誰かの言葉を受け取って、自分の言葉で返そうとしてる。たとえそれが正解じゃなくても、“向き合う”っていうのは、あんたにとってすごく大きな一歩だったと思う」
直輝は答えなかった。ただ、視線を水平線の先へ向けた。帆夏の言葉が、胸の奥のどこかでじんわりと染みていく。
「お前はさ、何でこんなにこの街にこだわるんだ?」
少しの間を置いて、帆夏は答えた。
「小さい頃、那覇に来たばかりの頃ね。“ここにいていい”って思えたの、この街だけだった。家族も遠くて、学校にも馴染めなくて。でも、シーサーが笑ってるのを見た時、“ここなら大丈夫”って、根拠もなく思えたの。それが、私の最初の“選択”だったのかもしれない」
「……それ、強いな」
「ううん、弱いよ。だから私はいつも誰かに“共感”を求めてた。自分の選択が間違ってないって、誰かに言ってもらわなきゃ不安だった」
彼女はふっと笑った。
「でもさ、今回みたいに一緒に戦って、選んで、選びなおして……それを繰り返していく中で、やっと分かった。“私が信じたもの”は、“間違い”じゃなかったって」
直輝は初めて、帆夏に対して言葉を選ばずに口にした。
「俺もお前に救われた。たぶん、お前がいなきゃ、あの結界の意味も、シーサーの眼の光も、何ひとつ分かんなかったと思う。感謝してる」
帆夏は目を見開いて、それからまるで困ったように眉を下げた。
「そういうこと、さらっと言わないでよ。……泣きそうになるじゃん」
彼女の声が震えていた。そのままの空気の中、二人はしばらく並んで風を感じていた。
下校時、悠平が連絡を寄越した。
《識名のシーサーが急に起動した。勝手に結界網が拡張してる》
それはつまり、“結界そのもの”が独立して動き始めているということだった。人の手で再起動された中枢に、“意志”が宿った証拠でもある。
「……じゃあ、こっちも負けられないな」
美佳が言った。彼女はいつものように感情を表に出さず、けれどその歩き方に決意があった。
「今度こそ、“選ばれる”側じゃなくて、“選ぶ”側にならなきゃね」
まみが静かに言った。
「私は“責任”を果たすためにこの場にいる。それが私の唯一の存在理由だから」
卓は眉を上げた。
「それが誇りだと言い切れるなら、迷うことはない。嘘がつけない自分が、ここで“必要”とされるなら、全力で働く」
彼らの声は、それぞれの立場と背景の中で“自分の意思”として形を取りはじめていた。誰かに言われたからではない。逃げられないからでもない。ただ、自分の“言葉”で、この街と向き合おうとしている。
そして、結界はさらに拡張を続けている。
“霊的な街”が、再び“生きた都市”として形を取り戻すために。
夜、直輝はふたたび祠に立った。白いシーサーの眼は、変わらず輝いている。その光の奥に、これから先に起きるすべての予兆と、そして希望が静かに眠っていた。
「今日も、守れたか?」
小さく呟いたその声に、答えるように、シーサーの瞳が一瞬だけ強く光った。
(次:07へつづく)