9 鬼部長からの宿題①
月曜の朝──。
「お、おはようございます」
既に着替えを済ませキッチンに立つ胡桃が、部屋着姿の琢磨を見て不器用な笑顔を見せた。
「白浜は朝が早いんだな。まさか俺が言ったことで無理はしてないだろうな」
「今までも、朝食とお弁当を作るのが日課だったから、大丈夫ですよ」
そんな会話をしながら、スウェット姿の琢磨が胡桃に近づいてくる。
すると、慌てた胡桃が両手を振りながら制した。
「か、影山部長! そ、それ以上こちらに来ないでください」
「は? どうして?」
「そ、そんなくつろぎモードいっぱいの装いで近づいて来られたら、どうしていいのかわからなくて」
「家なんだし、こんな格好だろう」
そう言って、やや俯き加減になった琢磨は、自分の姿を見るように首を動かす。
「お願いします。はっ、早くスーツを着てください!」
「あのなぁ~、昨日もこの姿だっただろう。何だって言うんだ」
「そ、それは、あのときは別のことで気を取られていたから、影山部長の格好どころじゃなくて」
「あっそう。それなら早く慣れろ。俺に家着くらい着させてくれよ」
「いつも、ビシッと決まったスーツ姿じゃないですか」
「家の中でもスーツな訳ないだろう」
やれやれとため息をつく琢磨が、キッチンのカウンターの上に目をやり、シルバーの四角い箱をまじまじと見つめた。
「って、もしかして、俺の分までお弁当を作ってくれたのか?」
「いらなかったですか?」
「あ。まあな。昼はいつも食べないから」
「駄目ですよ、ちゃんと食べないと」
そう言って、琢磨の食事の前にお弁当をポンと置く。
「だけどな……。俺と白浜が同じものを食べているのを知られたら、会社の連中に怪しまれるだろう」
「大丈夫ですよ。私のお弁当の中身を見る方なんていませんし、昼休みに部長室へ入る方もいないじゃないですか」
「そうだが」
まあ仕方ないかと紙袋に入ったお弁当を受け取った琢磨は、せっかく作ってくれたものだし、断わりにくいよなと小さく息を吐く。
◇◇◇
その日の昼休み──。
部長室に置かれた大きなデスクの上に胡桃から受け取った弁当箱を置き、まじまじと見つめる琢磨。
彼がゆっくりと弁当の蓋を開けると、やや照れた表情で口元に手をやる。
メインのアジフライは、弁当に入っているにもかかわらず、ピンッと上を向く衣が歯触りを感じさせるような見た目で、その横には彩りのよい焼き野菜が入っていた。
弁当のおかずが、昨日の夕飯の残りでもなく、朝食とも違うのだ。
「これを朝から朝食と同時に作っていたのか。どれだけ手際がいいんだ、彼女は」
戸惑いながら食べる琢磨が、「うまいな」と呟く。
(こんな生活を毎日続けていたら、白浜に好きな男ができたときに、俺は送り出してやれるんだろうか?)
そんな考えが頭を過った琢磨だが、それをすかさず理性で押し殺すように否定した。
(彼女はただの部下だろう。家がないからいっときだけ住まわせているだけだ)
そう思いながら、部長室の入り口を見ると、扉の向こう側で、同じ昼食を食べている胡桃のことを考えていた。
◇◇◇
間もなく昼休みが明けるという時間──。
経営企画部の男性社員2人が廊下で立ち話をしている横を琢磨が通り過ぎようとしたとき。
胡桃の名前が聞こえたため、歩く速度を落として耳をそばたてた。
「はぁ~あ。うちの係の新人なんだけど」
「あ~、白浜さんだっけ。すごい地味な子だろう」
「そうそう。あの陰気な顔を見ているだけで、滅入るんだよな。俺の目の前に座ってるから、勘弁して欲しいよ」
「白浜さんって、あり得ないくらい器量が悪いのに本社採用って言うのが信じられないよな」
「だよな~。どうせ専務の遠縁とか、お偉いさんのコネを使ったんだろうさ」
「仕事もできないのにクビにもならないやつって、見ていて腹が立つよな」
「わかる! その点さぁ、松木さんはやっぱり違うわ」
「へぇ~、そっか。そういえば田中って、松木さんと一緒に仕事を組んでいたんだっけ」
「業界の動向調査な。これを任されるってことは、俺も期待されている証拠だろう」
「明日、その結果の報告会だろう」
それを聞かれた彼は、得意げな顔をした。
「準備は終わったのか?」
「まあね。なんかさ、前年までの資料が地味だから、インパクトのある資料を作って、部内のみんなを驚かせようって、松木さんが張り切ってるんだ」
「最近の松木さんって、相当仕事に気合が入ってるもんな」
「そうだよな。俺はプレゼンの資料とかいまいちよくわかってないから、いつも前年同様に真似て作ってんだけど、今回は松木さんがたくさん改良してるから、期待してくれよ」
「それって全部松木さん任せだろう。ほんとちゃっかりしてるな」
「違うって。有能な人材に気分よく仕事をしてもらうのが、得意なんだって」
「ははっ、俺も見習いたいよ」
それを聞いて気を良くした田中が、「明日は楽しみにしてくれよ」と笑顔で言った。
胡桃を侮蔑的に見ている男性社員の存在を知り、聞き捨てならないなと思う琢磨は、眉間に深い皺を刻む。
だがその矢先、琢磨は何かを思いついたように、ふっと笑みをこぼした。