Chapter 03
働いてニヶ月ほど経った頃、勤務終了後に経理担当の人から呼び出された。
「来月から給与明細が電子になるようになった。戸狩君メールアドレス教えてもらっていい?」
「メールですか? あんま使わんのでパスワード忘れてるかも。ちょっと確認してみます」
そう言って昔使ってたメールアカウントにログインしようとした。パスワードが全然思い出せなかったが、自分の誕生日を入れると入れた。
「うわ、単細胞やな。入れましたわ。このメアドでお願いします」
「はーい」
翔は書類にメールアドレスを書いて渡した。そして帰宅準備をして、バスを待ちながら溜まっていたメールを削除しようとメールをひたすら選択していると、見覚えのある名前が目に入った。歩睦からのメールだ。
「翔! 久しぶり! 色々忙しくて連絡出来んかってんけど元気してる? こないだ久々に西澤と津田に会ってんけど、今年の夏沖縄に旅行行こって話になってさ、翔も誘おうやって話になってん。もし行けそうやったら一緒に行かへん? 俺、個人的に翔に話したい事あんねん」
二ヶ月前に届いていたメールだ。翔は嬉しく思ったが、順調な人生を歩んでいるであろう歩睦や西澤、津田に比べて、ドラッグにまみれた自分の生活をみじめに思って返信する事が出来なかった。
後先を考えずに揃えた高級な家具、今の仕事からすれば高い家賃のマンション、さらにまるで往年のロックスターのようにドラッグに注ぎ込んでいたため、組長殺しで浅井から得た金も底を尽きていた。
沖縄に行って歩睦たちと会えば、また新しい自分の人生を見つける事が出来るかも知れないとも思ったが、こんなに情けない自分をかつての友人には見せれないと、高いプライドが邪魔をして、いつもの生活に戻った。
それから程なくして、今度は電話番号宛にメッセージが届いた。陣内からだった。
「元気でやってるか? 実はこっちでちょっと動きがあった。時間は不確定だけど今日の夜電話で話せるか?」
北海道に着いて、甲本と無事に会えたという連絡をして以来だった。動きがあった? どういう動きかわからなかったが、翔は気になって胸がザワザワした。
「わかりました。明日は仕事休みなんで何時でも起きときます」そう返信した。
一時過ぎ、日付けが変わってから電話は来た。
「おう久しぶり。元気だったか?」
「まあなんとか……」
「元気なさそうだな。まぁいいや。お前にいい話だ」
「なんですか?」
「組長が死んだ件な。当たり前だけどお前ってもうバレてる。でもその話が上部団体含めて行われた時に俺含めて数人、お前が組長からどんな仕打ちを受けてたかっつう話もちゃんとしたんだよ。特に俺は後輩一人自殺してるからな。そん時の話も含めてさ」
「はい」
「で、そん時に昔から組長の事を知ってる上部団体の偉いさんが、冗談混じりに厄介払い出来てちょうど良かったんじゃないかって言い出したんだ」
「マジっすか」
「おう。それでチャンスだと思ってお前の今までやってきた功績とかな、まぁ別にそこまで大したアレじゃないけど、そこらの若いやつに比べたらよっぽどいい動きしてましたよって話とか、大江組の顔であった千葉がどんだけ気に入ってたとかな」
「はい、はい」
「そんでこの殺しに、他の組が関わってるとかでもないし、ある条件で組長殺した事は手打ちにするって話が出たんだ」
「ほんまですか?! 条件ってなんですか?」
「まず鉄板だけど指だ。これは言われたわけじゃないがケジメとして持っていこう。でもこれは実際話つけに行く直前でいい。俺が手伝ってやる」
「わかりました」
「後大事なのはこっからだ。実は北海道でデカい取り引きがある」
「北海道で? 関東の組が?」
「あぁ、上部団体の二次団体は北海道にもある。割とデカめかつ危険な取り引きだから人がいるっつう事でお呼びがかかった。もちろんお前一人じゃない。当日は俺とか鮎川あゆかわさん含めて六人はいく」
「どういう取り引きなんですか?」
「八月にロシアから覚醒剤六百キロ、マカロフ百丁が小樽港に到着する。お前は北海道に住んでるからその下準備と、当日取り引きに参加してもらう」
「六百キロ?! そりゃデカい山ですね。え、でも自分はその下準備と取り引きに参加するだけ? それでほんまに手打ちなんですか?」
「あぁ、別に他の人間はお前が北海道にいる事も知らん。遠いから関東戻るまでにおまわりに見つかる確率もその分上がるし、ロシア人との取り引きも初だ。スムーズに事が済む相手なのかどうかもわかんねぇから危険な取り引きには変わりねぇんだ。どうだ。やるか?」
「もちろんです。ちなみに自分の報酬はどんなもんなんですか?」
「ブツ自体がそもそもの組自体への報酬だけど、デカい山だからそれぞれに組から成功報酬は出るぞ。実行者には一人当たり五百万くらいかな。お前は立場が立場だから、下準備の行動も含めて、だが」
翔はそれを聞いて歩睦の顔が浮かんだ。このまま手打ちにしてもらえば、もうこれ以上組織から追われる事もない。この取り引きで得た金で沖縄に行き歩睦たちと過ごし、余った金を担保に融資を受け、店でも開こうと考えた。
中古車販売を経営している甲本の羽ぶりの良さや穏やかな暮らしを目の当たりにした事で、北海道に着いてからずっとかすかに思っていた事でもあった。
「あの、相談なんですけど、その取り引き成功させて手打ちにしてもらった後、組から抜ける事て可能なんでしょうか」
「なんだカタギになりたいのか。今の仕事が楽しくなったのか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど、なんか店でも開こうかなと思って。ほんま勝手な事ばっかり言うて申し訳ないんですけど、色々と疲れちゃいまして……」
憧れの千葉、刺激的な毎日。一番自由な職業と思っていたが、実際は上下関係も厳しく、親や兄貴分の言う事は絶対。
金回りは確かに良いが、その実は、ある意味どんなサラリーマンよりもお堅い仕事だった。上部団体や他の組織との関わりや礼儀。千葉に教わって見たスカーフェイスのような単身で成り上がるなんて夢物語は、少なくとも現代の日本の裏社会では不可能だった。
それよりも自分で起業して、実業家にでもなった方が、しがらみもなく自由で、天井もなく頑張った分だけ稼げて、やりがいがあるように感じていた。
「最後の大仕事ってわけか。まぁ好きにすればいい。取り引きも成功させて指まで持ってってケジメつければ、上も聞かない話ではないと思うぞ」
「わかりました。ありがとうございます。絶対に成功させます」
電話を切った後、翔は歩睦に返信をした。
「久しぶり! メール全然見てなくて今気付いた。沖縄、ええな。ぜひ行きたい。まだ間に合うか? 間に合うなら詳細送ってくれ!」
一時間も経たない内に返信が来た。
「おぉ! もうメールも繋がらんかと思った! 間に合う間に合う! 一応八月二十二日から二泊三日でホテル取ってる。俺らは関空で待ち合わせしていくけど翔今神奈川やろ? 那覇で直接合流した方が早いか?」
小樽港での取り引きのちょうど一週間後だ。
「おう、俺は当日那覇で合流するわ。ちなみに最初のメールに書いてた個人的に話したい事ってなんなん?」
「おっけい。また新しい電話かラインも教えといてや。話は当日のお楽しみや!」
七年ぶりに連絡を取り合ったとは思えないほど自然な関係性に、翔は気持ちが昂った。