―鬼の血を引く者たち―(02)
落下の感覚は、重力のそれではなかった。まるで空間そのものが引き裂かれ、意識ごと引きずり込まれるような、ひどく異質な浮遊。地面に叩きつけられた痛みではなく、“記憶の底に沈むような”感覚が、六人を襲った。
目を覚ました大空の視界は、ぼやけていた。仄暗く、赤黒い霧が地表を這っている。空は存在せず、天井のような膜が広がり、桃源郷を模したはずの霊界とは思えない異形の空間――これは、完全な“鬼界”だ。
「……全員、無事か?」
声は無機質で、だがその中にわずかな焦りが滲んでいた。
「うー……ここ、どこよ……。着地したって感じでもないし……なんか、気持ち悪……」
陽彩は口元を押さえ、ふらつきながら立ち上がる。背中を支えるように、翔太がすっと手を差し出した。
「大丈夫? 空間の歪み酔いだね。俺もさっきまで吐きそうだった」
「さらっと言わないでよ、余計具合悪くなるじゃん……」
視界の向こうで、千波が千恵に支えられながら辺りを観察していた。彼女の手元にはセンサー装置があるが、ディスプレイはすべてエラー表示を示していた。
「霊脈、反応しない……ここ、座標が存在してない」
「“座標がない”って、どういうこと?」
航輝が眉をひそめる。
「言葉通り。今私たちがいるこの空間、“地図にない世界”ってこと」
「鬼の巣だ」
大空の一言に、全員が沈黙する。
この空間はナタ鬼の影ではない。双身鬼――“影を喰らう鬼”の領域。ナタ鬼を囮として“桃庁”の介入を誘い、隊ごと異界に引きずり込む。それが彼らの狙いだった。
「……でもさ、この空間、妙じゃない?」
翔太がそう言って、指を差した先。そこには、明らかに“古代日本風の建築”が並んでいた。屋根瓦に苔が生え、朱塗りの門が傾いている。だが、どこかで見たことのある風景だった。
「これは……桃源郷?」
陽彩が呟いた。そう、それは伝承に語られる“理想郷”――人と鬼とが共存していたとされる、古の幻の国。その構造がここにはあった。だが、明らかに腐敗していた。
「共存の果て……か。桃源郷は滅んだとされてるけど、もしかして……」
「滅びの理由が、“鬼に喰われた”なら、説明がつく」
千恵が呟いたとき、闇の中から声がした。
『桃太郎庁の犬どもよ。よくぞ来たな。ここが、真の桃源郷だ』
空間に響く声は、重く、冷たい。次の瞬間、空間の中心に“影”が立った。
それは、人の形をしていた。だが、その影は皮膚を持たず、無数の鬼面が身体に浮かび上がっている。
「……双身鬼、出たわね」
千波の呟きと共に、全員が構えた。だがそのとき、大空の身体がふと反応した。
「ッ……こいつ、俺の“血”を呼んでいる」
双身鬼が笑った。
『桃太郎の血か。懐かしい。我らが喰らった、最初の“人”の記憶――それをお前たちは、まだ引きずっている』
霧が渦巻き、六人の周囲を囲む。双身鬼の腕が伸びた瞬間、大空が飛び出した。
「逃がさない」
それは、彼にしては珍しく感情のこもった言葉だった。