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「あの、パートナーでは別行動はあるわ」
「俺はするつもりはない」
「私の知り合いと仲良くしたいの?」
もしかしてと確認した途端、カディオが二割増しの顰め面になった。
シェスティは察して固まる。
「利益のある相手なら」
これは『仲良くしたくない』と言っているようなものだ。
(カディオの様子がおかしいわ)
カディオはほとんどくっつきそうなくらいの距離をたもって、ぴったりくっついてくる。
そのあともシェスティは会場内を回ったわけだが、彼とは交友がない令嬢友達の輪に入っても平然とシェスティのそばに立っているし、かなり浮きまくっていた。
留学前に仲良くさせてもらっていた夫人たちのほうにも顔を出したが、母と一緒に来ると思っていたようでひどく驚かれた。
「彼女は、俺のパートナーだ」
女性だけだが大丈夫かという感じで確認されるたび、カディオは当然だと言わんばかりの顰め面を返していた。
相手の夫人たちは、扇の内側であんぐりと口を開けていた。よく分からないと思ったのだろう。
シェスティだってそうだ。意味が分からない。
(レディたちを怯えさせて、どうするの)
これではまるで、シェスティのほうこそ空気が読めないみたいではないか。
どの女性たちからも『どうにかして』という視線を送られる。
だから結局、シェスティは「またあとでっ」と彼女たちに急ぎ言い、カディオの背中を押してそこを離れることになった。
それが繰り返されると、シェスティは自分の今の行動がそもそも疑問になってきた。
(私、挨拶回りできてる?)
考え込んだ拍子に、つい足が止まってしまっていた。
「もう、どこかに行かないのか?」
頭上から、そんな声が降ってくる。
ハッとシェスティは顔を上げた。目の前には男の大きな背中がある。その肩越しにカディオが振り返って、彼女を見ていた。
――が、すぐに視線がそらされていく。
(あら? 機嫌がよくなったみたい)
しげしげと見つめていたら、カディオの頬に赤味が増す。
「…………手」
「え?」
「あっ、いや、なんでも」
慌てたように言って彼が顔を背けたが、両手に触れている背中の面積が、ぐっと増す。
「ちょっと、何後退しているのよ」
「す、すまない」
すぐに謝られて、シェスティは戸惑う。
「大丈夫? 顔も少し赤いみたいだけど、体調不良が続いているの?」
ぎくんっと彼の広い肩がはねる。尻尾がぴんっと立った際、先っぽがシェスティの頬にもふんっと触れた。
頬をたたかれるような強さではなかったが、軽くぺちっとした感覚が胴体にも触れた。開いた襟ぐりのあたりだと、直に肌に触れるのでくすぐったい。
「うっ」
驚くのはシェスティのほうなのに、なぜだかカディオが、全身をぴきーんっと強張らせる。
「ごめんなさい。カディオって大人になって尻尾触られるのだめになったのっ?」
シェスティは慌てて彼の背から両手を離し、二人にあるボリュームたっぷりの尻尾をどかそうとした。
「ち、違うからっ、触っていいから!」
急に大きな声を出されてシェスティは驚いた。
カディオの声はかなり大きかった。
触っていいから、という彼の声がやまびこみたいに会場内へと響いて広がり、周囲にいた貴族たちが会話を止めて見てくる。
「え? 別に今、触ろうとしたわけじゃなくて――」
と口にした瞬間、シェスティはハッと見つめ返してきたカディオの顔を見て、言葉が止まった。
彼は、かなり悲壮な表情を浮かべていた。
「どういう感情の顔……?」
「…………」
「ねぇ、本当に大丈夫? いったん戻って、休憩する?」
目の前にある彼の尻尾が、急に力を失ってどんどん下がっていく。
そのためシェスティは、言いながらも、彼の大きな尻尾を両手で抱えて支えることになっていた。
すると、彼が視線をそこに落とした。
「ん? ……もしかして今、触って欲しかったの?」
「……抱き締めないか?」
やばい。
いよいよカディオが、おかしい。
(尻尾は獣人族の誇りだとか、そういうこと言ってなかったかしら?)
シェスティは対応に困った。すると彼の向こう、人混みから出席者の一人として紛れて警備している護衛騎士隊長が、ぶんぶん手を振ってくるのが見えた。
その近くには王室執事長や、側近も数名いる。
みんなが揃って手振りを交え、口をぱくぱくと動かしてくる。
――とにかく尻尾を抱き締めてあげて。
そう、必死に訴えてきている気がする。
(いったいどういうわけなのかしら。まぁでもカディオは動きそうにないし、それで動いてくれるなら)
たびたび少し触らせてもらっていたが、まさか三年経って尻尾がさらにもっふもふに成長しているとは思ってもいなかったことだ。
このまま両腕で尻尾を楽しんでいいというのなら、シェスティも断るつもりはない。
「分かった。でも、あとで文句言ったりしないでね?」
「言わない、しない」
まずい。カディオの語彙力まで失われてしまっている。
(ひとまず彼をここから避難させないと)
シェスティは彼の尻尾を両腕でぎゅっと抱き締めてみた。なんとも弾力感があって、驚く。
「わっ、なんてボリュームかしら……!」
直後、カディオが両手で顔を覆う。
「ボリュームが、すごい……!」
彼も自分の尻尾を客観的に知れて、感動しているらしいとシェスティは思った。少しは彼の役に立ったみたいで、ほっとする。
(尻尾は獣人族の誇りだとかなんとか言うらしいから、嬉しいのね)
そんな彼の心情を想像して、シェスティも嬉しくなってしまった。
同時に、重大なことにも気付いてしまった。
(急にその誇りで自信を回復したいほど休憩が必要になっているのね)
シェスティは、彼をひとまず国王たちがいる場所まで引っ張ることにした。
両親と歓談を楽しんでいた国王は、やってきたシェスティを見て目を丸くした。王妃もだ。
「シェスティ、いったいどうしたのだね?」
「体調がまだすぐれないみたいで」
「体調」
と呟いた王妃が、真顔のまま扇をバッと顔の下で広げる。
カディオのジャケットを両手で容赦なく掴んで伸ばしていたシェスティは、疑問に思う。
「どうかされましたか?」
「我が息子ながら、こじらせ方が情けなさすぎるわ」
「え? なんですって?」
カディオが急に復活したみたいに「母上!」と叫んで、シェスティは王妃の言葉が聞き取れなかった。焦った彼の顔は、赤い。
「やっぱり体調が万全じゃないのね……休みが必要なら言いなさいよ。あっ、こちらにもドリンクをいただける?」
シェスティは、両親にシャンパンのおかわりを尋ねにきた係の者に、駆け寄る。
その次の瞬間、後ろから引っ張られて、身体が動かなくなった。
「おい待てっ」
「いきなり何するのよっ」
「急に男に近付くな!」
「はぁ? 私はあの頃と違ってレディなんですけど!? 今ここでこけたら失態ものよっ?」
「こけさせるものかっ、俺がいるんだぞっ」
留学する前と同じことをされ、つい当時の感覚が戻って自然と言い合ってしまっていた。
ぎゃあぎゃあ騒いでかえって人々の視線を集めてしまったと気付いたのは、近くが静かになっているのを聞いてからだ。
「……も、申し訳ございません。なんでもないんです」
国王夫妻の前で、なんてことをしてしまったのだ。
シェスティが青褪めつつ言うと、すぐそこにいた貴族たちはとくに気にしていないと柔らかな苦笑を返してくる。
王妃がため息をこらえる顔で向こうを見た。
同じく扇を広げた母が素早く父の脇腹を肘でつき、父が慌てて国王に言う。
「えー、うちの娘がすみません……」
「よい。今のは、うちの息子が悪い」
国王が困った顔で、王冠の下を手で軽く撫でつけた。
「まったく、一歩踏み出さないのがじれったいな」
「ほんとよね」
王妃がため息交じりに相槌を打つ。彼女が顎を軽く動かすと、意図を察して侍女が動き、係の者からドリンクを受け取ってカディオに渡す。
(素直に受けったのが気持ち悪いわね)
シェスティは気になった。両親も、揃って彼のほうを見ている。
すると、王妃が言った。