第54話
──双葉……?
ボブキャットはそれを聞いてふと足を止めた。池の畔だ。
そこに、アメリカビーバーがいることは先ほどから認知していたが、何しろそいつは池のど真ん中、水の中にいる。狩るのは困難だ。
奴が水から上がって来るのを待つという手もあるが、ここよりはもう少し先の、川べりの方が機に恵まれやすいだろう。
そう思ってその場を立ち去ろうとし、数歩歩いたところでだった。
「双葉と呼ばれる者が来なかったか」
という、恐らくそのアメリカビーバーに対する呼びかけの声を耳にしたのだ。
振り向く。
じっと見る。
アメリカビーバーは巣の陰から姿を現し──といってもまだ水の中だから襲うのには不利だ、オオカミの連中なら委細構わずどばざば突っ込んで行くかも知れないが──
アメリカビーバーは何やら必死の様相で、誰かと話している──訴えかけている。
そいつの見ている方向を注意してみると、なるほどそこにはごく小さな者が浮かんでいた。
その者たちはしばらくやりとりをした後、互いに別れの挨拶をしたようで、小さい者の方が飛び去りはじめた。
ボブキャットは何ということもなく、足音を忍ばせてそいつの後を追った。
──こいつが、レイヴンとかいう奴なのか?
ボブキャットはそう思った。
──双葉を捜しているってことか……ええと確か、レイヴンの仲間の動物と、双葉が随行しているって話だったな。つまりこいつは、その仲間の動物に再会するために、双葉を捜しているということか。その動物って……
遠く離れた土地から海と空を伝い届けられた情報によると、その動物というのは、翼の生えたネコ科らしいとのことだった。
とはいえボブキャットは、遠くから流れて来る情報というものには得てして齟齬が生じやすいということも、認識していた。
翼の生えたネコ科、などといわれるとますますもって正面から信じる気にはなりにくい。
──本当かどうか、ひとつ確かめてみてやるか。
ボブキャットはせっかくの機会だからと、そんな風に思い立ったのだ。
小さな者は、森を抜けしばらく草原の上を飛び進んで行った。
ボブキャットは丈の低い草本や岩陰などで身を隠しつつ後を追った。
──ボブキャットが、後ろからついてきている。
モサヒーはすでに生体信号を検知していた。
さて、どうしたものか。
何を企んでつけてきているのか。
しばらく様子を見るとするか。
もしかしたら、こちらにとって何か有益な情報を持っている相手かも知れない。
そんな風に考えながら浮揚推進していた。
それにしても、空腹ではないのだろうか。
狩りもせず、ひたすら自分の後を追ってきている。
モサヒーは、西を目指しながら遭遇する動物たちにあれこれ話しかけたいと思っていたのだが、自分の後ろにボブキャット、この結構な獰猛さを持ちしかも獲物の選り好みをしない食肉目が潜んでいるとなると、希望通りにことが運ぶのは難しいかも知れないと危惧せざるを得なかった。
動物たち──多くは齧歯類やシカの仲間になると思われるが、彼等も用心して姿を現さないだろうし、仮に親切な者が接近を許してくれたとしても、たちまちボブキャットが飛びついてくるだろう。
「うん、ううん」モサヒーは浮揚推進しながら少し唸った。それならいっそ、さっさと振り向いて一体何の用かと問い質し、可能なら追い払い、そうできなければ他の方法で『撒く』方がよいのではないか。
「あれっ、あんた、あれ?」
考えあぐねているところに、突如声がかかった。
はっとして見下ろすと、岩の割れ目から小さな動物が覗き見ていた。
ナキウサギだ。
「うん、ぼくですか」モサヒーは自分に対して呼びかけたのかを確認した。
「あ、そうそう、あんた、あれ?」ナキウサギはこくこくと頷いた。
「うん、あれ、というと」モサヒーは再度確認した。
「あの、仲間を捜してるっていう、あれ」ナキウサギは説明しようと努力した。
「うん、レイヴンのことですか」モサヒーはみたび確認し「うん、ぼくはモサヒーです」と自己紹介をし「レイヴンではありません」と否定した。
「あ、そう」ナキウサギは最後にこくんと頷くと、さっと岩の割れ目の中に姿を消した。
モサヒーはしばらくその岩を見ていたが、やがて浮揚推進を再開した。
その後、少し離れた岩陰からそっと姿を現したボブキャットは、ナキウサギが引っ込んだと思われる岩の割れ目を、先ほどモサヒーがそうしていたのとは数倍、否数十倍も真剣な眼差しで凝視していたが、やがてその視線を岩から引き剥がすようにして、モサヒーの追跡を再開した。