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第57話 釣り師の為だけの国

 その三日後、誠は着替えと演習場到着までの一週間にわたる航海に備えて、製作中の戦車のプラモデルを入れた大きな荷物を抱えて、本部の広すぎる駐車場に立っていた。

「神前。貴様は新入りだろ?隊員の輸送のバスの運転は貴様がやった方が良いんじゃないか?大型二種の運転免許も所持しているんだ。運転は貴様が……無理だな。他人が乗っている車を運転すると事故を起こすんだったな。分かった」

 隣にはカウラ・ベルガー大尉と言う『パチンコ依存症』の小隊長が立っていた。

「カウラさんそんなにあっさり諦めないでくださいよ。それにしてもうれしそうですね、カウラさん。宇宙に『パチンコ屋』はないですよ。パチンコしか趣味の無いカウラさんには苦痛じゃ無いんですか?」

 カウラ=パチンコと言う刷り込まれた意識から、誠はそう言った。

「大丈夫だ。『ふさ』には私の『パチスロコレクションルーム』がある。当然新台もある。全部私がメーカー直接交渉して手に入れた大事なコレクションだ。これでクバルカ中佐の許可の下、演習場到着までは一日中パチンコ三昧の日々が過ごせる。これは楽しい演習になるだろう」

 そう言ってカウラは誠を見上げて右手を握りしめていい顔をした。エメラルドグリーンのポニーテールにその真剣な表情が似合っていて誠は照れ笑いを浮かべた。

「新台……メーカーから直接買ってるとか言ってましたよね?そんなことなら軍を止めて『パチンコアイドル』にでも転職した方が良いんじゃないですか?カウラさんなら出来ると思いますよ」

 誠がそう言ったところで大型バスが駐車場に入ってきた。

「それより、貴様。酔い止めは?飲まないとバスの乗車時間は長いぞ……大丈夫なのか?」

 そう言ってカウラは誠を見つめた。

「今朝、起きた時とさっき強いのを飲みました。エチケット袋も十枚用意してあるので大丈夫です!」

 誠は常に『乗り物酔い』と付き合うことに慣れていたので朗らかにそう答えた。

「そうか……貴様の為に用意をしたんだが……」

 カウラはうつむきながら、手にした手提げ袋を後ろに隠し、恥ずかしそうにつぶやいた。

「何か持ってきたんですか?カウラさん」

 誠はカウラの言葉を再確認しようとした。そこで後ろからの蹴りで地面に体を叩きつけられた。

「元気!」

 でかい糸目の運航部部長。アメリア・クラウゼ少佐が糸目をさらに細くして立っていた。いつものように『修羅の道』とプリントされた真っ赤なTシャツを着たその姿はとても一軍事組織の幹部には見えなかった。

「いきなり蹴らないでください!」

 誠は実働部隊の夏服についた埃を払いながらそう言った。

「いいじゃない!誠ちゃん!それよりバス来たわよ」

 アメリアはそう言って駐車場の入り口を指さした。そこには大きな観光バスがあった。その車体には地元では名の知れた私鉄系バス会社のエンブレムが塗装されている。

「レンタルしたんですか?うちってそんなに金がないんですか?」

 誠は『特殊な部隊』のドケチ気質に呆れつつそう言った。

「だって、『ふさ』のある『多賀港』が最寄り駅まで車で二時間かかる辺鄙(へんぴ)なところにあるんだもん!電車で行っても意味ないもん!」

 180センチの三十代美女とは思えない駄々っ子ぶりに誠は呆れて、近づいてくるバスに目をやる。

 いつの間にか誠の周りには、『特殊な部隊』の隊員達であふれていた。誰もが油断しきった表情でめんどくさそうに夏の日差しの下で突っ立っていた。

 バスは三台だった。その一番最初に見えた車両の自動扉が誠の目の前で開いた。

「誠ちゃんは最前列の窓側よね、酔うから」

 一番乗りをしたアメリアはそう言って誠の手を引っ張った。

「荷物が……」

 そう言って誠はノリノリのアメリアに抵抗した。しかし、いつの間にか誠の荷物は、カウラによってバスの中央にあるトランクスペースに運ばれていた。誠の手には十枚のエチケット袋と最終手段の強力酔い止め錠剤が残されていた。

「じゃあ!行きましょう!」

 アメリアはバスの運転手の肩を叩きながらそう叫んだ。

 迷惑そうなバスの運転手に誠は静かに頭を下げた。そして、誠も十分迷惑だった。


 
 バスが『多賀港』に到着して、まず最初に誠が降りてしたことは『吐く』ことだった。

「神前……大丈夫か?」

 バスを駆け下りてどぶ川を見つけてそこに向けて誠は残り少ない胃液を吐き出した。カウラは心配しながらそう言って誠の背中をさすった。

 誠は胃に溜まった胃液を吐き切るとようやくあたりを眺めた。それは『運用艦』の係留地としてはあまりに異様な光景が広がっていた。

 真新しい『漁村』がそこにはあった。大きな駐車場に釣具屋が並ぶ。その間には魚料理を食わせる店が点々と並んでいた。

「ここ……うちの『基地』ですよね?運用艦の『母港』ですよね?『釣り客目当ての観光地』じゃないですよね?そこの建物。看板に『釣り宿』とか書いてありますよ?」

 後から誠の荷物を手に近づいてくるアメリアに誠はそう言った。

 
挿絵


「疑問詞が多いわね。ここは『釣りのパラダイス』としてその道のマニアには知らない人が居ない新たな釣りの聖地だもの。司法局実働部隊、運用艦『ふさ』の専用母港でもあるけどね。まあ、うちの『ふさ』が来てからは、その管理人員達の総意の下に一大『釣り』テーマパークとして成長を続けているけどね」

 アメリアの嬉しそうな言葉の意味を誠はまるで理解することができなかった。

「『釣りテーマパーク』?何ですか?それ」

 そんなアメリアの言葉で、誠は自分が所属しているのが『特殊な部隊』であることを思い出した。

 ここは学生の常識など通用しない『特殊』な社会なのである。

「アメリアさん。今、『釣り』テーマパークって言いませんでした?」

 少しは自分の理解が通用するかと思いながら誠はアメリアに尋ねた。

「神前。貴様はずっと『吐いて』いたから知らないだろうが、この『多賀港』の半径二十キロには一切人家が存在しない」

 アメリアの笑顔を見つめていた誠の背後から、カウラがそう言った。

「カウラさん……それはどういう意味ですか?」

 誠はカウラの『パチンコ依存症』が発症したのかと思って振り返った。カウラは極めて普通に無表情だった。

「この『多賀港』における『ふさ』の維持管理には多くのマンパワーを必要とするが、こんな僻地(へきち)に来る人間は稀なんだ」

 カウラの言葉に誠は少し疑問を持った。

「でも……宇宙や極地なんかに派遣される軍の人は、そう言う『不便』を甘んじて受け入れますよね、普通」

 アメリアは相変わらずの糸目の笑顔だった。カウラは少し困った顔で誠を見つめている。

「バーカ。そんな『(こころざし)の高い』人間がうちみたいな『特殊な部隊』に来るか?他に務まる任務なんざいくらでもある」

 背後でハスキーな女性の声が聞こえたので、誠は振り返った。そこには、いつもの細い茶色のタバコをくわえたかなめが立っていた。

「それって自慢になりますか?」

 誠のまともな問いに答えずかなめはタバコをふかしていた。

「まず、叔父貴が目を付けた『特殊な部隊』向きで、『ふさ』の機関員とかを集めようとしたら、ほとんど逃げられたわけだ。この『多賀港』があまりに僻地で娯楽施設などの楽しみが無いことがバレたんだ。結果、ある娯楽に命を懸ける、『熱い奴等』三名だけが残ったわけだ。これが『特殊な部隊』最強の部の創設を叔父貴に決断させた」

 かなめの少し自分の常識とは異なる見方に、誠はもうすでに慣れている自分に気づく。

「その『熱い奴等』の娯楽が『釣り』ですか?」

 そうあって欲しくない願望を込めながら誠はそう言った。

「そうよ!『釣りをしている時間は任務中に換算する』と言う一言を隊員募集の募集要項に付け加えたのよ。私達の運用艦『ふさ』を支えるのは『釣り』と、『海産物』に対する絶えざる情熱に燃える『釣りマニア』達!私達ブリッジクルーである『運航部』と島田君の『技術部』、そして『偉大なる中佐殿』を『神』と仰ぐ誠ちゃん達『機動部隊』以外のすべての業務は、彼等『釣りマニア』によって行われているのよ!」

 誠の背後からアメリアの誇らしげな熱弁が響いた。

「僕はクバルカ中佐を『神』認定してないですよ。かわいくて『萌え』ますけど……あまりに『体育会系』過ぎて」

 そんな誠の反論は三人の女性の上官達に完全に無視された。

「奴等『釣りマニア』達は、その釣りへの『愛』のために迫害を受けた、悲しい過去を持つ人間達だったんだ。この遼州同盟各地から『釣りへの愛』で人生が壊れた『釣りバカ』が集まり、全宇宙最強の部隊、『司法局実働部隊艦船管理部』、通称『釣り部』が生まれた」

 誠の脇でカウラはそう情熱的に語った。カウラと同じく『娯楽』で人生を棒に振っている仲間意識がその言葉から感じられた。

「その人達何しにうちに入ったんですか?うちは出動が少なくて普段は釣りに集中できるからですか?」

「分かっているなら聞くんじゃない!貴様の言う通り連中にとってここ以外に生きていける場所は無い!」

 カウラは珍しく感情をあらわにしてきっぱりとそう言い切った。

「人生のすべてを投げうって、ただひたすらに『釣り』に打ち込むその姿。それが奴等の共通言語だったんだ。国境も人種も関係なかった。そしてこの『多賀港』は奴等にとって天国だった。豊かな海、手つかずの山野が奴等の情熱に火をつけた。ここに一大『釣りマニア』の天国を作ろう。奴等はそうして自分の不幸な過去をすべて封印してそう誓い合ったんだ」

 エメラルドグリーンのポニーテールの下の素晴らしいカウラの笑顔に誠は引き込まれた。言っていることはどうにもおかしなことだったが。

「カウラさん。もしかして『釣り部』の人達にシンパシーを感じてません?」

 誠の問いにカウラは我に返ったように照れ笑いを浮かべてうつむいた。

「確かに昔の私を見ているようだとは感じる。だが、パチンコは生活費を稼ぐ手段にもなる!ただの食料にしかならない釣りより高等な娯楽だ!」

 顔を上げたカウラは誠に向けてそう言い放った。

「でも、釣りに行くために強盗した話は聞きませんよ。パチンコはありますけど。でも確かに……『釣り』と『海産物』は……どこにでも好きな人がいて、それでとがめられることはあまりないですからね。でもどれくらい投げうったんですか?『釣り部』の人達」

 とりあえずカウラにこれ以上しゃべらせると何を言い出すかわからないので、誠は隣でタバコを吸っているかなめに向けてそう言った。

「大したことじゃねえよ。釣りのために家族を捨てたり、戦場で持ち場を離れて釣りをしていたり、釣りができないと破壊活動をしたくらい。大したことじゃねえだろ?普通だろ?カウラのパチンコよりよっぽどマシだ」

「何を言う!適度にたしなむ程度ならパチンコは娯楽の王者だ!」

 目の前で言い争うカウラとかなめ以上に『釣り部』の連中はヤバい。誠は彼女のあまりにも普通な口調に恐怖した。

「それとこんなことは万が一にも無いとは思うが連中の釣り竿に触れてみろ。次の瞬間には貴様はこの世の人では無くなっている」

「カウラさんありがとうございます。気を付けます……」

 カウラまでも恐怖させる『釣り部』の存在に誠はひたすら恐怖した。


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