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第53話

 モサヒーは大気圏上層にて宇宙に漂う無人偵察機に信号を送り、また管理者からの連絡を受け取った後、今日はいつものように真っ直ぐ帰ることはせず『偵察』を兼ねて広大な大陸の様子を眺めながら浮揚推進していた。
 彼の本拠地は、いわゆる『人間文明』にほど近い、というよりもはやそのただ中にある。なので先日のようにレイヴンと久々のコンタクトを取ったとしても「うん、ぜひ我が家へ」とはとても言えない。
 それはレイヴンを、病気にしてしまうかもしくはぶっ壊してしまうか、どちらかの効果しか生まないだろうからだ。
 レイヴンにしてみれば、そんな人間のすぐ近く、というよりもはや人間内部に長期滞在していて、よくもまあ平気の普通の正常でいられるものだと謎に思うばかりだろう。
 けれど彼は決してそんなことをひと言も口にせず、いつもモサヒーのことを尊敬し、ほめたたえてくれる。いい奴だ。
 なので今回モサヒーとしては、自宅に招くことができないにしろ、レイヴンとの再会、それもレイヴンの方から呼びかけてきてくれたことは、大きな喜びであった。
 だが今レイヴンが、ギルドに狙われている。
 その理由についてはモサヒーも、そして彼の本国における管理機構においても、今のところ『不明』でしかなかった。
 そして今、それを探るのにいちばん適した位置にいるのは、モサヒーだ。彼にはその自覚があった。
 まずは、素知らぬ振りをしてギルド員に接触してみよう。情報共有と銘打ってもいい。奴らは自分がレイヴンの仲間だということを知らない。今回の『動物逃亡事件』を嗅ぎつけてスクープ狙いに飛んできた異世界生物だとでも名乗っておけばいい。
 この付近一帯でギルドが狙いをつけるとしたら、オオツノヒツジ、キジオライチョウ、クロアシイタチ辺りと思われる。聞くところでは絶滅危惧が低いレベルの動物であっても『片っ端から』捕らえまくるという血も涙もない輩もいるらしいが、確率論でシンプルに考えた方が効率的だ。
 あと、例の『逃亡地球外動物』たちについては、現時点でどこに誰が存在しているかという情報がほぼ皆無だ。似たような『何か』を見かけた『ようだ』『らしい』『と思われる』というようなものに行動根拠を置くには、まだ早すぎる。
 なので、西へ。
 モサヒーはそのような算段を組み、自分の拠点とは逆の方向へ進んだ。
 荒野を抜け森林に入る。
 しばらく浮揚推進していると、池に出た。
 木々に囲まれてひそやかに存在しているその池の中央部に、小さな山がある。その辺りからちゃぷちゃぷと水の音が聞こえ、動物が行動しているらしい信号が捕らえられた。
 アメリカビーバーか。
 水の音は、巣を作っているのか、水中で食事しているのかだろう。
 モサヒーは情報収集の目的で接触を試みた。
「うん、こんにちは」声をかける。
 ぴたり、と水音が止む。
「うん、ぼくはモサヒーといいます」続けて自己紹介をする。「うん、東の方で、ジャーナリストをしています」
 泥で塗り固められた草や小枝や葉っぱの山の陰から、ぬう、と頭が覗き出した。大きな黒い鼻が中央に堂々と存在している、まさしくアメリカビーバーの顔だ。
「うん、突然すみません」モサヒーは用件を伝えた。「この辺りに、うん、双葉と呼ばれる者が、来ませんでしたか」
「──」アメリカビーバーは、あ、という形に口を開け、それから全身を山の陰から現した。「お前、双葉の仲間か?」
「うん、あ、いえ、違います」モサヒーは急いで否定した。一瞬「レイヴンの仲間だ」と言おうかと思ったが、それは守秘項目とした。
「そうか」アメリカビーバーは肩を落とし、自分の築き上げた山を見上げた。「双葉な、この間来てよ」
「うん、そうなんですか」モサヒーはアメリカビーバーに近づいた。「何か、言ってましたか」
「いや」アメリカビーバーは首を振った。「俺その時ちょうど家ん中にいたからさ、外に誰か来たって気づいて、熊の連中じゃねえだろなつって用心してたのよ。でもまあ、この家はさ」ぽん、と山を拵える草葉を軽く叩く。「水に潜らねえと入口に辿り着けねえからよ、静かにしてりゃ大丈夫なわけさ」
「うん、良い家ですね」モサヒーは感心した。
「そう、そのはずなんだけどよ」アメリカビーバーの声は急に沈んだ。しばらく言葉が続かない。
「うん、何かあったんですか」モサヒーはそっと促した。
「あいつら……双葉ってさ」ビーバーは低い声を震わせて続きを語り始めた。「動物、攫ってくじゃん」
「うん、そうですね」
「その時、動物に何かして、その体を一瞬で溶かしちまうんだろ」
「うん、まあ、そんな感じですね」
「あいつさあ」アメリカビーバーは声を張り上げた。「この、俺の家をさ、溶かし始めやがったんだよ!」
「うん、え、そうなんですか」モサヒーの声も驚きでかすれた。「うん、家を」
「そう」アメリカビーバーは再び自分の作った巣を構築する小枝に触れた。「この、枝とか、葉っぱとかをさ、一個ずつ、溶かし始めてよお」
「うん、それは」モサヒーは内心で、まさか、と思ったが「うん、ひどいですね」と相槌を打った。
「ひでえよ。俺もう生きた心地しなかったもんよ」アメリカビーバーは両前足で頭を抱え込んだ。「あいつ、俺の家を全部溶かして、その後俺と家族を、溶かすつもりなんだって」
 まさか。
 モサヒーは内心でまた思った。
 葉っぱや小枝を、一個ずつ、溶かす──遺伝子分解する?
 ビーバーの巣を見る。
 この、山と積み上げられている、小枝や葉っぱを?
 それは──並大抵の根気と耐久力とエネルギーでは成し得ない作業だろう。
 一体そいつは、何を思って──?
「でもよ、少ししたらそいつ、急に溶かすのやめたんだ」アメリカビーバーは首を振った。
「うん、そうなんですか」モサヒーは内心、やはり、と思った。
「それで、気配もなくなったから、そーっと外に出たら、もうどこにもそいつらしい姿はなかったんだよ」アメリカビーバーの恐怖譚はそこで終わった。「あれ、なんだったんだろうな」
「うん、そうですね」モサヒーは静かな声で答えた。「うん、でも無事でよかったですね」
「ああ、まあ、そんだけだけどな」アメリカビーバーは明るい声に戻って言った。「五日前のことだよ。そいつがその後どこに行ったかはわかんねえけどな」
「うん、わかりました。ありがとう」モサヒーは礼を述べ、池を辞した。

 浮揚推進しながら思う。
 きっとそいつは『片っ端から捕らえまくるスタイル』を持つ者だったのだろう。
 そして巣山の下の何某か──まあ奴らのことだからそこにいるのがアメリカビーバーだということは察知していただろうが──を捕らえんがために、まずは邪魔になるあの小山を、無謀にも遺伝子分解という一つ憶えの技で、消去しようと思い立ったのだ。
 だが悲しむべきことに、やつらの放つ電子線が一度の照射で分解し得るのは、恐らく『一個の細胞集合体』つまり『一個体』のみだと思われる。
 そこに積み上げられた枝や草葉がすべて一本の草本としてつながっていたなら、そいつの目論み通り一度の照射ですべて分解され、下にいるアメリカビーバー家族は一瞬で丸見えの状態になったことだろう。
 だがそうではない。
 それは彼、アメリカビーバーがちまちま細やかに寄せ集め、運んできては泥でせっせと塗り固めていった、膨大な量の『個体群』なのだ。
 そう易々と消し去ることなど、叶うものではない。
 モサヒーは浮揚推進しながら少し笑った。
 そいつもすぐに、自分のやっていることの無謀さと無駄さと無意味さに気づいたのだろう。しかし消費したエネルギーはすぐには戻って来ない。
 上層部から「この日時にこの地点でこれだけエネルギーを使っているにも関わらずこの時点で一頭の動物も確保できていないのは何故か」について聴聞され、報告書、あるいは始末書の提出を義務づけられるかも知れない。
 モサヒーは浮揚推進しながら呟いた。
「うん、ざまあみろ」

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