【017:暴君は自信がない】
少し時間は遡り――
日本で急成長したIT会社、ゲートアート社。
久慈家の資本があったとはいえ、その業績は飛ぶ鳥を落とす勢いで当時も今もメディアに引っ張りダコ。
それどころか絶対的に不可能と言われたテレビ局の買収にも成功。
企業当時20代だった日本の若き成功者は今はもう35になるが、その見た目は幼いままの容姿を持つ。
そんな順風満帆なゲートアート社の役員会は、非難から始まった。
「社長。正気ですか?」
6名。プラス1。
端から見れば役員会ごっこと笑われそうな、30代が集まるその中心に一つ大きな椅子。
絶対的な取締役の横に唯一の女性。秘書が立ち尽くす。
暴君に唯一意見を述べる事ができるのは側近の末永。
「白鳳美術館の買収なんて、なんの意味があるんですか」
対して反乱を詰められている当の本人はと言うと、地面に歩く虫を見るようなつまらない目で一瞥する。
――話す価値もない。
目で合図すると末永は奥歯を軋ませた。
「社長。これは引きませんよ。納得の行く説明をお願いします」
視線を合わさず人差し指を内側か外へと向ける。
これは絶対君主が面倒な時に行うアクションで、意図は「誰かこのバカに日本語で説明してやれ」という冷徹な手話。
しかしこの日、誰もが動かなかった。
「――はあ。俺の下にはバカしかいないのか」
久慈画廊。
日本に初めて現れた世界と戦えるIT先駆者はつまらなそうに着席する面子を眺めた。
「プラス思考で考えるなら、イエスマンがいないだけマシというところか」
「そのバカに是非説明を頂きたいです」
生意気だと思う反面、衝突のリスクを承知で前に出るのは画廊からしても評価点ではある。目を閉じて一度だけシミュレーションをした。その結果は――
「自信がない」
「自信がないなら! じゃあなんで白鳳美術館なんて買収をするんですか!」
「流石にこれは度が過ぎます! テレビ局と違いますよ! なんのリターンがあるんですか?」
「……」
トントン、トントン。
これは取締役が考える時の仕草。
テーブルを人差し指でトントンと叩きながら、視線は右に左に宙を彷徨う。
「繰り返す。俺には自信がない」
その言葉に誰かが反論するよりも先に、
「お前達バカ共に説明できる言葉を持ち合わせているかの自信がない」
「……ッ!」
初対面ならその場でぶん殴るか出ていくかの二択だろう。
しかし末永も十年近く行動を共にしており画廊の人物像も把握している。
「絵のせどりをするプラットフォームが欲しい。メルカリの絵に特化したものだと言えばわかりやすいだろうか」
「何故絵が限定なんですか」
「はあ……」
心底面倒くさそうに大きなため息を吐いた。
「そこからか……」
本当にこいつはバカだ。相手にするのも面倒だ。
だが今回に限っては他の社員も同様のバカで誰もが末永の肩を持つらしい。
もう一度、人差し指を内から外に向ける。
動かない。
反旗を翻す骨のある人物ならば、内容にもよるが画廊は溜飲を下げるだろう。
しかし本当に誰もかれもがただのバカだと言うなら、ただただ悲しい。
「――納得の行く説明を求めます」
「チッ」
黙れ、従え。
そう言いそうになった最中、相手もこちらの行動パターンを熟知しているのか生意気にも先手を打ってくる。
何故この俺がバカ共に時間を割いてやらねばならぬのか。
「不信任決議の提案を出すなら白鳳美術館の買収後にしてくれ」
「誰もがアナタを嫌悪し、そして尊敬しています」
「我々が求めるのはあくまで説明です」
「……」
繰り返すな無能、と喉元まででかかったがようやく観念して三度目のため息を吐く。
「IT産業、主にコンテンツ産業のトレンドを説明してみろ」
「はい」
今、IT業界は効率化を追求した果て。
プラットフォーム戦争は終焉し、戦国時代が幕を降ろす。端的に言えばポータルサイトが決まったのだ。
飲食を見るならこのポータルサイト。不動産を見るならこのサイト。通販ならこのサイト。などと各カテゴリ毎の大御所が固まった。
漫画、音楽、アニメ、動画、SNSも同様。
次に起こるのは個人広告の囲い込み。
個人広告。言ってみればインフルエンサーだ。
不正やステマなどシステムの穴を付くいたちごっこの現代、最も信用を勝ち取るのは個人で看板を出すインフルエンサーであるからだ。
「……」
説明を受けた暴君は是非を言わずただ肘を付いていた。
「私の解説に足りない箇所はありましたでしょうか?」
不躾な態度に憤るのもあるが、これは画廊という人物の標準装備だ。
常に他者を見下している様子を眺める部下からすれば、取り立てて憤るほどのものではない。
「続きは?」
「え?」
何度目になるだろうか、ため息を漏らす。
もしため息をすると寿命が二年縮まるという迷信が本当ならば、この男は一日とて生きていないだろう。
「検索すれば誰でもわかる事を偉そうにつらつらと……」
「で? 未来はどうなる?」
「……」
「おい、冗談だろ?」
人に期待しない画廊が初めて入った感情の怒りが――。
「コンテンツ産業は本物だけが生き残る時代が到来します」
大きなメガネをかけたスーツ姿の男、松浦が口を開いた。
「今まででのマーケティング特化。売れる。キャラクターが良いと言ったガワだけ。即ち表面だけの偽物が蔓延る世界が淘汰されます」
「効率化や手軽さより、人は本物を求め始めます」
松浦大悟。
東大から漫画家を目指しデビューを飾る異例の経歴を飾り、ここに入社して役員まで登りつめた異端の経歴を持つ男。
「松浦」
小さく名を呼ぶと頷いた。
「アニメ。音楽。漫画。アダルト。SNS。これらと絵画の決定的な違いがわかるか?」
「……」
「なんならインフルエンサーだのポータルサイトだのも全て含めてだ」
「絵画は全ての要素異なる唯一の点が存在する。わかるか?」
「ビジネスにおいて一線を画す」
「……」
餅は餅屋。
こいつは優秀だから答えに辿り着いたのではなく、ただ自分のテリトリーだから知見あったに過ぎない凡人だ。
画廊は右手を将棋を指すような手付きを上に向ける。
横に立っていたスーツ姿の女性がペコリと頭を下げると、室内の冷蔵庫へチーズを取りに向かった。
「天才。人間。機械。動物」
「――お前たちはなんだ?」
「人間です」
末永は直ぐさに反応を見せるが画廊は緩めない。
「ならば自分で考えろ。機械ならば従え。感情を殺せ」
「動物はいらん。ここはペット禁止だ」
「……ッ」
「ボクは機械です」
口を開いたのは立ち上げ当時からの役員である高田。
「命令をください。ボクは与えられた任務を最高の形でやり遂げます」
「誰にも負けません。誰にも負けない最高の仕事を遂行します」
「不信任決議なんてもっての他。天才である社長がボク達には必要です」
「――それは何の冗談だ?」
主語がない。
頭の良い人間は話しが早く、テーマや内容がどんどんと進むためそれらを瞬時に読み取る必要がある。
「末永さんはとても優秀な人材です。しかしやはり0から1を産み出す天才は社長以外の人物をボクは見た事がありません」
「……」
ため息。
画廊はこめかみを抑えながら、手元に置かれていたブルーチーズを口に運んだ。