11
護衛騎士隊長に案内され、慣れた王宮の通路を足早に進む。
カディオは、気持ち悪いくらい静かだ。
「ごめんねカディオ、吐き気がったりする? もうすぐであなたの寝室だからね」
「……っ」
何か言いたそうにはするのだが、彼は口をぎゅっとつぐんでいる。
カディオの身体に力が入って抵抗を感じるたび、護衛騎士隊長が彼の足を進ませるのを手伝ってくれた。おかげで、どんどん王族の住居区へと近付く。
月明かりが差す彼の寝室の入り口が見えてた。
先に護衛騎士隊長が「失礼します」と言い、先に扉を開けて中へ入り、手早く室内の明かりをつけてくれる。
「彼の侍女たちを呼んできてくれる?」
「シェスティ様も、このままお休みになられますか?」
扉から再び姿を現わした護衛騎士隊長が、確認してくる。
「そうしようと考えているわ。必要なら、カディオの看病もしなくちゃいけないし」
背に触れている両手から、カディオがびくっと揺れたのが伝わってきた。
「――用意は整っていると聞いていますが、そちらに関しても確認してまいります」
護衛騎士隊長が、一度、気にしたみたいにカディオのほうへ視線を投げる。それから薄暗い廊下を引き返していった。
「さ、カディオ、入るわよ。ん?」
背を押してカディオを入室させようとしたら、今まで素直に背中を押されていた彼が、勢いよく動いて寝室の両開きの扉を閉めた。
「ちょっと、何をしているのよ」
「ここでいいから」
「今はもう二人きりなのよっ、体調が悪いことを隠さなくたっていいの!」
「二人きりだからまずいんだっ」
扉を開けようとしたら、引いたドアノブをカディオが押さえつけてくる。
なんてバカ力だ。
カディオは顔が赤かった。きっと、つらいのだろう。シェスティは悲しくて、胸がぐっと苦しくなった。
「なんで無理をするのよ! 昔は、もう少しくらい私も頼ってくれたじゃないっ」
無理をして彼が倒れたのは、一度や二度ではない。
そのたびシェスティが『パートナーだから』と言って、彼に同行して寝室まで運んだ。
(それなのに、今はさせてくれないの?)
目が自然と潤んでくる。
カディオがハッとしたように見つめ返し、済まなそうに「違うんだ」と言った。
「昔も今も変わらない」
「嘘よ。私の案内が気に食わないんでしょう? カディオは私のこと、有能な女だから嫌っていて、だからあんなにつっかかってきていたものね」
「――は?」
「でも嫌われていたって構わないわっ、私にとってカディオは大切な人だもの!」
そうだ、嫌々ながら大人たちにカディオとずっと接点を持たせ続けられ、気付いた時には、シェスティの人生の半分以上を占める重要な人になっていた。忘れたくても、忘れられないような人。
隣国に一人でいったあと、そう気付いた。
「カディオがいくら私を気に食わないと、心の底では拒絶反応を示していても、さっきのパーティーで困らせたみたいに意地悪してきても――私からは、あなたを嫌いになんてなれないし、心配するなと言われたって、心配になるんだから仕方ないじゃない」
カディオの目が、ゆるゆると見開かれていく。
「あ、あなたの体調、今日とてもよくないでしょう? 心配なのよ」
目が熱くなっていくのを感じた。
泣いてはだめだ。そう言い聞かせ、ドアノブを両手で強く掴んだ。力を入れて引っ張った瞬間、カディオが慌ててそれを押し込み、扉が閉まってしまう。
「いい加減にして! 今は緊急事態なのっ」
「シェスティ、悪かった。頼む、俺は体調不良ではないんだ」
「嘘よ! お願い、今日だけでも言うこと聞いて、もう二度とあなたの部屋にも寝室にも入らないから」
「だめだ! それは困る!」
「お願い邪魔しないでっ、これは親切であって――」
「俺も親切でそう言ってる!」
突然大きな声を出されて、シェスティはビクッと身体が強張った。その拍子に、力が抜けた手を、彼の大きな手が掴まえてしまう。
「あっ」
彼のいるほうに、ぐいっと引っ張られた。
そのまま勢いで彼のほうへ身体を向けられる。対面する形となった瞬間、シェスティは「え?」と直前の感情も鎮まってしまった。
そこにいたカディオは、首まで真っ赤だった。
「……カディオ?」
「君は、あまりに男を、いや獣人族を知らなすぎる」
知っている。……つもりなのだが、シェスティは初めて見る彼を前に、思考は真っ白になってしまっていた。
なぜだが自分の顔まで熱くなっていくのを感じた。
彼に両手を握られている状況のせいだろうか。それとも、あまりの恥ずかしさに言葉がなかなか切り出せない、と言わんばかりに、全身を赤く染めているカディオのせいだろうか?
(どうして手をそんなふうに握っているの? なぜ、彼はこんなに真っ赤なの……!?)
シェスティは、激しく動揺しているのを自覚する。
「このままだと……」
長く感じる間を置いて、カディオがそう言った。
「こ、このままだと?」
「シ、」
「シ?」
「シェスティに時間をかけて、撫で撫でされたくなるだろうがっ」
彼がこんなに言葉に詰まるのを見たのは初めで、心配になった次の瞬間、突拍子のない言葉にシェスティは「うん!?」と、妙な相槌が口から飛び出た。
「ハッ。違う、なでなでもそうだが」
「撫で撫では事実なの!?」
いったい、彼はどうしてしまったのだろう。
「やっぱり体調が悪くて――」
「それは違うと言った」
「じゃあ、会場でのことや、今の理由はいったいなんなの?」
「寝室に君を入れるわけにはいかないんだ、シェスティを襲いたくてたまらなくなるからだよ!」
カディオの赤面が二割増しになった。
シェスティは、廊下に響いた衝撃的な告白に固まる。
「…………えぇと、襲う? まさか違うわよね。それって、あの、昔みたいに木刀で勝負しようと?」
「違う」
カディオが大きなため息を吐いた。
「そう考えてしまうのも、俺のせいなので仕方がないとは思う。あの頃の俺をぶっとばしたい……」
「え、え? つまり?」
「つまり、俺が言った『襲う』は、君が想像した『まさか』のほうだ」
シェスティは、自分の頭が理解を拒絶するのを感じた。
「シェスティ、ちゃんと聞いてほしい。俺は……君が、好きなんだ」
獣耳を動かし、忙しなく視線を泳がせたあと、彼は顰め面をしようとしてそれにも失敗したようなド赤面を晒したうえで――とても、小さい声で最後はそう言った。
「え。なんですって?」
聞き間違いかなとシェスティは思った。
「だからっ、襲いたい、つまり二人きりになったら押し倒して自制が利かないと自分でも分かっているくらいっ、俺はっ、シェスティが好きだと言ったんだ!」
真っ赤になった端正な顔で、彼の眉間に深い皺が寄る。
シェスティは、それで分かったしまった。
「これまでの嫌そうな表情って……もしかして……」
「君の前だとうまく表情が作れなかったんだ。……好きすぎて」
そんな不器用なこと、あるだろうか。
けれどシェスティのほうこそ真っ赤になってしまって、うまく言葉が出なかった。