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11話 闇渡り、闇放り






ウタは人混みをかき分け、素早く犯人を追った。

 レア陛下への狙撃が失敗したと悟ったのか、男はパニックになりながらも狭い路地へと飛び込む。黒い上着が翻り、赤いシャツがちらついた。


「逃がさない。」


 ウタの足が音もなく地面を蹴る。人間ならば、この混乱の中で追跡するのは難しい。しかし、彼女の視界はそんな中でも明瞭で、最適なルートを瞬時に導き出す。


「ネル、こっちは任せて。バックアップは不要。」


 無線に短く告げると、ウタはさらに加速した。アスファルトが砕け翔ぶように疾走し、追跡を続ける。ネルはその動きを目にし、思わず息を呑んだ。


「ちょ……速っ……」


 狭い路地は入り組み、ところどころに古びた鉄製の階段や梯子が備え付けられている。犯人はその一つに高々と跳躍し、手をかけ、軽快に上へと逃げていく。その身のこなしは、ただの犯罪者のそれではない。

 ウタは即座に分析する── 訓練された動き、体幹の強さ、跳躍力……尋常ではない。

 男は三階まで登り、窓のガラスを肘で割り、アパートへ侵入した。中では老夫婦が食事をしていた。突然の侵入者に驚き、白髪混じりの男性が立ち上がるが、男は容赦なく突き飛ばす。


「退け!」


 テーブルクロスが乱れ、食器が床に散らばる。ウタが即座に部屋へ飛び込み、銃を構えた。


「投降しなさい。」


 しかし、犯人は舌打ちし、テーブルクロスを強引に引っ張る。ナイフ、フォーク、スープの水滴までもがウタへ向かって飛ぶ。しかし、彼女はわずかな動きでそれらをすべて回避した。

 ──その隙に、犯人は奥の扉を蹴破り、逃走を再開する。

 ウタは倒れている男性に駆け寄る。


「大丈夫ですか?今、助けを呼びます。」


 ネルが追いつき、部屋に飛び込んできた。


「ネル、彼をお願い。」


 ウタはネルの返事を待たず、すぐさま追跡を再開する。ネルは男性の傍に寄り、状態を確かめる。頭から血が流れていた。


「こちらネル。怪我人が出ました!大至急、救急車を──」



◇⋆。・゚゚・ :゚・⋆。◇⋆。・゚゚・ :゚・⋆。



 ビルの屋上に続くドアが乱暴に開け放たれ、犯人が走り出た。逃げ場がないことに気づいたのか、焦った様子で左右を見回す。

 そこにウタが後ろから静かに銃を向け、言い放った。


「動くな。もう逃げ場はないよ。」


 男は振り向き、ウタと目を合わせる。だが、鼻で笑い、不敵な笑みを浮かべた。

 ──そして、ためらうことなく走り出し、跳躍した。

 ビルの屋上から四車線の道路を飛び越え、向かいのビルの屋上に着地する。常人には到底不可能な跳躍。彼は勝ち誇った表情で、元いたビルの屋上を振り返る。

 だが、そこにウタの姿はなかった。

 一瞬、太陽の光が何かに遮られ、男の顔に影ができる。


 彼が顔を上げる──そこには、ウタがいた。

 遥か頭上を飛び越え同じビルの屋上に着地。そして、彼女は拳銃を構え、冷静に問いかける。


「まだ逃げてみる?」


 一瞬、男は狼狽する。しかし、やがて笑みを浮かべた。


「こういうのはどうだ?」


 そう言い残し、男は再び跳躍する。今度は道路の真ん中にあるマンホールへ。蓋を蹴破り、闇の中へと消えた。

 ウタはすぐに屋上の縁に立つ。だが── その瞬間、彼女の瞳が紫から赤へと変化した。


 『マズルフラッシュを検知、オーバークロック作動。』


 世界は驚くほど鮮明に映った。車や歩行者の動きが止まり、時間が遅くなる。ビルの屋上、遠くの狙撃手。そこにあるのは、小さな閃光。


 『距離1089メートル。弾道予測……頭部に被弾判定。殺意ありと認定、正当防衛適用。狙撃手及び観測手の無力化を開始。』


 ウタの瞳が紫へと戻る。



◇⋆。・゚゚・ :゚・⋆。◇⋆。・゚゚・ :゚・⋆。



 ビルの屋上で伏せ、狙撃銃のスコープを覗いていた鈴仙が口を開いた。


「お、チャンス!いただき〜♪」


 引き金を引く──だが、次の瞬間、ウタは時間の流れを制御するように、わずかに身体を捻る。銀色の弾丸が頬をかすめ、髪の先端が弾き飛ばされる。寸分の狂いも許されない回避――だが、すでに彼女の指は引き金にかかっていた。ほぼ同時に二発の銃弾を発砲する。

 狙撃銃のスコープに直撃。

 砕けたスコープの破片が宙を舞う。鈴仙は反射的に頭を逸らし、かろうじて回避する。


「っ──!?」


 彼女は歯を食いしばり、狙撃銃を構え直そうとした。しかし──


「この程度の距離、スコープが無くてもッ!」


 その瞬間、隣にいた椛が鈴仙の服を掴み、強く引っ張った。


「ちょっと!なによ、いいとこなのに!」

「鈴仙!ヤバいって!!」


 ウタがまるで曲芸を披露するようにくるくるとグレネードランチャー回し、構えた。

 「ポン」という音とともに榴弾が発射される。椛は青ざめ、叫びながら鈴仙を強引に引っ張り、ビルの屋上から飛び出した。


「八雲っーーー!!」


 爆発音が辺りに響く。

 遠くのビルの屋上から黒々とした煙が立ちのぼる。


「無力化完了……かな?」


それを見届けたウタは、開かれたマンホールへと跳躍し、地下へと消えていく。


「こちらウタ。犯人は下水道に逃げ込みました。追跡します。」


暗い下水道で地上からの光だけが彼女を照らしていた。





◇⋆。・゚゚・ :゚・⋆。◇⋆。・゚゚・ :゚・⋆。





 数多の目が泳ぐ、薄暗い亜空間。

 その中心に、八雲は静かに佇んでいた。何もない空間に腰を預け、白い洋傘を指先でくるくると回している。その様子はどこか楽しげに見える。

 彼女の前には無数の瞳の形をした裂け目が浮かび、それぞれが別々の映像を映し出している。歪み、ねじれ、時に揺らぎながら、現実世界の断片を覗かせる。

 やがて、背後の隙間がゆっくりと開いた。

 次の瞬間── 黒い煙と共に、鈴仙と椛が叩き出されるように落下した。


 「ぶはっ!」


 煙を吐き出すように咳き込みながら、二人は地面に手をついて息を整える。椛はまだ苦しそうに咳き込んでいたが、鈴仙は荒い呼吸の合間に素早く顔を上げ、鋭く言い放った。


「ありがとう、椛……って、それより八雲!!」


 彼女は振り向き、声を荒げる。


「なんなのよ、あの化け物!そんなの聞いてないわよ!」


 八雲はゆるりと扇子を開き、口元を隠す。その目だけが、どこか愉快そうに笑っていた。


「ふふ……思っていたより、強そうね。」


 彼女の声音は軽やかだったが、その奥には確かな興味が滲んでいた。そして、わずかに首を傾げながら、静かに問いかける。


「あなたは降りる?」


 挑発とも取れる言葉に、鈴仙は一瞬だけ逡巡する。しかし、すぐにその赤い瞳に強い意志を宿し、毅然と言い放った。


「……やるわ。もう二度と逃げないって、決めてるの。」


 その答えを聞いた八雲は、わずかに目を細める。そして、ゆっくりと頷いた。


「いいわ。」


 彼女の声が、亜空間に静かに響く。


「私は結界準備に取り掛かるわ。あなたたちは──手筈通りに。」


 鈴仙は腰に片手を当て、得意げに胸を張る。


「ええ、任せて。……でも巫女なしで出来るの? 」

その鈴仙の問いに八雲は応えることはなく、扇子を閉じ、姿を消した。

 その脇で、未だ這いつくばったままの椛が咳き込みながら顔を上げた。

 彼女の表情は、どこか不満げだった。まるで「私には聞かないの?」と言いたげな視線。

 その姿は、まるで構ってもらえない子犬のようで──今にも「くぅ〜ん」と鼻を鳴らしそうだった。





◇⋆。・゚゚・ :゚・⋆。◇⋆。・゚゚・ :゚・⋆。





ネルは怪我人を救命士に引き継ぎ、アパートの中を歩いていた。


「迷った……。下水道ってどこ……。」


呆然とつぶやいたそのとき、廊下の照明が点滅し、影が揺らぐ。ふっと暗闇が膨らんだかと思うと、黒い帽子を被った金髪の女性が現れた。


「ネル、ここで何をしているの?」


静かな声。だが、そこには冷たく研ぎ澄まされた圧があった。

ネルは息を飲み、顔を上げる。


「お姉ちゃん……!? 」


久しぶりに会ったはずの姉は、まるで氷の彫刻のように表情を崩さない。


「その首の宝石、貸してくれない?」


唐突な要求。ネルは咄嗟に首元へ手をやり、銀細工のチョーカーに触れる。赤い宝石がわずかに光を宿した。


「これ? どうして?」


姉の眉がわずかに動き、次の言葉は苛立ちを隠さないものだった。


「いいから、貸しなさい。」


ネルは宝石を握りしめ、一瞬だけ俯いた。


「や、ヤダよ……せっかく会えたのに……。お姉ちゃんこそ、どうしてここに? この辺りはいま危険なんだよ。一緒に安全な場所に避難しよう? ね?」


姉は返事の代わりに、無言で左手を懐に滑り込ませる。

そして、実の妹── ネルに漆黒の回転式拳銃を突きつけた。


「ゴチャゴチャうるさい。今すぐ渡しなさい。渡さないなら──」


乾いた銃声。

ネルの足元の床が弾け飛ぶ。破片が飛び散り、木くずが舞う。 しかし、ネルは眉一つ動かさず、姉を見つめていた。

そのとき、彼女の耳元でインカムが小さく鳴った。


『今の銃声は?』


レイの声が響く。ネルは左手を耳に当て、指でインカムに触れた。


「こちらネル。いま──」


その一瞬の隙。
姉の右腕が鋭く振り抜かれる。背中に携えていた銀色の剣が、ネルの視界を裂いた。ネルは反射的に飛び退くが、容赦なく姉は追撃する。


「ちょ、あぶなっ……!」


銀の刃が空間を切り裂くように連続で振るわれる。 その度にネルはギリギリの距離で回避し、狭い廊下を後退していく。

やがて、ネルの背中が冷たい窓ガラスに触れた。じわりと彼女の額に汗が流れていく。

姉の瞳が細まり、ためらいなく刃を振りかぶる。鋭い弧を描き、断ち切らんとする容赦のない軌道。

その瞬間、窓ガラスが細かく砕け散り、青白い閃光が空間を切り裂いた。


「チッ……アストラル……!」


姉の剣を止めていたのは、ネルの傍らに浮かぶ魔剣アストラル。刃と刃が噛み合い、火花が飛び散る。


「私には触らせもしなかったクセに……!」


姉は低く呟くと、迷いなく左手の銃を手放した。金属が床に転がる音も気に留めず、右手が素早く伸びる。

狙いはネルの首元── 赤い宝石が輝くチョーカー。

ネルのチョーカーが引き裂かれる。革がブチブチと引きちぎれ、銀細工が軋み、赤い宝石が儚く揺れた。

宝石を奪い取った姉は流れるように一回転し、後ろ足を振り抜く。

腹部に炸裂する衝撃。ネルの身体は窓枠を砕き、宙へと放り出された。


「──ッ!!」


吹きすさぶ風が頬をかすめ、視界が回転する。

次の瞬間──鋼鉄のボンネットに叩きつけられた。

車体が鈍く軋み、鉄板が深く歪む。車に取り付けられた警報音が辺りに鳴り響いた。

近くまで来ていたレイが駆け寄る。


「ネル!」


彼は歪んだ車体の上で気を失った彼女を抱きかかえ、二階の窓を見上げる。

闇を背に、彼女── パトリシアはその冷たい青い瞳がじっとふたりを見下ろしていた。


「……パトリシア!?」


しかし、彼女は何も言わず、そのまま闇の中へと姿を消す。


「くそ……!」


レイの悪態が、空に溶けていった──




◇⋆。・゚゚・ :゚・⋆。◇⋆。・゚゚・ :゚・⋆。





ひび割れたレンガ壁から滴る泥水と、淀んだ空気。

そこを、荒い息を吐きながら犯人の男が必死に駆け抜ける。
暗がりに映る黒い影のような彼は、ひっそりと続く下水道の通路を走る。水の流れはほとんどなく、彼の足が小さな水たまりに跳ねる音だけが、無機質な響きを残す。


「チッ……クソが……!」


その瞬間、背後から追手の足音が不気味に反響する。すぐそこまで迫る足音に、男の心拍は激しく高鳴った。
男は袖で額の汗を拭いながら、迷路のように入り組んだ地下通路へと身を滑らせる。無数の分岐点を前に、ためらうことなく左へと折れる彼の姿には、逃亡者としての覚悟が宿っていた。

しかし、先に待ち受けていたのは、巨大な円形の水路と、その先を塞ぐかのようなコンクリートの壁。背後からは、水たまりを叩く音が一層鮮明に迫る。男はゆっくりと振り向いた――そこには、静かに拳銃を構えるウタの姿があった。


「観念しなさい。あなたを逮捕します。」


男は、ひとりで追ってきたはずの自信に気づき、唇を歪ませながら嘲笑いを漏らす。


「クックック……まさか、ノコノコとひとりで追ってくるとは。とんだ間抜けだぜ。」


彼は前かがみになり、腕を力なく垂らすと、顔だけをウタに向けた。その瞳は、赤い光を放ち、何か狂気じみた期待を孕んでいる。


「やっと、暴れ回れる時が目の前まで来た……ここいらで、腹ごしらえといくか。」


その瞬間、男の体は突如として変貌を遂げる。服が裂け、内側から灰色の毛が顔を覆い始める。ゴツゴツと不快な音を立てながら、彼の顔の輪郭が歪み、口が異様に長く伸びると、もともとの人間の歯が次々と抜け落ち、代わりに無数の鋭い牙が生え揃った。

ウタはその変貌を冷静に分析する。


「狼男……悪魔か。」


狼男は熱を帯びた息を吐き出し、嘲るように牙を剥き出す。


「どうした? お前が逃げる番だぜ。」


狼男が跳躍の構えを見せたその瞬間、ウタは素早く二発の弾丸を放ち、頭部に直撃させる。

しかし、次の瞬間、狼男は驚異的な速さで距離を詰め、大きな腕を振りかぶり、力任せにウタを容赦なく打ち飛ばした。
ウタは激しい衝撃でレンガの壁に激突し、瓦礫の山に埋もれてしまった。

狼男は、ゆっくりと瓦礫の中へ近づきながら、得意げに笑いかける。


「やりすぎちまったか? 食えるとこ、まだ残ってっかな。」


瓦礫を蹴散らすと、ウタはゆっくりと這い出す。彼女の瞳には、冷静な怒りと挑戦の光が宿っていた。


「安心していい。ローストされるのは、お前だ。」


ウタは手に持った、ペンのような細身の装置を取り出し、赤い小さなレーザー光を狼男の胸に照射する。
狼男は一瞬、体をビクッと震わせたが、何の反応も示さなかった。笑みを浮かべ、勝ち誇ったように口上を続ける。


「ハッ。痛くも痒くもない──」


その言葉と同時に、轟音が地下道を震わせた。何かが地上の道路を、地下道の天井を突き破るかのように押し寄せ、赤い閃光とともに瓦礫が激しく押し潰された。
衝撃波が辺りの水とゴミを吹き飛ばし、地上から眩い光が地下へと差し込む。

狼男が立っていた場所には、無数の瓦礫が積み重なり、その上に、ドラゴンを彷彿とさせる大きな翼を持った赤い髪の女性が堂々と立っていた。
ウタは息を整えながら、その女性に声をかける。


「ありがとう、テト。助かったよ。」


テトはにっこりと笑い、指で軽くピースサインを作る。


「いえーい!」


その瞬間、ウタのインカムが鳴り響く。


『ウタさん、大丈夫ですか?』


ウタは目を閉じ、優しい笑みを浮かべながら答える。


「うん、大丈夫。モモも管制、ありがとうね。テト、もう少し空を飛んでてもらってもいい?」

「らじゃ〜」


テトは大きな翼を羽ばたかせ、再び空へと舞い上がる。
すぐに、レイからの通信が届く。


『何だ、今の音は!? 全員、無事か!? 』


ウタはその問いに、ほほ笑みを浮かべながら、小さく息をつき、レイとの通信を始めた──




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