今日から私は神だ。
「今日から私は神だ」
その浮浪者のような恰好をした男は人通りの多い駅前で、そう叫んでいた。
「私を敬え。これまでの怠惰な生活を悔い改め、神である私に跪け」
もちろん、そんな男の戯言なんて誰も耳を貸さず、みな無視していた。だが、男は、その日から、毎日のように「私は神だ」と同じようなことを駅前で繰り返し叫んでいた。だが、男がいくら騒いでも、しばらくは敬われることはなく、鬱陶しい目障りだという視線しか彼には向けられず、俺も最初は、同じように自称神の男を無視していた。
だが、東ヨーロッパで発生した紛争が拡大し、周辺の国々を巻き込んで肥大化し、東南アジアの片隅で発生した熱病が人から人に感染して、その感染の途中で変異して、感染力と致死率を上げて猛威を振るい始めて、国内でもマスクをして感染防止をするのが当り前となった頃には、その自称神を名乗る男の前には、跪いて許しを請うように男を崇める人が何人かいた。
俺は、正直、呆れた。戦争の拡大に疫病の蔓延、確かに世界は終末に向かっているかもしれない、だが、いまさら、神にすがって何になる。俺は、彼らを横目で見ながら、会社に向った。
通勤電車はガラガラで、会社に向う途中でもスーツ姿の人はほとんど見なかった。でも、0ではなかった。俺と同じで、たとえ終末が近づいていても、それ以外にすることがないのだ。結婚して家族でもいれば、なにか別の行動をしていたかもしれないが、俺はタイムカードを押して、自分の席に座ると、ゴホゴホとせき込み、疲れたように深呼吸をした。もうどこの病院もいっぱいで、救急にさえつながらくなっていた。四六時中聞こえていた救急車のサイレンも聞こえない。熱が出て意識が朦朧としていた。田舎の両親とは、もう数日前から連絡が取れない。会社に向う電車が動いていたのは、奇跡だったと思う。たぶん、もう家には帰れないだろう。身体がだるいし、熱も、上がっているように感じる。このまま会社の机に座って死ぬのだろう。だが、きちんとスーツ姿で、机に座って死ぬというのも悪い気はしない。自称神にすがって死を待つより、俺はいいと思った。なにしろ、俺以外出社していないから、嫌な上司はいないし、仕事サボって、このまま机に突っ伏して寝ても、誰も文句を言わないだろう。
そうやって俺は、最期のときを会社ですごした。