バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

3 急転直下のホームレス

 胡桃が自宅に戻ると、まるで彼女を待ち構えていたかのように、ルームシェアをしている秋野琴音が玄関で待っていた。

 必死の形相を向けてくる琴音は、手を合わせて胡桃を拝む。

 琴音というのは、胡桃の高校からの友人である、秋野琴音だ。

 彼女は胡桃より1年先に上京しており、胡桃が部屋探しの相談をした際に、ルームシェアを持ちかけてきたのである。

 胡桃としては1人暮らしが不安なこともあり、2つ返事で承諾すれば、すでに家財道具が揃っている秋野琴音の部屋へ、体一つで転がり込んできた。

 安く住まわせてもらう代わりに、得意の食事は自分が担当しているのだが、何をそんなに焦っているのだろうと、首をかしげた。

 すると、顔をくしゃくしゃにして目を瞑る秋野琴音が想像以上の大きな声を出す。

「ごめん、胡桃!」
「何が?」

「これからね、彼氏が来るのよぉ!」

「えぇえ~彼氏‼」

「そうなの!」
「琴ちゃんに彼氏なんていたの⁉」

「いたよ」
「だってそんな気配なかったでしょう。デートの話も聞いたこともなかったけど」

「うん。今、海外赴任中の遠距離だったからね」

「そうだったんだ」
 彼氏のいない者同士ではなかったことを初めて知り、肩を落とす。

「実はここの部屋、彼氏が借りてるアパートを預かっていたんだよね」

「う……そ」
 胡桃はあんぐりと口を開ける。

「赴任先から5年は帰ってこないって話だったのに、業績不振で海外の支店を畳むから、急遽帰ってくるって」

「そうなんだ」
 顔を引きつる胡桃が反応した。

「今月分の家賃としてもらった5万は返すから、新しい部屋をすぐに探してくれない」

「急に言われても……」

「そこをなんとかお願い。じゃあさ、先月分の5万も合せて10万円返すから、新しい部屋を探すのに使って!」

「事情はわかったけど、いつまでに部屋を出たらいいの?」
 この部屋が彼氏の家だというのなら、何を言っても居座るのは無理だろう。
 それどころか男性と鉢合わせになっても気まずい。
 そう考える胡桃が弱々しい声で尋ねると、秋野琴音が申し訳なさげに状況を告げた。

「今日の22時に到着する飛行機で帰ってきて、日本で1週間過ごしてから現地に戻るんだよね」
 ということは、うかうかしていれば琴音の彼氏が帰ってくるということだ。彼にとっては自分の家に。

「荷物はすぐに持って行けないけど……」

「部屋を空けるのは今すぐじゃなくていいから。とにかく今晩は友達の所で過ごして、お願い!」

 行き先に悩んでいるものの、必死に懇願してくる秋野琴音の姿に、「わかったわよ」と小さく頷く。

「お詫びは今度落ち着いたらするから、本当にごめん!」
 再び手を合わせる琴音に精一杯の笑顔を返し、数日分の服と必要な荷物だけまとめて部屋を出た。

 どうせホテルに泊まるなら、どこか遠くへ行こうかと考え、新宿のバス乗り場まで来てみたものの、今の時刻は午後11時を過ぎている。

 目ぼしい夜行バスを決め兼ねたため、こうなればネットカフェでもいいかなと、周囲の看板を見上げた。
(部長には怒られてばかりだったのに、部屋まで追い出されて、つくづく今日はツイてないな。どうしよう……)

 気力がつきかけ、ぼんやりしている胡桃の耳に、黒いスーツ姿の若い男が2人で楽しげに会話している声が届き、流し目で横をうかがう。
 夜の店の関係者か。そう考え、ふいっと顔を背けたが、彼らの会話は嫌でも胡桃に聞こえてくる。

「パープルガイの20周年記念の祝いに、今日だけ伝説の咲夜さんが出てるんだろう」

「そうそう15年ぶりにな。会ってみたいよな」
(ホストクラブか……。私には縁のない所だな)

 そう思う胡桃は彼らに背中を向けるが、内容が気になり聞き耳を立てた。

「売れっ子になるホストを見つけたパープルガイのオーナーは、ラッキーだよな」

「たった2年しかホストとして店に出てなかったのに、今でもあの店の最高記録は、咲夜さんの誕生日だろう」

「凄いよな」

「今日はいつも以上にあの店が盛り上がるんだろうな」

◇◇◇

 一方、噂になっていたパープルガイの店内では、2人の男が、すれ違いざまに立ち話をはじめた──。

 この店のオーナーから優しい笑顔を向けられているのは、影山琢磨。桜井建設の鬼部長だ。

「咲夜、ありがとな。女の子たちから、めちゃくちゃ好評なんだけど。また来てくてるだろう」

「駄目に決まってるだろう。今回は特別だ。凌駕《りょうが》が勝手に俺の出勤を告知したから仕方なくいるだけだ……」

「ははっ、助かったよ。これで咲夜が来てくれなければ、来る来る詐欺になるところだった。今夜のギャラは奮発するから」

「いらねーよ。んなもん受け取れば、いろいろめんどくさいからな」

「悪いし払うって」

「今さら何を常識人ぶってんだよ。今日の仕事は、20周年記念の俺からのご祝儀だから気にするな」

「持つべきものは、歴代人気ナンバーワンホスト、咲夜様だな」

「よく言うよ」
 やれやれと息を吐く琢磨が歩き出しテーブルへと向かう。
 その先で「はじめまして」と、女の子の横に笑顔で腰掛けた。

◇◇◇

 街角に佇む胡桃は、ふと思いついた。
(待ってよ。男性に慣れるためには、いっそのことホストクラブもありかもしれない。少し怖いけど、1日しかいない人なら、夢中になることもないし、行ってみようかな。パープルガイね……)

 おもむろに鞄から取り出したスマホで地図を検索し、とぼとぼと歩き始める。

「咲夜さんね……。どんな人だろう」
 事前に学習しようと、少し前に知った彼を調べようとSNSで検索する。

 そうすればパープルガイのインスタのストーリー映像が流れた。

 1日だけのスペシャルゲストとして、耳の下まである少し長めの髪を後ろに流してセットする咲夜の背面動画を観ながら歩く胡桃は、今、パープルガイの前で立ち止まった──。

しおり