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 移動しているうちに日が落ちていく。
 夕焼けで赤くなった空は、どうしてか、アタシにとっては不幸の前兆のように思えた。いつもなら、暖かみのある赤はアタシの心を癒してくれるのに。

 真昼間(まっぴるま)は陽の光を反射してキラキラ輝いていた川の水も、太陽の位置が低くなると輝きが消えていく。それでも水の音は心地よかった。

 水。

 小さい頃、雨が降った時に母さんが大きな入れ物に雨水を入れていた。「何してるの」って訊いたら、母さんは「見ててごらん」とアタシの肩を抱き寄せて、入れ物の中に手を入れた。

 そうしたら、たちまち青い光が出てきて、次の瞬間には入れ物の中身が無くなったと思うくらい透明な水になった。
 別の日に怪我をした時も、母さんは手で掬った水を傷口にかけると、すぐに治った。今思えばどう見ても異常なのだが、当時はそれが普通だと思っていた。小さい頃は「1人の時は真似しちゃダメよ」なんて言われてたな。

 劣悪な環境にいた割に、母さんもアタシも元気だった。それなのに、アタシが12歳になったある日突然、母さんは酷い高熱を出した。胸を押さえて咳までしていた。
 風邪にしてはなかなか治らなかったから、本当は医者に診せるべき病気だったんだろう。そんなお金はなかったし、なぜか母さんは治そうとしていなかった。「そろそろなんだね」と言うだけ。

 死ぬ直前、母さんはアタシに小さな宝石を渡してこう言った。

「これは妖精さんにとって目印なんだよ。所有者を護るためのね」

「妖精? ……アタシはもうそんなおとぎ話を信じたりしないよ」

「…………。まあとにかく、私の形見だと思って、大事に持っときな。私はアヴァロンへ行くから、すぐにあんたを守りに駆けつけることはできなくなるけど、それを大事にしていたら妖精が助けてくれる」

 その時は、「妖精」や「アヴァロン」という言葉が母さんの口から出てきたことにびっくりした。

 多分アタシが3歳くらいの時までは寝物語としておとぎ話を話してくれていたかもしれないけど、それはあくまで空想ものとして話していただけ。それぐらい母さんは現実的だったし、アタシにも「夢ばかりを見てちゃだめ」だって教えてたからだ。

 なのにお金に換えたら結構な額になりそうな宝石を「大事に持っておけ」なんて言って。しかもエレノアに見せたら「〈湖の乙女〉の祝福の証だから、大事に持っていたら母と同じ異能が使えるようになる」なんて言われるし。


 そんなことを思い出していると、突然馬車が止まった。どれくらい進んだのか、気づけば空はオレンジ色になっていた。

「今夜はここで野営しよう」

 エレノアが野営地に選んだのは、大きな湖の|畔《ほとり》だった。川に流れていた水と同じくらい澄んでいるから、さっきエレノアが説明していたように浄化されてるっことか。

「確かに真夜中に森を進み続けるのも危なそうだな」

「今まで野生動物には会いましたが、どれも襲ってこなかったではありませんか」

「ジョージ、君も疲れただろう。長時間運転していたんだ、これからのためにも身体を休めて」

「恐れ入ります」

 そう言いながらジョージは馬車から荷物を下ろして、何か準備を始めた。どうやら休むつもりはなく、テントを設営するらしい。エレノアもその準備を手伝っている。

「なあエレノア! この辺りで狩りをするのはダメか?」

 アルバートと一緒に道具を準備しているジャックに対して、エレノアは見向きもせずに答える。

「狩りすぎなければ私が取りさばく」

「まるで狩りを咎めるやつがいるみたいだな」

「……いるんだよ。面倒なやつが」

 そのエレノアの発言は音量が小さかったから、ジャックたちには聞こえていないらしい。

 アタシは狩りとかいう貴族たちのお遊びについてよく知らないけど、動物を狩りすぎたら良くないってことくらいは分かる。

 みんながしばらく作業をしていると、グワァー! と鳴き声とバサバサ! という羽ばたきの音が聞こえてきた。エレノアの大鴉たちである。リーダーがエレノアの肩にとまって、他の鳥たちは馬車にとまった。

「どうだった?」

 エレノアがリーダー大鴉に尋ねる。

 本当に会話してるのかな? さすがに「なんとなく言いたいことは分かる」という程度であってほしいんだけど。

「ひとまずアッシャーたちは撤退したらしい。だが、どうやら今度は依頼人も連れてくると言っていたそうだ」

「そんなこと分かるのか」

「本当に優秀なカラスだ。ね、ジャック様?」

「何が『ね』だ……」

 なんでジャックとジョージはいつも喧嘩してるんだろう。アルバートはそんな2人に呆れている感じがするから、仲が悪いというわけじゃないのだろう。喧嘩するほど仲がいい、みたいな。


 ひとまずテント設営や食事の準備が整った。猟犬すらいないのに鹿を仕留めたとは、アルバートはさすが伯爵のお坊ちゃまって感じ。
 狩った鹿を捌くジョージも手際がいい。焼いた肉の香ばしい香りがする。

 初めて食べた鹿肉は、もちもちとした弾力があるけどあっさりした味をしている。だけど少し、なんというか獣みたいな(にお)いを感じる。他の4人は特に気にしていなさそうだから、アタシが慣れてないだけなのかな。

「腕がいいのだな、ジョージ」

「ジビエ料理は、うちのコックより習いましたので」

「ミセス・デュマは厳しいから、随分苦労していたみたいだけどね」

 ジョージが道具を片付けながら返答し、アルバートがその言葉に反応した。

 貴族のお屋敷に勤める使用人って、鹿みたいな動物を捌くやり方を知らないといけないってこと? どんな頻度で狩りをしてるのよ。

「従者が捌き方を習ったのか?」

「ジョージは特別なんだ。アルがご当主に頼み込んで自分の従者としたから、使用人がやる全ての作業はある程度こなさなきゃならない」

「今回みたいに、僕がジョージだけを連れて遠出する時のためにね。でも、初めは他の使用人たちから仕事を押し付けられていただけだった」

 そう言ってアルバートは、作業を続けるジョージの様子をうかがいながら話し始めた。

「だいぶ僕が無理を言ったからね。しかも僕は次男、いずれは屋敷を出ていく身だ。そんな人間のために上級の男性使用人を1人雇うというのは、やっぱり反発があったみたい」

「……いじめられてたってこと?」

 アルバートはアタシの質問に答えなかったけど、俯いたということはイエスということなのだろう。……だからジョージは、アタシに優しくしてくれてるのかな。

「お屋敷の皆さまが私を嫌う要因はもう1つあります」

 聞こえていたのか、ジョージも会話に入ってきた。

「ジョージ……」

「私は――、!」

「うわっ!」

 ジョージが何かを言う前に、湖が渦巻き始めた。さらに青い光まで出てくる。

「なんだあれは!」

「皆さま下がって!」

「ああ、お出ましだ」

 エレノアはひどく落ち着いていた。この現象に呆れているように見える。
 逆にアタシ含めアルバートたちは、この未知の光景に言葉を失っていた。

 やがて渦から水柱が立ち、人の形になっていく。青いドレスを着た銀髪の女性。身のこなしが優雅だが、湖の上に立っている。彼女はアタシたちを見つめた。

「やかましいぞ。人の子らよ」

 鈴の音や水のせせらぎを思わせる、軽く透き通った声だ。

「久しいな、〈湖の乙女〉よ」

「え?」

 この人が、〈湖の乙女〉? アタシの母さんに祝福を与えたとかいう?
 確かに水の上を歩いている時点で人間じゃないだろうけど、こんな普通の湖にいるものなの? ただ()()()()()()()()湖に。

「ペレアスの面影を求めているのならとっとと引っ込め」

「戯れは()してください。あなたがついていながら、この聖なる森で騒ぎを起こしたのですか?」

「おいおい、ちょっと待て。エレノア、知り合いなのか? 〈湖の乙女〉と?」

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