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8話 影に咲いた花




柔らかな陽光が降り注ぐ昼下がり、U.K.国王女の邸宅は、宝石箱をひっくり返したようなきらめきに包まれていた。

広大な敷地を取り囲む鉄製の門は、艶やかに磨かれた黒い装飾が太陽の光を受けて光り輝き、鋳物の緻密な彫刻が陰影をまとい、まるで芸術作品のようだった。

門の先に伸びる砂利道は、淡い風に舞う落ち葉がひらひらと踊り、昼下がりの静寂に彩りを添えている。

庭園は幾何学模様の植栽が精巧に整えられ、噴水のしぶきがキラキラと光の粒子となって宙に舞い上がっていた。その奥には白亜の邸宅がそびえ立ち、窓枠に施された金色の装飾が燦然と輝きながら、訪れる者を威風堂々と迎えている。

そんな絵画のような風景の中、一台の黒い高級車が静かに門を抜け、砂利道を滑るように進んでいく。車体は漆黒の鏡のように空と庭園を映し込み、陽光をまとって息をのむほど美しく輝いていた。


「わあ…本当にお城みたい…。」


車から降り立ったネルとユカリは、目の前の壮麗な邸宅に釘付けになった。そんな二人を迎えたのは、黒い燕尾服に身を包んだ執事。完璧な所作で深々と一礼し、品のある低い声で話し始める。


「ネル様、ユカリ様、ようこそお越しくださいました。殿下の元までご案内いたします。」


その瞬間、ネルの顔が引きつった。横でユカリがくすくすと笑い出す。


「どうしたの、その顔?おかしいんだけど。」
「だ、だって…こんな格好で入っていいの?」


ネルの服装は上下黒のジャージに黄色いラインが入ったもの。

さらに、足元はサンダル風のクロックスという超ラフなスタイル。近所のコンビニへ行くつもりで来たようなその姿に、ユカリは思わずお腹を抱えて笑い始めた。執事はというと、絶妙な立ち位置で「聞こえないふり」を決め込み、無表情を貫いている。


「大丈夫、大丈夫。」


ユカリは涙を拭いながらネルをなだめた。


「ドレスコードなんて無いって、殿下は気にしないから。」


それでも顔を赤くしつつ、ギターケースを背負ったネルはユカリの後を追う。

邸宅の正面玄関をくぐると、目の前には大きなシャンデリアが。無数のクリスタルが燦然と輝き、その華やかさにネルは思わず息を呑む。ふと、背中のギターケースがガタガタと揺れた。まるで「行け!」と言わんばかりに催促されているようだ。

そんなネルをよそに、執事とユカリは廊下を進んでいく。執事は歩きながら控えめに口を開いた。


「ユカリ様、本日既にお客様がお二方到着されております。現在、殿下がお相手をされています。」


ユカリはきょとんとした表情で執事を見た。


「あら、誰が来てるの?」
「軍警察の特認警部、レイ様。そしてアルテ事務所の所長であるウタ様です。」

「警察官と武装勢力のボス…随分面白い取り合わせね。」


ユカリが呟くと、その後ろでネルが声を上げた。


「レイが来てるの?」


ユカリが振り返り、驚いた顔でネルを見る。


「もしかして知り合い?」

「うん、親代わりみたいな人。いや、保護者というか…」


言葉を探すネルに、執事がさりげなく助け船を出す。


「後見人、でしょうか。」
「あ、それそれ!」


ネルはぱっと顔を輝かせる。


「レイはお父さん、ダンテの友達なんだよ。」


その言葉にユカリは立ち止まり、じっと考え込む。数秒後、何かを悟ったようにニヤリと笑った。


「なるほど、話が繋がってきたわ。」


首を傾げるネル、微笑む執事。そうして彼女たちは豪華な廊下を進めていく。









U.K.国王女の邸宅中庭にて──

石畳の小道が花壇の間を縫い、四季折々の花々が甘美な香りを漂わせる中庭。噴水の涼やかな水音が庭全体を包み込み、清らかな空気が訪れる者の心を浄化するようだった。

その中心には、白亜のガゼボが威風堂々と立ち、緻密な装飾が施された柱と優美な屋根がこの庭園の象徴としての存在感を放っている。

ガゼボの中、白いテーブルを囲むのは三人の異彩を放つ人物たちだ。

黒い制服に赤い差し色が映えるレイ、鮮やかな紫色のパンツスーツに身を包んだウタ、そして赤と白のショートドレスで華やかさを添えるレア殿下。彼らはまるで舞台劇の一幕のような美しい調和を見せていた。

レイがティーカップを置き、低く落ち着いた声で切り出す。


「──その《パズズ》という悪魔に憑かれたら、もう助かる見込みはないと?」


その問いに、レア殿下がすかさず答える。優雅ながらも芯の強さを感じさせる声だった。


「ええ。特に単独で行動する者が狙われやすいようです。二日続けて起こったのは、もはや偶然ではありません。」


レイは眉をひそめ、鋭い眼差しを向ける。


「対処法はあるのか?」


レア殿下は胸元に手を当て、神妙な面持ちで言葉を紡ぐ。


「あります。私が信頼する部下に状況を詳しく聞いてみましょう。」

「その部下はどこに?」


その問いに応えるかのように、少し離れた場所から静かな声が響いた。


「ここよ。」


黒いパーカーのフードを揺らしながら現れたのは、ユカリだった。その後ろをオドオドと付いてくる見慣れた姿に、レイは目を見開き、思わず立ち上がる。


「ネル!? なぜここにいる?」


ユカリが淡々と説明する。


「私がスカウトしたの。彼女には目を見張る素質がある。」


動揺を隠せなかった自分を恥じるように、レイは席に座り直し、ネルに視線を戻す。


「…すまない。元気そうだな。そのケースの中身は……アストラルか?」
「うん。悪魔に襲われたとき、これが助けてくれた。」


その言葉にレイは少し微笑みながら頷く。


「気に入られたか……血は争えないな。」


その場の空気が少し和らいだ瞬間、レア殿下が軽やかに手を叩いた。すると、メイド服に身を包んだ給仕が二人、見事なタイミングでワゴンを押して現れる。ネルは思わずその準備の良さに感心するが、殿下はさらに手を叩き、笑顔で言った。


「さあ、座ってお話しましょう!」








白いテーブルの上には、彩り豊かな焼き菓子やフルーツタルトが整然と並び、四つのティーカップからはふんわりと湯気が立ち昇っている。

お菓子の甘い香りと、紅茶に漂うベルガモットの香りが絶妙に混じり合い、ガゼボの中は穏やかな優雅さに包まれていた。

そんな雰囲気の中で、ウタが静かに手を挙げる。


「自己紹介しても構わないかな?」


その声に、レア殿下がすぐさま反応して立ち上がる。


「あ、紹介するわよ!」


そのままウタも立ち上がり、殿下は堂々と彼女を紹介する。


「みんな知ってると思うけど、アルテベスティアの所長さんで、ウタさんです。」

「よろしくお願いします。」


ウタは深々と頭を下げた。その仕草に目を留めたネルが、興味深そうに話しかける。


「すごい!人間にしか見えない…その帽子、武器庫なんですよね?」


ネルの無邪気な質問に、ウタは柔らかく笑い、ベレー帽を軽く叩いた。

すると、小さなロボットが帽子の中からひょっこり顔を出す。その愛らしい姿に、女子たちは口々に「かわいい!」と声を上げ、ロボットは恥ずかしそうに再び帽子の中に隠れてしまった。

その場の空気がほぐれたころ、ユカリが立ち上がり、ウタに手を差し出す。


「悪魔退治専門の巫女、ユカリです。噂はかねがね聞いていますよ。お会いできて光栄です。」


ウタはその手を握り返し、少し困ったように笑う。


「良い噂だといいのですが。」


ユカリは少し考え込んでから、さらりと言った。


「私が聞いた中では……近々、国を起こすとか?」

「いやいや、それはさすがにないです。」


ウタは笑いながら手を振った。そんな様子を見ていたレイが、椅子に深く腰掛けたままぼそりと呟く。


「ウタは有名人なんだな。」


すると、ネルが間髪入れず突っ込む。


「レイはもう少し、テレビを見てください!」


レイは肩を竦め、苦笑を浮かべた。


「悪人の名前しか覚えないからな。テレビを見ると悪人が増える気がしてな。」


そう言うと、彼は立ち上がり、静かだが堂々とした声で話し始めた。


「王女殿下に引き抜かれ、本日より巫女ユカリの部下となった。よろしく頼む。」


その言葉にユカリは驚いて声を上げる。


「えぇ!? レア、もう引き抜いたの?」

「ウタさんの仕事が早かったのよ。」


レア殿下は優雅に着席し、微笑むと、軽くお茶をすする。

一方、ネルはそろりと立ち上がり、消え入りそうな声で自己紹介を始めた。


「た、ただのネルです……よろしくお願いします……」


その控えめな様子に、レイは鼻で笑いながらも含みのある声で言う。


「ふ、確かにただのネルだな。だが、ここにいる誰よりも可能性を秘めている。」


ユカリが賛同するように続ける。


「予備知識もなく悪魔に立ち向かうなんて……金メダル級の勇敢さよ。」


ウタも微笑みながら言葉を添える。


「私が正体不明の敵と遭遇したら、まず逃げることを考える。尊敬するよ。」


殿下もまた頷きながら話す。


「魔剣は強者にしか心を許さないものよ。それが懐いているだなんて、ユカリから聞いた時は驚いたわ。」


その言葉にネルは思わず涙ぐみ、絞り出すように答えた。


「あ、ありがとうございます……。」

「あらあら、どうしたの?」


ユカリがそっと背中を撫でると、レイに視線を向けて軽く睨むように言った。


「ちょっと、どういう子育てしてんのよ?」

「無茶言わないでくれ。」


レイは両手を上げ、降参するように返した。その場の雰囲気がさらに和やかになる中、ネルはテーブルのお菓子を一口、また一口と食べ始め、次第に笑顔を取り戻していく。

その後、ネルはお菓子を存分に楽しんだ。彼女が何度も「美味しい」と呟くその姿に、誰もが小さく笑みを浮かべたのだった──









それからしばらくして、二人の給仕が食べ終えた食器をワゴンに乗せ、足音も静かに中庭を去った。残されたのは、空気が澄んだ冬の午後のような静けさ。その静寂を切り裂くように、レア殿下の声がふわりと響く。

「いつもこう、穏やかに過ごしたいものね。」

その言葉には、どこか遠くを見つめるような儚さがあった。レイはその言葉に答える代わりに、手元のティーカップを慎重にテーブルへ戻した。その動作は、割れ物を扱う熟練の工芸師のようで、無駄な力が一切こもっていない。彼の態度には穏やかさよりも、むしろ静かな緊張感が漂っていた。

そして、殿下の穏やかな語り口とは対照的に、レイの声は鋭かった。

「ユカリ、この国に何が起きている? 二日続けて魔界から悪魔がやってきて、君が対処した事は聞いている。」

彼の問いに、ユカリは軽く息をつき、テーブルに肘をついて前のめりになる。その姿勢には、語ろうとする意志と何かに押しつぶされそうな迷いが混じっていた。

「魔界には何人も魔王がいるハズなの。」

「ハズ?」

ウタが間髪を入れずに疑問を投げかける。ユカリはその質問を待っていたかのように、小さく頷いて答えた。

「もう十年以上、魔王たちは権力争いを止め……大人しいのよ。」

「不気味だな。」

レイが短く評すると、ユカリは背もたれに体を預けて、大きく息を吐いた。その吐息は、冷えた空気に触れるたび、彼女の胸の内の不安を外に漏らしているようだった。彼女はまだ温かい紅茶を一口すすり、カップの縁を見つめながらポツリとこぼす。

「そう、不気味すぎる。そしてダンテの失踪……彼とはかち合うこともあったけど……正直、助かってたわ。」

その言葉の余韻を切るように、レイも背もたれに体を預ける。すると、黙っていたウタが静かに口を開けた。

「どうやって、魔界から悪魔はこの世界に来れるのですか?」

素朴な問いだったが、その場にわずかな緊張を生むには十分だった。レア殿下は考え込むように視線を遠くにやりながら答え始めた。

「魔界との間には目の細かい網があって、力が強いほど通れないのよ。逆に弱く、小さいほど通りやすいわ。」

「網ってマスクみたいな?」

ネルの無邪気な比喩に、ピリついていた空気がほのかに和らぐ。レア殿下もそれを感じ取ったのか、少しだけ声を柔らかくした。

「その通りよ。そして…『門』が開いてない今は《パズズ》のような弱い悪魔が、魔界での身体を捨てて、やってくるのよ。」

レア殿下の話を受けて、ユカリが話を引き取る。

「そのマスクに穴を開けるのが『門』ってワケ。貴女のお父さん、ダンテがそのカギを持っているはずなのよ…。誰もそのカギが何か分からないけどね。」

言いながら、ユカリは両手を上げて肩をすくめた。その動きは、冗談じみた軽さの中にも、やり場のない苛立ちが透けて見える。

レイは視線をネルに向ける。彼の眼差しは鋭いが、どこか優しさも滲んでいた。

「ネル、ダンテから何か聞いていないか?」

ネルは小さく首を横に振った。その動作には、父との距離の冷たさがにじんでいる。

「私はお父さんとあまり話す機会が無かったから……」

その言葉を最後まで言い切る前に、ネルの心には、思いがけない記憶が浮かんだ。「お姉ちゃんなら何か知ってる」──そう言いかけた自分に気づき、彼女は慌てて口を閉ざす。姉がいない現実が、彼女の胸に改めて重くのしかかる。

そして、ネルは目を伏せた。

──会いたい。

その一言が心を支配する。けれど、どうすることもできない無力さが、ネルの内側で怒りのように渦巻いていた。その悔しさに、彼女は唇を軽く噛みしめた。

静かな空気が再び広がる中、遠くの木々が揺れる音だけが、彼女たちの間を埋めていた。





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