10話 終わりの始まり
王都は朝靄に包まれながらも、早くから賑わいを見せていた。
石畳の大通りには見渡す限り人々が集まり、広場には祝いの旗が風に揺れている。その中心には、荘厳たる大聖堂。尖塔が空を突き刺すようにそびえ立ち、光を浴びてまるで黄金に輝いているかのようだ。
「皆さん、これが今日の王都の光景です。」
柔らかな声が広場を見下ろすバルコニーから響いた。その声の主は、一人の女性――テレビ局のリポーター、リディア・ベネットだった。彼女は深紅のコートをまとい、小さなマイクを握っている。その隣にはカメラマンが立ち、レンズを人々の喧騒へと向けていた。
「ここ、U.K.王国の首都は、殿下の戴冠式を祝うため、世界中から訪れた人々で溢れています。歴史的な瞬間に立ち会うために、国内外からどれだけの視線が集まっていることでしょうか。」
リディアは観衆を映すカメラに向け、柔らかく手を差し出した。
子どもたちが振る小旗、屋台の食べ物を囲む家族、感動の涙を浮かべる年配の夫婦。その一つ一つが今日という日の重みを語っていた。
やがて、遠くから行進のラッパが鳴り響いた。それは長い歴史の幕がまた新たに開かれることを告げる音だった。リディアはその音色を背景に、まるで詩を紡ぐように言葉を続けた。
「まもなく、国王女殿下が大聖堂へと到着されます。戴冠式は、この千年の伝統を誇るU.K.王国において、未来を託す象徴的な儀式。国民にとって、そしてこの国にとって、どれほどの希望が込められているか、言葉では尽くせません。」
その瞬間、広場に響く歓声が一際大きくなった。リディアが顔を上げると、遠くに馬車の列が見えた。純白の馬に曳かれた黄金の馬車が、大聖堂の正門へと静かに進んでいく。
「さあ、いよいよ戴冠式を終えられた王女殿下、いえ女王陛下のお披露目です!」
リディアの声が少し震えたのは、その瞬間の荘厳さに圧倒されたからだろう。
「この歴史的な瞬間を、皆さんとともに見届けられることを光栄に思います。」
馬車が止まり、扉が開かれた。その中から現れたのは、緋色と金糸のローブに身を包み、レア陛下だった。煌びやかなドレスをまとったユカリも後に続き出てくる。人々の声が一瞬止み、広場は静寂に包まれる。
女王が第一歩を踏み出すと、聖堂の鐘が高らかに鳴り響いた。それは、U.K.王国に新たな時代が訪れたことを告げる鐘だった。
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遠くで女王が壇上に立つ姿が見える。
白金の王冠が朝日の中で輝き、鳴り止まぬ拍手に応えるように、優雅に手を振っている。その背後には、黄金の紋章が刺繍された巨大な旗が風に揺れ、群衆の歓声が広場を包み込んでいた。
だが、その熱狂の光景から1キロ離れたビルの屋上では、全く異なる静寂が広がっていた。
「ズドン。」
大きな兎耳が揺れる。
女性が銃声を真似た音を口で放った。彼女は所々に木材が使われた狙撃銃を構え、うつ伏せに寝転がっている。その目の前にはスコープの十字形照準が、女王の姿を正確に捉えていた。
「鈴仙[れいせん]、遊ばないでください。」
冷静な声が隣から聞こえる。声の主は白い髪を持つ女性で、その頭には大きな犬耳がついている。彼女――椛[もみじ]は、伏せたまま鈴仙を窘めるように見下ろしていた。
「だってヒマなんだもん。」
鈴仙は頬を膨らませ、構えた銃を弄ぶように動かした。
「椛、私のターゲットは見当たらない?」
その問いに椛は望遠鏡も使わず、黄色味がかった目を少しだけ見開いた。そして、裸眼のまま1キロ以上離れた壇上をじっと見つめる。
「男の方は壇上の下にいますよ。」
「ダメよ。そっちは妖夢の獲物だから。」
鈴仙はスコープのカバーを閉じ、大きくため息をつく。そして、つい愚痴が口をついて出た。
「あの子は今頃、紅魔のメイド長とお買い物でしょ。いい気なものね……あんたは八雲から聞いた?」
椛はその問いに意図が分からないという風に首を傾げた。
「何をです?」
「ターゲットをヤる目的。」
椛は首を横に振る。
「聞いてないですね。あの八雲ですよ? 何を考えてるのかサッパリ。」
鈴仙はスコープを脇に置き、視線を空に向けた。
「師匠なら何か知ってるかな……」
その言葉に椛は挑発的な笑みを浮かべた。
「出た、師匠師匠、何かあったらすぐ師匠。」
「うるさい、下っ端哨戒天狗。」
そう言い返す鈴仙だったが、椛は勝ち誇った顔で返す。
「残念でしたー。最近、私にも後輩ができたんですよっ!」
「ぐぬぬ……。」
鈴仙は悔しそうに歯噛みしながら、隣の椛に背を向けた。だが、その表情はどこか楽しげでもあった。
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壇上では、レア陛下の演説が静寂を貫いていた。
彼女の声は若き情熱を乗せ、広場に集う群衆の心に届いていた。
「──で、あるからして残されたアンドロイド達にも権利が必要なのです。その上で研究に協力いただくのが、文明人のあるべき姿だと考えます。」
その言葉に拍手の波が会場を駆け抜けた。レア陛下は穏やかに手を挙げて応じると、続けて言葉を紡ぐ。
「実は、この会場にもアンドロイドの一人に警備を任せています。皆さまに紹介いたしましょう。」
彼女は指を掲げ、舞台の左端にある撮影用の鉄骨足場を示した。その上では、警備員姿のウタが手を挙げ、群衆に向かって静かに手を振っていた。
最初はまばらだった拍手が次第に大きくなり、レア陛下が続ける。
「ご存じの方も多いと思います。アルテ事務所、ウタ所長さんです!」
拍手が熱を増し、視線がウタに集中する中、陛下の声はさらに高らかに響く。
「ウタ所長は、武力を持つことでアンドロイドを守ってきた功労者であると──」
その場面とは裏腹に、舞台下では緊張が漂っていた。
「こちらレイ、異常はないか?」
通信機を片手に、レイが冷静に状況を確認する。配置された警備チームからの報告が続々と返る中、舞台左端にいたネルの声が聞こえた。
「こちらネル。…異常ありません。」
だが、彼女の声には一瞬の緩みが含まれていた。それを聞いたレイが即座に注意を促す。
「ネル、気を抜くな。演説が終わるまでが本番だ。」
その言葉に背筋を伸ばし、ネルは再び聴衆を観察する。パイプ椅子に整然と座る人々は、皆ウタに向けた笑顔や穏やかな表情ばかりだった。
だが── その中でただ一人、険しい顔をした男性が目に留まる。
ネルの目が瞬時に鋭くなる。前から二列目の男性は他の聴衆と異なり、まっすぐにレア陛下を睨みつけていた。その視線には明らかな敵意が宿っている。
「怪しい……。」
そう思った瞬間、男性が突然立ち上がる。椅子を蹴散らす音が響き、ネルは動こうとしたが、次の瞬間、男の脇から銃のような物がチラリと見えた。
「銃だ!」
ネルは即座に無線で報告し、男に向かって駆け出す。だが、男はパイプ椅子を掴むと、それをネル目掛けて投げつけた。
勢いよく飛んできた椅子がネルの胸を打ち、足が止まる。その隙に、男は拳銃を構え、壇上のレア陛下へ狙いを定めた。
「レア!!」
二発の銃声が響き渡る。
同時に、傍にいたユカリがレア陛下を抱きしめ、地面に押し倒していた。銃弾が彼女のドレスを裂き、鮮血が舞い散る。
ボディーガードが次々と駆け寄り、陛下を囲む。その中で、レア陛下が冷静に声を張り上げる。
「私は大丈夫よ! みんな、落ち着いて。ユカリ?」
その言葉とともに、陛下は自分を庇ったユカリの体を見下ろす。彼女のドレスには鮮血が染み広がり、胸元から息が漏れる音が聞こえた。
「ユカリ!? 救急車を! 早く!」
会場はパニックと化し、聴衆が次々と逃げ出していく。その混乱の中、ネルは無線を通じて犯人の特徴を伝えた。
「犯人が逃げた! 黒髪、黒い上着、中は赤いシャツを着ている!」
ネルの報告を聞き、足場の上にいたウタが群衆の中に犯人を捉え、冷静に無線を入れる。
「こちらウタ。犯人を見つけた、追跡する。」
指示を待たずに足場を飛び降り、彼女は犯人を追う。その動きを見たレイが即座に命令を飛ばした。
「ウタ、できる限り生け捕りにしろ。ネル、ウタのバックアップに入れ。」
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屋上では──
鈴仙は狙撃銃のスコープを覗きながら、満足げに鼻歌を漏らした。
「盛り上がってまいりました♪」
その様子を見ていた椛が呆れたように声をかける。
「鈴仙、あんたねえ……あっ。」
椛の瞳が鈴仙のターゲットであるウタを捉える。
「ターゲット発見っ!」
その言葉に鈴仙が楽しげに笑いながら隣に手招きする。
「ほら、楽しくなってきたでしょ?」
「まさか。早く帰りたいんですよ。」
そう言いながらも椛の千里眼と鈴仙の狙撃銃の射程に街の全域が収められた──
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