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56話 バレていた性別と『怪力の指輪』のこと

「えーと、そもそも坊ちゃまはいったい、いつ頃から、その……【赤い魔法使い】様が女性であると気づかれたのですか?」

 そう、いつ、気づいたのだろうか。

(女性恐怖症なのに、昨日も普通に私を膝に抱っこしていたよね?)

 その前も、そのずっと前だって色々と甘えてきた。

 そんなことを思い返してエリザが混乱していると、庭師も気になったみたいで、つられたように小さく手を上げる。

「そもそも、確信を持ったのはいつです?」

 すると続いて質問を受けたジークハルトが、面倒になったのか本気なのか「途中で気付きました」とだけ答え、社交用の爽やかな微笑みを返した。

 するとそれを直視したそのメイドが、顔を真っ赤にして崩れ落ちた。近くにいた男性使用人が慌てて受け止める。

「し、しっかりしてくださいっ」
「ちっ、さすがはジークハルト様、恐怖症が半分改善されたくらいでいっちょ前に自前の美貌(ぶき)を正しく活用してきましたね……!」

 嫉妬なのか、男性使用人が悔しそうに口元をギリギリとする。

 その時、モニカがジークハルトの前に立った。

「これぐらいの耐性で言い気にならないでくださいませ、坊ちゃま」

 見下ろす彼女の視線は冷ややかだった。ジークハルトの笑顔が、わずかに強張ったのをエリザは見た。

「さ、行きますよ」

 そう言って、モニカが彼の襟をしっかりと掴まえた。他のメイド達も周囲から掴んできて、ジークハルトがビクッとする。

「坊ちゃまは身支度もまだです。全員で、丁寧に仕上げて差し上げます」
「ひぃっ、い、嫌です! エリザのところに帰してくださいっ、まだちょっとしかキスしてな――」
「二人きりでお会いして、押し倒していたのですから活力もじゅうぶん戻りましたでしょ。それ以上品を落とすようなことをおっしゃいましたら、昔のように、貴族の男子たる教育論をたっぷり解いて差し上げますわよ」

 母親代わりとしてジークハルトをみてもいたというモニカは、視線も寄越さないまま慣れたように言い、メイドたちとジークハルトを引きずって部屋を出ていった。

 それを、室内に残された男性陣が黙って見送った。

 ジークハルトが落とした爆弾発言のせいだ。全員の視線がぎこちなくエリザの方へと戻ったところで、ルディオが口を開く。

「えーと、友人として聞くけど…………え、何、お前キスされたの?」

 エリザは、そっと視線をそらした。

「……ちょっとかすった、くらい……?」

 ジークハルトに、どこからかは定かではないが途中からは女性だとバレていた。

(それなのに甘えてきたの?)

 それでいて『呪いが解けても――』だなんて先日彼に持ち掛けて、キスを死守したせいで、今日になってそれを奪われてしまった。

「あれが私のファーストキス、になるのか……」

 エリザはふっと乾いた笑みをもらした。

 今になってキスの出来事をゆっくり振り返れたわけだが、精神的な疲労の方が大きすぎたせいか、大袈裟な反応とか何もできない。

 というか、実のところそこまでのショックはない――気もしている。

(気のせいなのかな、朝から疲れすぎたせい?)

 残された男性達が「どうしよう」とフォローの言葉を探し合う中、とうとうラドフォード公爵がひっくり返って「旦那様ぁぁあああ!?」と、セバスチャンの叫ぶ声が響き渡った。

 ルディオがエリザの肩に、ぽんと手を置く。

「えっと……まぁ、そこまでの驚きじゃないようでよかったよ」
「じゅうぶん驚いたよ。もう短い間に色々起こりすぎて、ちょっと整理の時間が欲しいかなと思ってるところだよっ」

 一言口に出したら、思いが溢れてエリザはそう言った。

「いや~、実はさ、無理やり婚約がジークの手腕で押し通されて、仮で許可が下りちまってる事実の方が驚くかなぁと思って」
「……え、何それ?」
「つまり今、書類上では【赤い魔法使い】は、ラドフォード公爵家のジークハルト・ラドフォードの、正式な婚約待ち状態になっている」
「は、――はああああああ!?」

 今度こそ、エリザの大絶叫が朝の公爵邸に響き渡ったのだった。

              ◆

 いつ女性だと勘繰り、そうして確信を持ったのかは分からない。

 けれどジークハルトはここ最近、自分のコネや法的手段を活用して、エリザとの婚約申請を見事に通してしまったようだ。

 そうして数日前、彼には意中の相手がいるとして見合いの申し込みも締め切られた。

 そのお相手が、治療係にして【赤い魔法使い】のエリザだ。

「なんでそんなことになっているの……」

 王宮の豪華な一室で、エリザは額を両手で押さえて大きな溜息を吐いた。

「まぁ、先日のアレが呪いのせいではなかったと分かって、聡明な君もとっくに気づいているとは思うけど」

 向かいでそんなことを言ってきたのは、部屋の主であるフィサリウスだ。

「知っていたのなら教えてくださいよ……」
「無理だよ。ジークに口止めされていたし」
「なぜ」

 そもそもなぜジークハルトは、という言葉を思いながら顔を上げる。

「君に邪魔されたくなかったからじゃない?」

 フィサリウスは残っていた紅茶をぐいーっと一気に飲み干すと、ティーカップをテーブルに戻した。

「そういうことは、本人から聞くといい。朝はそんな暇がなかったんだろう?」
「まぁ……そうですね」

 今日、ジークハルトは通常通り仕事が入っていた。

 エリザのところへ行き、そのうえ騒ぎを起こし、それでいて使用人たちに連れられたあともひと悶着あったようで、出発まで遅れてしまったのだ。

 王宮に到着したら、勝手知ったる職場だったのでルディオが引っ張って、走っていってくれて助かった。

 そのあとエリザは予定通り、フィサリウスに〝治療〟のことを報告した。

 彼は今から公務が入っており、入れ違いで軍事会議からジークハルトがこちらへやってくる予定だ。

「私がするのは、指輪の説明だけだよ」
「そういえば、なんで取れたんでしょうか.」

 いまだ返してもらっていない【怪力の指輪】をエリザは思い出す。

「君が以前話してくれた内容からすると、恐らくは、君を絶対に守ってくれる、君にとってもっとも安心できる人物には取れる仕組みだったのだと思う。そうすると、他にも別の機能が備わっていそうだ」
「機能、ですか……?」
「勇者と聖女が造り上げたものだろう。とすると、その怪力の恩寵は君が一人ではなくなったら、次の役割まで持っている気がするんだ。たとえば取ることができた相手に限定して使える魔法具にもなれる、とかね――私としては、ぜひその異国の術がかかった指輪を調べさせて欲しいと思っているんだが、いいかな?」

 指輪はジークハルトが持ったままだ。

 あれがないと少々心細いのだが、王都は安全な場所ではあるので、エリザが受けた戦闘技術だけでもじゅうぶんだろう。

「いいですよ」
「ありがとう。ジークからあとで受け取っておくことにしよう。指輪を預かっている間の護身用の手段に関しては、私の方で何か考えておこう。それから――私としても君がここに残ってくれるのなら、嬉しいけどね」

 さらりと告げられて、エリザは言葉が詰まる。

 昨日、分かれを思ってとても悲しくなったばかりだった。それが今朝にはすべてなくなってしまった。

 状況は昨日の真逆すぎるほどに違っていて、だからジークハルトのことも、馬車の中で叱ることなんてしなく、ルディオと三人で『遅刻したらとんでもない!』なんて、普通に話していたわけで――。

「殿下は……案外、お人が悪いですね」
「ふふっ、君には情で訴える方が効果があると思ってね。それはジークハルトも分かり切っていることだろうけれど」

 あの、わんこみたいな目のことだろうか。

「ははぁ、なるほど……彼、意外と策士だったんですね」
「私の右腕なんだ。当然だろう。それにね〝エリザ〟」

 彼は穏やかな笑みを浮かべ、続ける。

「これからも一人でずっと旅を続けていくなんて、寂しいじゃないか」
「…………」
「いつか落ち着ける場所ができて欲しいと思って、君の師匠とやらも『勇者』も『聖女』の身分も知らない大陸に送ったのではないかな。私としても、そろそろ古郷という場所ができてもいいと思うんだ」
「それが、殿下のいるココですか?」
「そう、ゆくゆくは私が治めるこの国だ。そしてぜひ、いつでも会える王都にいて欲しいね。ああ、言っておくけど、珍しい異国の人間だからとかいう理由ではないよ。君は私の友人だからね」

 扉の外からノックがされ、ハロルドの声がした。

 迎えが来たようだ。フィサリウスが行くと答え、立ち上がる。

「心配しなくとも、ラドフォード公爵達も大歓迎の様子だっただろう?」
「まぁ……そうですね」

 ジークハルトが女性に触っても大丈夫になった。そのうえ、念願の『花嫁』を選んで、決めてくれた。

 それでいてその相手が『エリザなら嬉しい』と――みんな隠しもしなかった。

 だから昨日もテンションが高かったのだとエリザは気づいた。彼らが呪いの解ける日を楽しみにしていたのは、ジークハルトのことだけじゃなくて、エリザがあの屋敷の〝一員〟になってくれることを思ってだったのだ。

「婚約はまだ仮の状態だから、正式な公表はされていないよ」

 扉を開けながら、フィサリウスがそう言った。向こうから顔をのぞかせたハロルドが、女性相手に対する騎士の挨拶をしてく。困ったような、それでいてどこか納得したような苦笑をその顔に浮かべていた。

「交際期間だと思えばいい。考える時間はあるし、今後色々と動くにしても都合がいい。君の住所と身元も仮ながら発行されたし、身分証があれば君もこの王都をもってよく楽しめると思うけど?」

 強気な笑みと共に、彼の姿は、ハロルドが外から閉めていった扉の向こうへと消えていった。

 彼にしては、時間いっぱい話し続けた感じだった。

(『いて欲しい』、『友人』……全部本音なんだろうなぁ)

 涼しげな表情をしていたけれど、エリザは仮の状態であるこの婚約も、彼女次第ではなくせるとはラドフォード公爵にきちんと説明されていた。

 それを知っても、切り出さずにジークハルトといつも通り『いってきます』と言い、ルディオとも一緒になって公爵邸を出た。

 三人一緒に――それが、もうエリザの出した〝答え〟そのものだった。

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