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【012:師匠への子どもSOS】

「こっちが師匠の好きなブルーチーズ」
小学校の頃のハイキングを思い出すピクニックシートを広げると、水色のランドセルの中から北海道産のブルーチーズが置かれる。
どうぞ、と促されガサガサと中を開けさっそく口に放り込む。食レポでよく使われる濃厚というワードを超え、もはやバターを食べている錯覚に陥る。
美味しい。ビールが飲みたくなってきた。
「これ、師匠の好きなキリリンビール」
可愛らしい水色のランドセルから、大好きなキリリンビールが現れた。どうぞ、と促されプシュ、とプルタブで返事をする。
いつもの味。やはり天下一品だ。
次はアルタートバッグを漁る。
「これが師匠がいつも使っている被写体の写真集」
パラパラとめくる。
ボクの大好きなおっぱいが大きめな女性がいっぱいある。助かるなあ。
「以上です」
「ふむ」
色々言いたい事はあったが、ポンポンと受け取っていく。
寝起きで頭が回っていない。気の所為だろうか、なんかイーゼルが一つ増えてる気がする。
「顔洗うね」
「はい」
冷たい水で眠気は覚めたが、それでも創作モードなので頭はイマイチ働かない。
さて、あの少女は誰なのだろうか?
少女、といってもゆかりさんのような20歳前後の容姿の子ではない。
紛うことなき小学生。小学生の証明とも言わんばかりのランドセルの登場もアイデンティティの証左とも言える。
それに少女は師匠と言っていたが……。
戻ると、少女はピンと背筋を伸ばしピクニックシートの上で正座して待っていた。
「ふむ」
とりあえず、誰かと間違えられてキリリンビールとブルーチーズを取り上げられるのが怖いので、先に食しておこう。
もぐもぐと食べて飲むと、そんなマヌケな姿でさえ真剣にじっと色助を注視していた。
ぐびぐびとビールをすすった後、ゲップが出ないように口元を抑えて一息。
さて。と対象である少女を正面から捉えると、記憶が蘇った。
「キミは……望愛君かい?」
「はい。雫石望愛です」
「ふむ」
随分と印象が違う。
あの日、小学生達の集まる中で魚を描いていた少女だ。あの時のおどおどした様子もなく、今は凛として一本線が入った様子が伺える。
(もしかしたら幸人君のクラスメイトかな?)
一瞬浮かんだ疑問も、すぐに興味を失った。
望愛君に関心はない。
……いや、そうでもないかな?
幸人君、この子の事好きそうだし、何かできる事があれば魚とか貰える量が増えたりするかな?
それでなくてもクーラーボックス借りパクの謝罪とお礼がまだ出来ていない。
「ふむ」
長考の末、この子はお客様としようか。
「それで、今日はどうしたのかな」
「今日からここに住む」
「うん。学校あるから帰ろうね」
当たり前のように真顔で言い放つが引っかかるわけがない。急にどうしたのだろう。
「師匠と共に暮らします」
「なるほどね。両親が心配するから帰ろうね」
「師匠臭いですけど我慢して暮らします」
「さて、今すぐ帰ろうね」
ふーむ……どうしたものか。
「というか、どうしたの急に?」
「私は高校生になったらセスティアル・マスターになる」
小さい身体を胸いっぱいに張って見せるのが愛くるしい。娘に甘い父親が世に多い理由も頷ける。
「うん。目指すのは自由だよね」
セスティアル・マスター。
まあ何と言うか、画伯の偉い称号みたいな、権威というか、持ってるとドヤれるらしい。
というか高校生までにと言い切る部分から、今現在も既に何かしらのランクは持っているのかもしれない。
「師匠」
「ボクは師匠じゃないけど、何かな? 名前は色助だよ」
「違う」
「違わないよ。ボクは色助だよ。え、なんか怖い。実はボクってクローン人間ってオチなのかな?」
「違う」
続けて、望愛は言った。
「アナタは"燦歌彩月"(さんかあやつき)先生」
――チッ。
ドス黒い感情に覆われる。
迷える子どもを人助けしてあげようと、そんな自分の気まぐれを完全に後悔した。
目の前の小動物のような可愛らしかった少女が、人を馬鹿にするために傀儡にと錯覚する。
「先生の顔、初めて見た」
蹴飛ばしてやろうかこのガキ――。
「――…………ふー」
……はあ。
まあそこまで想定外かと言われればそうではない。
見たところ美術に精通にしている子だ。
展覧会など数多くの作品知識があれば、あの時辿り着くのを予想できないと思う方が甘い。
「キミが師と仰ぐならば、師匠の言葉を覚えているかい?」
望まぬ言葉をかけられると知りながらも、据わった目で見上げた。
望愛君、と呼ぶもその瞳は揺るがない。
「キミは才能がないから絵描きを辞めるべきだ」
「それは私が決める――!」
おや。
あの日、ショックで泣いて震えた子どもがもう壁を超えたか。
なるほどなるほど。子どもの成長というのはボク達大人が思っているよりよほど早いらしい。
「師匠に近づく。手伝って」
「あはは」
イヤに決まっている。ニートでもホームレスでも、時間が余りに余っているとしてもだ。それでも子どものおままごとに付き合う気はない。
さらに今はとても忙しい。
(早く絵を描かなければ――)
指をさされる。
「師匠を超える」
「ああ、そう……」
「怖いの?」
「……」
目の前の少女に興味を失った瀬戸際、意識が絵に向かおうしたところで戻された。
「……」
ジッと眺める。
小さな手。聞き手を今もビシッと伸ばしている。
精一杯頑張る子どもの姿に愛しさを覚えるが、子どもらしい安い挑発だ。
会ったのは二度目だが言葉を交わしたのは今日が初めて。
絵に向き合っていて友達とも遊ばない様子からして内向的。そこまで頭が回る子でもないはずだ。
となれば、帰ってからああ言われたらこう言うと鏡の前で必死にシミュレーションをしてきたのだろう。
瞳は真っ直ぐ捉えているものの、強張った顔から心理状態を察する。
「……ッ!」
上ずって震えている声から伺える臆病さ。
絵が上手くちやほやされているらしいが、所詮は子どもだ。
今が限界。そろそろ緊張の糸が切れるだろう。切れれば……泣き出す程度であろう。
まあいくら泣いてくれても構わないが。
「師匠が弟子にしてくれるまで私は毎日ここに来る」
「でもそうなると……」
「……ッ」
「そうなると……!」
ん?
次の言葉が出ずに首を傾げた。
ここまで我儘を押し通していた子どもが、初めてバツの悪い表情を浮かべた。
それは想定していた張り詰めた重圧の回避ではなく、心から申し訳ないと謝罪の感情だった。
「そうなると……」
ぐすり、と。ついにダムが決壊した。
「私が居ると師匠が描けない……」
「ああ、ああああああああ! ごめんなさい……あああああああ! ごめんなさい!」
「あああああああああああああああ!」
(……)
ふむ。
どれだけ泣いても褒美は出せない。
このSOSの鳴き声にボクの感情は動かない。
だが……まあ、描けないのは困る。
「あああああああああああ!」
「……」
ふむ。
『私が居ると師匠が描けない』
なるほど。どうやら絵描きとしてある程度の目利きはあるらしい。
プシュ。寝起き二本目のビールを開けた。
好物のブルーチーズを口に運ぶ。とても美味しい。これはボクの大好物なんだ。
ああ――なるほど、なるほど。
今になって気付くとはつくづくマヌケだ。
『じゃあ色兄ちゃんの好きなモノとかもいっぱい教えてよ』
あれか――。
「ああああああああああああ!」
人は自分の事を喋りたがり、自分をテーマに主軸を起きたがる。
それなのにホームレス兄さんの話しを聞きたいとせがんだのは少し違和感を覚えていたが、ホームレスの斬新さはそれを打ち消すだけの目眩ましとしては有効だったと。
ブルーチーズを口に入れる。美味しい。メーカーもドンピシャだ。
なるほど。凄いな小学生。
これは確かに、してやられた。
どうやらボクは小学生の掌で踊る道化と。
(やはりボクは未熟だ)

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