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望む未来とあり得る未来 後編

バケモノに請われるがまま、俺は戦いの準備をした。
「ほら父さん、剣だよ」と、チビが持ってきた俺のための剣……? 剣なのか?
斧じゃないのがすっげえ不満なんだが、出されたその巨大な得物は、ひどく無骨な作りだった。
俺の背丈よりデカく、そして片刃、おまけに内側にわずかに反りがあって、とどめに切っ先すら存在しない。
言い換えるならば、藪を切り拓く時に使う鉈を巨大にしたような、そんなフォルムだ。
無骨といえばもうひとつ。この剣……まるで岩から削り出したかのように刀身がデコボコしてる、本当に斬れるのかこいつ?
「何年ぶりだろうね、この剣使うの」
なんてチビはこの不恰好な剣の黒い刀身を見ながらつぶやいていた。とはいうものの俺にはさっぱりだ。
振り心地は……というと、かなり重い。ほんとに岩そのものを持ち上げている感じだ。
だが……うん、悪くねえ。

肩に担ぎ上げ、俺は改めてズァンパトゥを目に止めた。
見覚えある……んだが、どこで会ったかなこいつ。
「ナシャガルが城で世話になったな」
言われて気づいた、そうだ、以前城で倒したことあったっけか! 枯れ木の化け物……そうだ、けどナシャガルって名前は初めて知ったな。
「ダジュレイの仲間でもある……そうじゃないのか? マシャンヴァルの侍者よ」
「ふん、誰かと思えば御子か。あんな下卑たるものと一緒にするな」
そうだった、チビはマシャンヴァルの……いや、そんな事はどうでもいいか。

「父さん……ご無事で」
そんな心配そうな顔をチビの頭にポンと手を置く。
言葉なんてここではもう必要ない。俺が生きて帰ってくれば、それが無事な証拠ってことになるしな。
対するズァンパトゥといえば……余裕なのか、その樹木のような巨大な身体は微動だにしない。
あの腕そのものが武器ってことは分かってる。だったらその腕ごとぶち砕けばいいだけだ!
「うおおおおおおおおっ!」
雄叫びとともに、俺は上段に構えた剣を振り下ろした。
使い勝手? ンなもん斧と変わりねえ!

ゴン! と鉄の塊をブン殴るような衝撃が俺の両腕と全身を駆け巡った。
いいぜこの感覚、瞬く間に俺の血が熱くなってきた!

……が。
「なかなか重い腕をしているな、だが俺には通じぬ」
奴は一撃を受け止めたと同時に弾いていた。地面にめり込んでいたのは奴の腕ではなく、俺の剣だった。
「本当の重さというのは……な!」今度はズァンパトゥの拳が俺の腹に飛んできた。
防ぐヒマすらない。やべええええ!
メキッと、鉄の鎧越しにあばら骨が逝った音。そのまま吹っ飛ば……されるかぁぁぁぁあ!
ぐっと足を踏ん張り、俺は攻撃をそのまま受け止めた。そして……
腹に食い込んだままの奴の拳を掴みとり、一気に投げ飛ばした。
相手の攻撃を流して(いやきちんと流してなかったけど)ぶん投げる。これ親方に習ったんだっけか……?
とはいえ俺も無事じゃ済まされなかった。ひしゃげた鎧を脱ぎ捨てると、腹の奥に溜まっていた血の塊をぺっと吐き捨てる。
呼吸するのも辛い。こんなすげえ攻撃を喰らったなんて生まれて初めてかもな……
「ふむ、力まかせのバカな頭じゃ無いことは、とりあえず分かった」
投げられ、血のぬかるみに埋もれたズァンパトゥがよろよろと起き上がった。

やべえな……あっちはほとんど無傷だ。
こんな攻撃何度も喰らったら、流石の俺でも死ぬかもな。
⭐︎⭐︎⭐︎
……もうどのくらいの時間、奴と斬り合ってたのかすら分からなかった。
こんなの、親方と打ち込み稽古した以来かもな。
両の腕の感覚は失われて、剣を握りしめる手のひらはズタズタに切れてもはやボロ布と相違ない見た目と化していた。
朦朧とした意識の中、ふと周りを見回すと生き残りの仲間……そう、獣人や人間たちが、両手を合わせ、膝をついて俺の戦いをじっと見続けている。
よせよ、俺は神さんじゃねえぞ。祈りなんて捧げるな。
「どうした、もう体力が尽きたか」
残念だけど奴の言うとおり。最初に身体に食らった一撃のおかげで、息を吐くたび泡まじりの血が止めどなく口からあふれ出てきている、まともに呼吸なんかできねえ。つまりは……えっと、なんだっけ。もう考える余裕すら無くなってきている。
だけど俺の身体だけは「それ」を覚えていた。何百、何千回も岩砕きの親方に叩き込まれた唯一の崩し方を。
だがこいつの硬さはそんじょそこらの岩とは違うけどな。
俺の身体をどうにか支えていた剣を下段に構える……が、もう持ち上げる力すら無くしているから、地面を引きずりながら、狙うは一点!
「うおおおおおおおおっ!!!」
渾身の力で奴の右腕に斬りつけた。いやこいつほぼ鈍器だから、打ち込んだといった方がいいかも知れない。
なんて言ってたっけ……でっけえ大岩だって、水の一滴で真っ二つに割れることがあるんだって。
ガキの頃、そんな親方の言ってることが信じられなかった。
だが現実は違ってた。
何年もずっと、同じ一点に水が滴り落ちていれば、いつかはそこが大きく窪み、さらには亀裂が生じ、いかなる大きな硬い岩であろうとも綺麗に割れることを。
「要は根気よ。どんなクソ硬い奴だってな、あきらめずに一つのところだけを打ち続ければどうにかなるんだ。まあどんだけ時間がかかるかは分からねえけどな、ガハハ!」
そうだ、だから俺はぶん投げた時に奴の片腕だけは絶対に持っていこうと決めていた。
「貴様……性懲りも無く何度も!」
へっ、そんなこと言ってる場合か!
血でガチガチに固まってた左手を刀から引き剥がし、俺はわずかにヒビが入ったズァンパトゥの右腕をグッとつかみ取った。
右手の刀を奴の肩口に突き立て、そのままグイッと捻り、もぎ取る!
「ガァァァァァッ!!!」
悲鳴が耳に刺さる。こんな無機物みたいな野郎でも痛みはあるのか。
とかなんとか言っても俺の作戦は成功した、右腕さえ取れば、あとは……

「いいのか?」
目前の奴の口元が、僅かにニヤけた。
え? と答える間もなく、俺の左手……そうだ、もぎ取ったズァンパトゥの腕が水晶みたいに透明になった途端、今度は握りしめていた俺の腕までが固まっていた。
まるで、凍っていくかのように……手首から肘へ、そして……
「な……んだ!?」
驚いてもいられない。俺はすぐさま……皮肉にも奴の腕をもぎ取った自分の左腕を今度はぶった斬る羽目になろうとは。
握った右手に力を込め、俺は水晶と化した左腕を引きちぎった!

……だが不思議と血も出ない、痛みも全く無かった。
なんなんだ……俺自身の腕をちぎり取ったってえのに、腕が存在しているようでいない感覚だけはあるのに、痛みすらないだなんて。
俺の左腕はといえば、完全に水晶の氷柱へと変貌していた。もう少し遅ければ、俺自身も……

「ククク……また振り出しへ戻ったようだな。俺は右腕、そして貴様は左腕を失った。さて、これからどうする?」
ふざけンな、腕の一本や二本無くしたところで別に大したことねえ!
踏ん張ろうとしたが、もう腰から下の感覚もほとんどなくなっていた。
「ちょっと身体が軽くなっただけだ……けっ、こんなのカスリ傷にもなりゃしねえ」

まだ右腕が残ってるじゃねえか。大したことねえ。

……不思議と痛みも喪失感も、それに焦りもなかった。あるのはただ、身体のバランスがちょっとおかしくなった、それくらいだ。
それに腕がまるごと無くなっちまってこれからどうする、みたいな切羽詰まった感覚すら皆無だ。
まあどうせいつか手足の一本くらいは戦いの中で喪くすだろうとは思っていたさ。親方だって脚を切り落としたくらいなんだし。

そうだ……だからって戦局がガラッと変わったわけじゃねえんだ。隻腕ってのも悪くはないかもな、メシ食う時に皿が持てないのが残念だが。

「ふん、片腕がなくなった程度で戦意すら失う貴様ではあるまい?」
「それは俺が先に言いたかったんだけどな……」と、倍の重さになった剣を肩に担ぎ上げた。
血が目に入って視界が真っ赤に染まっていた。まるで夕焼けだな、なんてガラにもない思いが頭をよぎった。
戦闘再開、俺は大きく振り上げた剣を、そのまま奴の首元に叩きつけ……ようとしたがあっさりと弾き返されてしまう。よろけた体制を立て直そうとするたびに全身の筋肉が、骨が今まで聞いたことないような悲鳴を上げる。
先が全く見えない。つーかこのバケモノにはそもそも体力ってモンが存在するのか?
俺の心で自問自答しつつ、二の太刀をぶつける。
奴の身体に触れたら最後だ、またその部分が水晶みたいになってしまう。
何度も何度も斬りつけていく、流れる血とともに意識も地面に吸い込まれて消えていく。

ああ、俺いったいなんでこんな奴と戦ってるんだっけ……
あれ、そういや俺、以前にもこんな状況に陥ったことなかったっけ?
そうだ、昔マティエに振り回されて、えっと、あいつ……イーグとエッザールとで文句言いながら戦って、もうダメだって時になったら、頭の中が真っ黒に染まって……
「そうか、貴様はもう全ての力を無くしてしまったんだったな」

……え?

「いま、なんて言った……?」力を無くした、どういうことだそれは。
「おやおや、そんなことすらも忘れてしまっていたとはな、流石愚鈍王の異名を持つだけはある」
「……あいにく、三日で忘れちまうタチでな。できたら教えてくんねえか?」

よろしい。とズァンパトゥは攻めの腕を下ろしたと思いきや、突然俺の前に、まるでケーキに乗せるクリームみたいに自分の首だけを伸ばしてきた。
「見えるか? 己の顔が」
きれいに磨かれた鏡のような奴の顔。そこには目も口も存在しない、ピカピカなその顔らしき場所には、俺の顔が……血だらけですっかり疲れきった情けない顔が映り込んでいた。
……って、あれ?
よく見てみると、そうだ……傷跡がない!
俺のトレードマークとも言える、あの鼻面に刻まれた十字傷が見えないんだ。
「分かったか、間抜け面の王。それが今のお前だ」
「傷が……そうだ、あの時ディナレがつけた傷が!?」
「貴様も、そして後ろで見ているお前の息子もだ。聖女ディナレの復活のために全ての力を手放したのだ。つまりお前たち親子はもはやただの生き物でしかない」
「だから、もう俺は何でもない存在ってことか」
鏡の顔は、そういうことだと軽くうなずいた。
「聖なる国への礎。ディナレの復活。獣人どもの自由な国。そして人間との共存……分かるか? 貴様のこの愚かな夢が。そんな夢に心乱されたリオネングの王は、国民と共に全てを無に還すために自らの命を捧げて、この私を甦らせたのだ……だが小蝿のようにちっぽけな命だ、私の力もダジュレイたちとほぼ変わらない程度だったがな」

小蝿……か。ふん、コイツに取ってみれば俺たちの命なんぞ虫と同類ってことか。
だがその言葉が、かえって俺の消えかかっていた闘争心にまた火を投げ入れてくれた。
俺もチビも今やただの生き物、聖女でもなんでもなくなっちまったんだ。つまりは奴の言う虫……ああそうさ。虫なら虫でてめえに死ぬまで喰らい付いてやるさ!
「ククク……よもや、貴様が私の身体にここまで傷をつけるとは思っても見なかった……だが最後には私が勝つ!」
「っざけんなこのクソ野郎が!」
俺の剣と奴の鋭く尖った腕がまた斬り結んだ。
おそらく奴の言うとおり、もう体力なんてない、もちろん俺もそうだ。この身体を動かしているのは気力のみ。

そうだ……どっちが勝とうが負けようが、この戦いが終わったら、俺は死ぬかもな。
……だったら!
渾身の俺の突きを狙って、今度は奴の腕の刃が右の肩に深々と食い込んだ。

「希望は捨てろ、愚かな王よ」

残された俺の右腕が、パキパキと音をたてて水晶へと変わっていった。


「父さん!」
支える腕がパキッと砕け散り、俺はそのまま地面にうつ伏せに倒れ落ちた。
目の前には、さっきまで俺の右手だったものが剣をまた握りしめたまま、同じく地面に突き刺さっている。
両腕が無くなった。
耳に響くチビの絶叫と仲間たちの声が、すげえ遠くから聞こえるように感じる。
「さて、どうするかね愚鈍王ラッシュ」
ズァンパトゥが俺の顔面を蹴り上げてきた。くそっ、腕が無いから起き上がれねえ。
そのまま抵抗すらできない俺を、何度も殴りつけた。
ダメだ……身体にもう力が入らねえ。
「滑稽だな、もはや振るう腕すら無くしてしまったとはな、フハハハハ!」
こいつなに笑ってんだ……いや、俺いまどういう状況にいるんだっけ? それすらも思い出せなくなってきた。
こんなこと初めてだもんな。
息をすることすら出来なくなってきた、そうか、俺このまま……
べちゃっと、俺はまた泥の海へと沈んだ。
ヤバい、これが負けるって感覚なのか?
ダメだ、俺……立ち上がらなければ、このクソ野郎をぶっ殺さなければ、俺は……

「分かってんだろうが、だからお前はバカ犬って言われるんだ。こういう時こそアタマ使え!」
泥の奥底から懐かしい声が聞こえた。チビの声じゃない、誰だっけか。
「今のうちに堅ぇモン喰って顎と歯を鍛えておけ。そうすりゃ重いモン持った時に歯食いしばれる」
まくし立てるように早口で、タバコ臭くて、でもってウザったくて……って親方の声!?
「まだ分かんねえのか。その牙はお前ら獣人に残された最後にしていちばん強ぇ武器だろーが。相手の喉笛に噛み付いて喰いちぎるんだ。そうすりゃ大抵の人間は血の泡吹いてすぐ死ぬぞ」
いつの日だったか、親方がそんなこと言ってた気がする。
そうだ、たかが腕が取れちまっただけだ……大したことねえ!
歯を食いしばって俺は立ち上がった。まだ足は残ってる、そうだ、牙もな!
「父さん!」チビが泣きそうな声で俺の元へ駆け寄ってきた。大丈夫だ、俺は死ぬために立ち上がったんじゃねえから。
「チビ……お前は諦めてねえよな?」
「うん、父さん絶対に立つって信じてたから!」
フラフラな俺の身体を、あいつは懸命に支えてくれた。
「剣を……俺によこしてくれ」
「え、けど……腕が」
「まだ俺には牙が残ってる……だろ?」
ボコボコにされて何本か歯は砕けたが、幸いにも牙は四本、きっちりと残っている。
それに血と泥にまみれて目もほとんど見えてこないが、それだって大丈夫だ。あのクソ忌々しい声で奴がどこにいるのかはだいたい見当がつく。
大きく息を吸い込み、俺はチビの持ってきてくれた剣の柄に食らいついた。
口で持つなんて生まれて初めてのことだから、手で持つ以上にすごく重く感じられる。
顎を鍛えてなかったら速攻で落としていただろうな。親方に……いや、ここまで俺を鍛えて育ててくれたみんなに感謝しなきゃ。
「悪あがきにも等しい行為だな」
ほざいてろ、まだ俺は戦える……!
つーかこのクソ野郎にも礼を言わなきゃな、俺にトドメを刺さずにいてくれたことに。

軽いのか重いのか分からない身体と剣を引きずりつつ、俺は一歩一歩奴の元へと進んでいった。
一撃で決められるか……? いや、無理ならこいつと相打ちにでも持ち込められれば!
これが最後の一発だ!

しおり