31.ぬらりひょんの野心
桃姫と雉猿狗がぬらりひょんの館に来てから五年の歳月が経ち、食堂では桃姫の誕生日を祝う祝宴が行われていた。
桃姫は十六歳となり、見た目にもかつての幼さは消えていた。
「桃姫様、お誕生日おめでとうございます! はい、こちらがご所望のお食事です!」
「──わぁ! これ! 雉猿狗の握ったおにぎりが食べたかったんだよっ!」
厨房の中から雉猿狗が大きなおぼんを抱え持ちながらやってくる。
おぼんの上に置かれた大皿には、雉猿狗が握った白く光り輝くおにぎりが大量に並んでいた。
「ねぇ、夜狐禅くんも食べて! 本当に美味しいんだから! ──いっただっきま~す!」
食台に置かれた大皿のおにぎりを一つ手に取りながら、濃桃色の瞳を輝かせた桃姫が夜狐禅に声をかけると、湯気を立てる白いおにぎりにかぶりついた。
「──ん~! 美味しいっ!」
「ははは。本当に美味しそうにお食べになりますね。それでは僕も一つ、頂きます雉猿狗様」
満面の笑みを浮かべて雉猿狗のおにぎりを頬張る桃姫の姿を見て夜狐禅も思わずほほ笑むと、雉猿狗に言いながらおにぎりに手を伸ばした。
「はいどうぞ。たくさん握りましたので、皆様遠慮なさらずに召し上がってくださいませ」
雉猿狗が食堂に集まった妖怪たちを見回しながら声を掛けた。そして、妖怪たちが雉猿狗の握った太陽の味がするおにぎりを食べていると、穏やかにその様子を見ていた雉猿狗がおもむろに席を離れ、一着の着物を持って再び食堂に現れた。
「──桃姫様。館の皆様から、桃姫様への祝いの贈り物がございます」
「……えっ」
雉猿狗の言葉を耳にした桃姫が、その手に抱える着物を見て驚きの声を上げた。それは桃姫の体の成長によって着れなくなっていた桃色の着物であった。
「こちらは、妖々剣術を会得して成長した桃姫様の御身体に合うように、身のこなし軽やかに、動きやすいように繕い直したお着物にございます──浮き木綿様の"献身的な協力"によって完成に至りました」
「……"献身的な協力"って……?」
笑顔で告げる雉猿狗の言葉に疑問符を浮かべた桃姫が言うと、隣の席に座った夜狐禅が口を開いた。
「桃姫様が身にまとうお召し物の"布地"になりたいと、自ら進んで立候補なされた浮き木綿様を素材として用いて、雉猿狗様が繕ったんですよ」
「……えっ!?」
驚愕した桃姫は、しかし、雉猿狗から受け取った着物を広げて自身の体と合わせてみた。
十歳の記念として両親から贈られた桃色の着物は、十六歳となった桃姫の体に合うように見事に繕い直され、見た目にも新たな物となっていた。
「……ぬらりひょんさん、こんなことして大丈夫なのかな?」
「ほっほっほ……浮き木綿を用いた着物など前代未聞じゃが……なに、自ら望んで"布地"になったのじゃから、遠慮なく着るとよい」
桃姫が対面の席に座るぬらりひょんに尋ねると、ぬらりひょんは笑いながら答えた。
「それにただの着物ではないゆえ、着れば何らかの"妖力"が得られるかもしれんしのう……ほっほっほ」
ぬらりひょんはそう言って笑うと湯呑みから茶をすすった。
「うん……そうですよね。ありがたく着させてもらいます。ありがとう、雉猿狗。それに館のみんな、本当にありがとうございます……!」
桃姫が礼を述べると食堂に集まった雉猿狗と妖怪たちが皆一様に祝福の拍手をした。
ただ、その中でただ一人、ぬらりひょんだけが湯呑みから茶をすすりながら白濁した眼を細めて、明るい笑みを浮かべる桃姫の顔を眺め見ていた。
──桃姫……桃太郎の娘……かようにも美しく育つものか。
──五年前、館に来たばかりの頃は髪も短く、ちんちくりんであったのに。
──長く伸びた桃色の髪からかぐわしい芳香を館中にふりまいておきながら、己はその魅力にみじんも気づいておらんとは。
ぬらりひょんは自身の中に強く煮えたぎるように現れた"野心"を止める術をもはや持ち合わせていなかった。
──桃太郎の血……ほしい。鬼退治の英雄の血脈が……何としてでも、ほしい。
──桃太郎とぬらりひょんが交じりあった子供……生まれてくるのが男児であろうと女児であろうと、それは間違いなく日ノ本最強の妖怪となるであろう。
──このぬらりひょん、己が欲したものは、何としてでも手に入れる。これまでもそう、必ず手に入れてきたのじゃ──。
「──ぬらりひょんさん! ぬらりひょんさん!」
「……ん、ん──?」
ぬらりひょんは不意に桃姫から呼びかけれていることに気づいて空になった湯呑みから慌てて口を離した。
「……なんじゃ? 桃姫」
「それもこれも全部、ぬらりひょんさんのおかげです! 私と雉猿狗を館に受け入れてくれて、家族として接してくれて、本当にありがとうございます! ──これからも、よろしくお願いします!」
桃姫は純粋無垢な笑顔をぬらりひょんに向け、見ていて清々しい気持ちになるほどの心からの感謝の言葉を述べた。
ぬらりひょんは、そんな桃姫に対して静かに深くうなずいて返しながらも、白濁した細い眼の奥にて今夜、止められなくなった"野心"を解き放つことに決めたのであった。
そして、祝宴が終わり、広い食堂にぬらりひょんと夜狐禅のみが残ると、ぬらりひょんが夜狐禅の耳元に向けて口を開いた。
「──夜狐禅よ……今宵、決行する──」
「……頭目様……その御意思は、変わらないのですね……?」
ぬらりひょんの言葉を聞いた夜狐禅が、確認するように小さな声で尋ねた。
「……予てから決めていたことじゃ、いずれはこうするとのう。その日が訪れた、ただそれだけのことよ──」
「…………」
夜狐禅は沈黙したまま、自身が仕える奥州妖怪頭目の揺らがぬ決意をひしひしとその身に感じ取るのであった。
それからしばらく後、桃姫と雉猿狗の二人が洋風の自室にてくつろいでいると、部屋の扉が数回叩かれて夜狐禅の声が届いた。
「──桃姫様、居られますか……」
「ん……夜狐禅くん? どうしたの?」
扉を開けた桃姫が廊下に立つ夜狐禅に話しかけると、夜狐禅は部屋の中にいる雉猿狗と目があった。
「…………」
椅子に腰掛けた雉猿狗は夜狐禅の様子を黄金の波紋が浮かんだ翡翠色の瞳で眺めるように見ると、夜狐禅は視線を桃姫に移した。
「頭目様が、日が変わる前に桃姫様にお渡ししたい物があるそうなので連れてくるようにとのことです。行きましょう」
「ぬらりひょんさんが……?」
夜狐禅の言葉を聞いた桃姫が廊下に一歩出ると雉猿狗が椅子から立ち上がって口を開いた。
「……夜狐禅様、私も行ってよろしいでしょうか」
「いえ、これは桃姫様への言伝なので、雉猿狗様はそちらでお待ち下さい」
雉猿狗の言葉を受けて夜狐禅は言って返すと、いぶかしむ雉猿狗の視線を避けるように扉を閉めて桃姫と廊下を歩き出した。
「……ねぇ、夜狐禅くん」
燭台のロウソクに照られされる赤い絨毯が敷かれた長廊下を二人で歩いていると、先を行く夜狐禅の背中に桃姫が語りかけた。
「私、思ったんだ。夜狐禅くんと私……同じ歳の取り方をしてないんじゃないかなって」
桃姫の言葉を聞いた夜狐禅は立ち止まると、桃姫に振り返った。
「ほら、背が……ね? 初めて会ったときは同じくらいだったのに、今は夜狐禅くんを大きく越えちゃったね」
桃姫はそう言って、夜狐禅の頭の上に手を乗せると自身の胸元に移動させた。
「僕は妖怪ですからね……でも、ゆっくりとですけど、成長はしてるんですよ」
「そうなんだ」
「──はい」
夜狐禅はそう言って顔を上げると、桃姫と視線を合わせた。桃姫は夜狐禅の長い前髪から覗く不思議な紋様の浮かぶ紫色の瞳を見つめた。
「──桃姫様──御休みくださいませ──」
「……夜狐禅くん……っ……」
夜狐禅の紫色の瞳に浮かんだ紋様がぐるぐると渦を描くように回りながら淡く発光すると、それを見た桃姫の意識にかすみが掛かっていき、そして遂にはその場にドサリ──と崩折れるようにして倒れ伏した。
「……この力……もう二度と使わないはずだったのにな……」
目を閉じて穏やかな寝息を立て始めた桃姫の姿を見下ろして夜狐禅が呟くように言うと、廊下の角からぬらりひょんが姿を現した。
「──でかした、夜狐禅──」
杖をつきながら近づいたぬらりひょんは夜狐禅の背中にそう声を掛けると、横たわった桃姫の姿を満足気に眺めてから口を開いた。
「次は雉猿狗──あの厄介な"獣女"を地下牢に閉じ込めるのじゃ……"事が済む"までのあいだ、のう」
「……はい……頭目様」
夜狐禅はぬらりひょんの言葉に目を伏せながら答えて返すと、長廊下を戻って部屋に残された雉猿狗の元へ向かった。