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55話 押し倒した目的を知る

 朝に、なんつーことをさらりとしようとしているんだ。エリザは慄き、首をゆるゆると左右に振った。

「ふふ、そう可愛い涙目をされてもやめません。俺はきちんとあなたが納得するまで待ちましたよ、呪いが解けてもキスしたい俺の気持ちは変わりません」

 意味が分からない。ほんと、どうなっているんだ。

(こ、これは確実に『怪力の指輪』の出番……!)

 エリザはハタと思い出して、左手を見た。

 だが「ん?」とジークハルトも見た方向に気づいた。おもむろに手を伸ばして、彼女の指輪に触れる。

「これは何かの魔法具ですよね? なら、取りましょうか」
「えっ、あ!」

 エリザは『嘘……』と思った。

 なんと一度も外れることがなかった指輪が、彼の指につままれた途端、普通の指輪のように、するりと抜けていってしまったのだ。

 信じられない光景を前に、彼女はさらなる混乱に突き落とされた。

 ジークハルトは、けれどエリザの私物だと考えてくれたのか、それを自分のズボンのポケットに入れた。そして彼女の手首を掴み直す。

「とりあえず先に既成事実を作りましょうか。大丈夫、俺が教えますよ。何も怖くないですからね?」
「『ね』じゃないですっ、既成事実ってハッキリ言っちゃってる時点でアウトですよ!」

 まさかの、彼の口から聞くとは思ってもいなかった言葉だ。

「まず同意を求めないでください! だめに決まってるでしょうが!」
「それじゃあ、まずキスからしましょうか」

 ジークハルトが顔を寄せてくる。エリザは手に力を入れたものの、上から彼が押さえつけている力の方が圧倒的に強かった。

「ま、待ってください、同性同士だと思っているかもしれませんが、私は――」
「焦っている姿もとても可愛いですね」
「か、かわっ」

 甘ったるい低い声で囁き、彼の目が蕩けるように細められたものだから、エリザは混乱よりも羞恥が勝って顔が赤くなった。

 まるで、眼差しで好きだと言われているような錯覚が強烈に込み上げた。

 エリザの思考は圧倒し、固まってしまった。

「そう、いい子ですね」

 彼の栗色の髪が、頬に触れた。

「大丈夫ですよ、あなたが嫌がることはしませんから――」

 彼の影がエリザにかかって、あ、という言葉も間に合わずに二人の唇が重なった。

 触れる程度の柔らかい何かを唇に感じた。

「――……ほら、ね? 何も怖くないですよ」

 少し離れ、ジークハルトが愛おしげに見下ろした。

 エリザは口付けをされたと理解するまでに、数秒かかった。顔を起こした彼の、形のいい唇を茫然と眺め、それから自分の唇に残る感触を思い返す。

「怖くなかったでしょう?」

 だから、もう一回……

 心底嬉しそうな柔らかい微笑みた彼が再び近づき、至近距離からうっとり囁かれた。

 その瞬間、エリザの羞恥が理解と我慢の限界を超えた。

「ぴ」
「ぴ?」
「ぴぎゃあああぁあぁあぁ!?」

 なんとも色気のない必死の悲鳴が口から飛び出した。

 その次の瞬間、大勢の慌ただしい足音が近づき、蹴破られるようにして勢いよく扉が開かれた。

「最悪だっ、やっぱりここだった!」
「すぐにジークハルト様を確保!」

 セバスチャンの切羽詰まった指示の声の直後、ルディオ、サジ、男たちが室内になだれ込んできた。

 彼らはエリザの上に覆いかぶさっているジークハルトに突撃した。ルディオが友人の頭を容赦なく殴りつけ、サジが脇腹に手を突っ込んで引き上げる。そして続いて飛び込んできたメイド達も一緒になって、全員の手でジークハルトがベッドの外へと引きずり出された。

「何をするんだっ」

 そう一時抵抗したジークハルトだったが、メイドに囲まれると、先程までの余裕の表情はどこへいったのか「ひぇ」と引きつった声をもらした。

「作戦は成功しましたな」

 セバスチャンが、モニカ達に「そのままで」と指示する。

 ジークハルトが一気に静かになったことで、騒ぎはすぐに収まった。エリザはベッドから身を起こして、その様子を茫然と眺めていた。

「まったく! まさかとは思っていましたが、そのまさかとは呆れました!」

 モニカを中心とするメイド達がジークハルトを取り囲む様子は、使用人らしかぬ気迫すら漂っている。

「よくも包囲網を突破してくれましたね、坊ちゃん!」
「これを見越して縛りつけていたのに、どうやって抜け出したんです!?」
「おかげで全員総出で必死に探し回りましたよ!」

 男性使用人も、メイドのさらに周りからジークハルトを囲んで、次から次へと叱るような声を上げた。

 さすがのサジも、フォローに回れないようだ。床に転がるジークハルトを呆れたように眺めて「ジーク坊ちゃん」と馴染みがあるような言い方をした。

「気持ちは分からんでもないが、既成事実はやめとけって。手順を踏んで、まずは婚約からであって――」
「親友のそういう腹黒い事情は知りたくなかったああああ!」

 ルディオが、たまらなくなった様子でサジの台詞を遮るように叫んだ。一度顔を両手に押しつけたかと思うと、やっぱり我慢できなかったみたいでジークハルトへツカツカと歩み寄り、頭を容赦なく殴った。

「いたっ」
「お前なんつうことしようとしてんだよ! エリオは俺の大事な友達でもあるんだぞ! ばかかっ! 見損なったぞっ、アホ!」

 仁王立ちになりルディオは涙目で叱る。そこに座り込んでいるジークハルトは、不服そうにすねた表情をしていた。

 その時、エリザは開かれた扉にラドフォード公爵がいることに気付いた。

 彼は額を手で押さえていたのだが、寝室に進もうとしたところでよろけ、それを見たセバスチャンが「旦那様っ」と慌てて駆け寄り、その身体を支えていた。

 ラドフォード公爵の顔色があまりにも悪かったので、エリザは思わずベッドから飛び降りて駆け寄った。

「あのっ、公爵様大丈夫ですか?」
「怖い状況だったのに、なんて優しい子なんだろうね……」

 見つめ返したラドフォード公爵の目が、娘の安全を確認したみたいに目が潤む。

「私は大丈夫だよ、君は大丈夫だったかい? 服も乱れていないみたいだが」
「はぁ、まぁ、大丈夫です」

 ファーストキスを奪われてしまったので、全部は大丈夫ではないが、まではこの事態をどうにかしないといけない。頭もまだ絶賛混乱中だ。

「皆様と一緒に駆け付けてくださって、ありがとうございます。でも……この状況って、いったいなんですか?」

 問うようにセバスチャンに目を向けると、安心とも呆れ友つかない吐息をこぼされた。

「後で説明しますから」

 かなり頭が痛いみたいな仕草でそう言われてしまったら、何も言えなくなる。

 使用人一同がエリザの無事を確認して胸を撫で下ろし、それからジークハルトを再び睨みつけた。

 気の弱そうな庭師が、促すようにしてルディオの腕をつついた。彼はエリザの方を指差され、何かに気づいたみたいに『この手でいくか』という顔で一同に頷いて見せると、ジークハルトに人差し指を突き付けた。

「そもそも親友であるお前が少年趣味に走ったとは、嘆かわしいぞジーク!」
「……少年趣味?」
「なんで呪いが解けてすぐエリオを襲いに行くんだよ! アホかっ!」
「問題ないじゃないですか、エリオは女性なのですから」

 きょんとしたジークハルトの口から、その言葉が出た瞬間、室内が静まり返った。

 ルディオも、彼に指を向けたまましばし硬直する。

「やっぱり気付いてやがったか」

 サジが手で顔を覆って、深い溜息を吐く。

「まぁ、殿下に〝あの申請〟もしていましたし、ほぼそうだとは思っていましたが」

 セバスチャンがちらりと目を向けると、「性別を確認されないまま私も頼まれたから察してた……」とラドフォード公爵も、頭を抱える始末だ。

「……え、え?」

 エリザは頭の中が真っ白になって、もう困惑までピークだった。

 すると彼女の疑問を代弁するように、そばかすの浮いた可愛らしいメイドが「あの」と挙手した。

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