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解放

 結局3人はうちで夕食をとって、明け方に出発することにしたようだ。
 それまでに、僕はついていくかどうかを決断しなければならない。

 父と兄がエミリーとエレノアに対してどんな反応をするかが不安で仕方なかった。
 2人はとある貴族の未亡人とその娘として紹介したが、父たちは信じていないだろう。
 正直、いきなりそんな説明をされたら僕も信じられない。

エレノアは機転を利かせた話をして誤魔化していたが、エミリーは慣れない空間で慣れない振る舞いをするのを苦痛に感じていただろう。
 僕が優柔不断であるために、彼女を疲れさせてしまった。

 ジャックも居心地が悪そうにしていた。
 原因は、不思議な客人たちを不愉快そうに見つめるリチャードだろう。その冷たい視線をジャックも浴びているのだ。

 苦しい会食が終わり、各々が部屋へ戻っていく。その中で、僕は父の部屋へ向かった。
 ドアをノックして「入れ」という返事とともに中へ入る。

「珍しいな、お前が私の部屋へ来るなど」

「僕は昼間、レディ・サリヴァンの屋敷へ来ないかと招待されました。……出かけるには少々遠い場所にあるようで、しばらくこのマナーハウスを留守にしなくてはなりません」

「いつだ」

「あの3人が出発する明け方に、僕も共を」

 父はしばらく考え込んでいた。
 やはり次男とはいえ、軽々しくこの屋敷を離れることは許してくださらないのだろうか。

「……まあ、お前にはハーコートが付いている。心配はないだろう」

「! では……」

「良いだろう。ではお前は出立の準備をしなさい」

「ありがとうございます。……では、おやすみなさい、お父様」

「おやすみ」

 礼をして部屋を出た僕は、ジョージを待たせている自室へ向かおうとした。だが――。

「アルバート」

 後ろから声をかけてきたのは、リチャードだった。今出てきた部屋の扉の傍に立っている。まさか、今の会話を聞かれていたか?

「居間に来るんだ」

「……はい」

 2人きりで居間に入ると、兄は力任せに扉を閉めた。その音に縮こまっていると、リチャードが口を開いた。

「エレノア・サリヴァンの屋敷に招かれたんだって?」

「……えっと、その……」

「僕はいろいろなパーティで噂を聞いた。よく当たる占い師がいるってね。そして一度だけパーティで見かけたことがあるんだ。……今日は驚いたよ、貴族の未亡人エレノア・サリヴァンがレディ・レイヴンにそっくりだ」

 兄も、彼女の噂を知っていたうえに見たことがあったのか。これは、まずいことになってしまった。

「素性不明の女占い師が自分の屋敷へ人を招くなんて、良からぬ企みがあるに決まってる。行かないほうがいい」

「お兄様、僕が彼女に尋ねたのです。お屋敷がどこにあるのかと。彼女はそれに答えようと――」

「お前の警戒心の無さは童話の子ども以下だな。わざわざ行く必要がどこにある?」

「それは――」

 だめだ。エミリーの問いに答えるついでだと言えば、彼女がエレノアの娘というのも嘘だとバレてしまう。
僕は黙り込んだのも構わず、兄は続ける。

「それに、エミリーは彼女の娘じゃないな? 取って付けたような所作で誤魔化せたとでも思ったか! 赤毛の下賎なんて信用ならない!」

「……お兄様! そんな言い方はよしてください! 何も知らないのに『信用ならない』なんて彼女に失礼です! しかも人を見た目で判断するなど、英国紳士としてあるまじき態度だ」

「……なっ! ……僕はお前を心配しているんだ! 怪しい魔女たちから――」

「魔女だなんてとんでもない! 何も根拠がないくせに、彼女たちを侮辱しないでいただきたい!」

 兄は、会食の時にそんなことを思っていたのか。今までも保守的な人だとは思っていたが、ここまで考え方が染まっていたとは……。

「……僕は、あなたの、……そういう考え方が大嫌いです。……彼女たちについていきます」

「……待ってくれ、違うんだ! アルバート!」

 兄の言葉に耳を貸さず、僕は居間を出て今度こそ自室へ戻った。

 僕たち兄弟は、もう仲良くできないのかもしれない。……さっきは人生で初めて兄に声を荒らげた。
 僕たちのものの見方は、元からあれほど違ったのだろうか。それとも、成長する過程で違ってきたのだろうか。
 だが思えば会食の時、父や他の使用人たちもエレノアとエミリーを訝しむような目で見ていた気がする。……僕やジョージだけが、この屋敷の中では違うのだろうか。

 もしかして、ジョージも2人のことは嫌いなのだろうか。……いや、ジョージに限ってそれはない。彼も、偏見に苦しめられてきたはずだから。

 部屋に戻ると、ジョージは僕の荷物を整理していた。僕は閉じた扉に背をもたれることしかできなかった。

「随分と遅かっ――、アルバート様? どうなさいましたか?」

「お兄様と、喧嘩してしまった……。でもあの人は、エミリーを……、エレノアを……!」

「落ち着いて、坊ちゃん。そこにいないで、まずは椅子かベッドにお座りください」

 僕は、より近い場所にある椅子に倒れ込むように座った。

「何か温かい飲み物でもご用意いたしましょうか?」

「君は……、あの2人を信用できると思ってる?」

「……信用できるか否かは、私には関係ありません。ですが、私には誰かを差別する理由などない。ご存知でしょう?」

 そう言うジョージの目は、寂しそうだった。その目は、僕の熱くなった感情を鎮めた。

「……そうだな。ごめん」

「いいえ、むしろ私は誇らしく思います。差別に振り回されずに人と接することができるあなたが私の主人(あるじ)であることを」

 ジョージは「おやすみなさいませ」と言って、明日の出立に備えて僕の部屋を出た。


 明け方、いつもより早く起きて支度をする。
 屋敷の前にはコーチタイプの馬車が停まっていた。

「馬車でどこまで行く気なのです?」

「ロンドンにある駅。そこから列車で南西(サウス・ウエスト)イングランドまで行く」

 彼女の口から出たその町の名前は知らなかったが、コーンウォールに縁がある場所らしい。

「これは長旅になるな……」

 ちょうど荷物を馬車に詰め込んだところに、父が屋敷から出てきた。
 兄はいない。あの喧嘩の後で顔を合わせるのは気まずかったので、内心ほっとした。

「アルバート。しばらく会えないが、達者でな。ハーコート、頼んだぞ」

「はい、お父様」

「御意、旦那様」

 しばらくここには帰ってこない。
 そんな哀愁に浸っていると、人影が見えた。

 あの部屋は、……リチャードの寝室! 一瞬リチャードと目が合った気がするが、向こうがすぐにカーテンを閉めたようだ。
 やっぱり、僕とは顔も合わせたくないのだろう。

「では参りましょう、アルバート様」

「うん」

 僕たちは馬車に乗り込んだ。
 さすがに4人乗りのコーチに男3人と女2人(内1人は子どもだが)が乗ると車内が詰まってしまう。

「エミリー、お願いだからお前は誰かの膝に乗れよ」

「えー? なんでアタシなのよ!」

「身体の大きさを考えれば分かるでしょう。あなたが一番小さくて軽いからです」

 あからさまに大きなため息をつきながら、エミリーはエレノアの膝の上に乗った。
 これでそれなりの空間が確保される。
 御者に合図を送り、いよいよ出発した。

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