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エステルを帰したのち、アンドレアも会場に待っている相手がいるわけではないので、早々に事態した。
一緒にいたユーニは、ダンスをしているエステルを見つけた際に『少し離れる』と言ったら、アンドレアを引き留めもせず見送った。
まるで、ダンスをしないで済むことをほっとしているような顔だった。
(そんなに、露骨だっただろうか)
首元を指で引っ張って雑に楽に下アンドレアは、自室のソファに腰を沈めるようにして座った。
あとで、途中で会場を抜けてここへ父が来ることになっている。
テーブルに飲み物の様子を指示しなければ、と思うのに、使用人を呼ぶたのベルをすぐ鳴らす気にはなれない。
しばし一人になれたくて、引き上げてきたようなものだ。
――あの傷跡に、男が触れた。
アンドレアは、アルツィオがエステルの身体に残された大きな傷跡に唇で触れた光景を思い返す。
あの時、彼は激しい怒りが一瞬で込み上げた。
「俺も、触れたことがなかったのに――……」
ずっと、我慢していた。
弱い彼女が〝また同じ危険に晒される可能性があるのなら〟王妃未来の立場にはしないほうが、彼女のためだとアンドレアは思っていた。
エステルと出会ったのは、今から十一年前だ。
アンドレアはまだ十歳、エステルは七歳だった。
初めてエステルを見た時、アンドレアは愛らしい女の子だと思った。
数字にすれば『たった三つ』だと思っていたが、その年齢差がこんなにも大きいのだとは、彼女を前にした際に自分よりとても小さくて幼いのを見て実感したものだった。
当時、アンドレアは、魔法や魔力ばかり聞かされてうんざりする毎日だった。
そんな中、魔法はそんなに詳しくないのだと、おずおずと申告してきた彼女を愛おしく思った。
初めての顔合わせの時、よき夫婦になれる予感がした。
しかし、少しあとに事件が起こる。
公爵家に力がいくことにいい思いを抱かなかった、貴族の嫌がらせだった。
けれどエステルは、貴族が当たり前に使えるとされる簡単な防壁魔法もはれなかったから、大怪我をした。
アンドレアは、とても素敵な子が自分の婚約者になったと喜んだ、少し前の自分を恥じた。
自分の方で年上だ。守るべき婚約者であるのに、彼女をそばに置くことで、エステルが危険に晒されてしまう可能性を微塵にも思い浮かべなかった自分が、許せなかった。
『彼女の幸せを考えるのなら、――王家の、花嫁にはしない方がいい』
アンドレアは、たった短い間の交流で、エステルを心から可愛く思うようになっていた。
彼女には幸せになって欲しかった。
安全に、暮らし続けられる未来を与えようと思った。
エステルは魔力量第二位なので、王が決定した結婚を子供のアンドレアがどうすることもできない。
だから、二人の結婚はうまくいかないのだと周りに知らしめることにした。
慕ってくれているエステルに、期待など抱かせないように接した。
(愛してる。君が、好きなんだ)
そんな思いを胸に、彼はエステルに背を向けた。
努力は早々に功を成して、護衛部隊からエステルの周囲が落ち着いたと報告がくる。
王太子であるアンドレアが必要な時以外にはダンスをしないから、貴族の令息達も、エステルをダンスには誘わなかった。
それは、アンドレアを密かにほっとさせた。
もし目の前で、彼女が別の男と踊ることになったら、心をまだ平静にたもてないと感じていたから。
エステルは年々、とても美しい女性へと成長していった。
こんなにも彼女という存在を求めているのに、結婚してしまえないことがアンドレアを年を重ねるごとに苦しくさせていった。
――そしてとうとう、エステルは結婚ができる十八歳になってしまう。
とうとう、アンドレア以外の誰かに譲る時が来てしまったのだ。
けれど、彼は、なかなか口にできなかった。
自分の父である王に、エステルとは結婚しない、と。彼女との婚約を解消してくれ、と――たった一言、二言、意思表示をすればいいだけだったのに、未練がましくも婚約者という座にすがりついている自分がいた。
そんな時、ユーニが誕生日と共に魔法数が国内第二位になった。
アレス伯爵が、魔法数第一位のアンドレアに魔法習得のことなど助言をけあげられないだうかと頼んできた。
エステルとの仲が冷めきっているので、娘をうまく王家にく見込めるのではないかという打算が、アレス伯爵の言葉や態度から透けて見えた。
けれど――周りが心配する中、アンドレアはあえてアレス伯爵の勧めに乗ることにした。
公務で忙しいので、しばらくの間、社交の中の時間も使ってユーニに魔法数取得のコツなどの助言をする、と。
パーティーで一緒にいたのも、そうだ。
踊りながらも、二人は魔法のことで話題が尽きなかった。
ユーニは、エステルを忘れるのにもいいかもしれないとアンドレアは思えた。
周りの声が強まれば、エステルとの結婚が自然な流れで消えていく可能性はあった。
そうやってアンドレアは、決断がつかない自分を追い込むことにした。周りによって終わらされる未来を選んだ。
――だが、エステルが魔力を失ったという知らせが王都を騒がせた。
もう、彼女と結婚できないのか。
そう突きつけられたような瞬間、アンドレアは目の前が真っ暗になった気がした。
再三、きちんと検査をしろと要求した。
エステルが、王家が幼い頃に選んだ理由である結婚資格の魔力をほとんど失ってしまったなんて、そんなこと信じたくなかった。
どこかの貴族の陰謀なのではないかと、アンドレアは疑った。
調べて分かったのは、エステルが大半の魔力を失ってしまったのは事実だということ。
そして、彼女の魔力が癒し属性だったため、魔力暴走を起こしてしまったとはいえ、結果として運び込まれた大病院で全患者の病を治してしまった、という事実だった。
『魔力が残っていたのなら、国にとって貴重な医療魔法の使い手になったのではないだうか』
『惜しい人の魔力を、失わせてしまったものだ』
いまさらになって残念がる声が、貴族の間からちらほらと聞こえてきた。
アンドレアとエステルの間は、はたから見れは完全に冷めきっていた。
誰もが、魔力量が唯一、二人の婚約を繋ぎとめていたと考えている。
踏ん切りがつかなかった決意に、終止符が打てるのではないかとアンドレアも考えた。だが――婚約の解消には踏み出せなかった。
公爵家が嫁ぎ先の変更提案を出し、国王がそれを受ける。
そして同じく大国であるヴィング王国の第三王子を早々に引き合わせた際、余計にアンドレアは是非を出せなくなった。
彼女の隣に座り、話しかけているアルツィオに強く嫉妬した。
魔法を使ってまで、二人だけの内緒話をしていることに一層胸が焦げつきそうだった。
エステルが領地の別荘に行ってしまったあとも、ヴィング王国第三王子のアルツィオが、顔を見に行っているようだと噂が流れた。
それを耳にするたび、アンドレアは強く拳を握った。
まだ、彼女は自分の婚約者なのだと――それだけの繋がりで、冷静さをギリギリたもっている自分がいた。
(だが――)
今夜の舞踏会で、踊るだけでなく自分の胸に独占しているアルツィオを見て、カッと腹の底が焼けついた。
はっきりとした怒りが込み上げた。
アルツィオは、エステルを自分の妻にするつもりでいるのだ。
そう見せつけられている気がした。しかも間もなく、ふと彼と目が合う。
『あなたの婚約者、もらってしまってもいいんですよね』
そう、挑発するように彼の唇が動くのを、アンドレアは見た。
そうしたらアルツィオが、エステルを会場から連れ出したのだ。
追わずにはいられなかった。アルツィオが向かったのは、恋人達が過ごす庭園だ。
そこでエステルに、何をするつもりだろうか。
アンドレアはあの時、焦燥感で護衛にもついてくるなと釘を刺して二人を追っていた。
エステルはそこで行われている男女の恋の会話も、愛の駆け引きも、交際のスキンシップさえも知らない。