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望む未来とあり得る未来 前編

 
挿絵


ときおり、ズン! と城全体を揺らす地響きが起こる。
石造りの硬くひんやりとした、居眠りするには最悪な椅子だってことくらい誰にだって分かってる。けど寝ずにはいられなかった。
静かな広間には自分一人だけ。もう何週間も続いているこの戦争を目の当たりにして、だいぶ身体にも疲れが溜まっていた。
ふと正面の扉が音もなく開いたかと思うと、ようやく成人の儀を迎えたばかりのあいつが、カツカツと急ぎ足でこちらへと駆け寄ってきた。
「父上……じゃなかった、ラッシュ王。ここにおられましたか」
濃い緑の、腰のあたりまで伸ばした長い髪が節操なく揺れる。あれほど切れって言ってるのにもかかわらず、こいつは「だって、父さんの毛の色と同じなんだもん。切るのもったいないよ」って延々拒み続けている。
「ここじゃ堅苦しいことは抜きって言ってるだろ」
「うん、まあそれは分かってるけどさ、誰か聞き耳立てているのかわからないし」
こいつ、段々と俺に口答えするのが増えてきたな。でもその生意気さが頼もしくなってきたっていうか。
「ずっとここで寝ていたの?」
寝ていた……ああ、そうだった。おれはここでずっと居眠りしていたんだっけか。
とはいえどうも、その前なにをやっていたかを思い出そうとはしたものの、まるで過去の意識が霧の中に埋もれてしまったみたいで、どうやっても思い出せない。
「ああ、ちょっと疲れが溜まっていたみたいでな」
「しょうがないさ、ようやく戦況が好転してきたんだし、気が緩んじゃうのもわかる」
特注の全身鎧が少々重く感じる。なんというか、窮屈にも思えるし。
あれ、俺こんなのいつから着ていた? 全然記憶にないんだが。
「戦況……?」
「そう、神聖リオネングと僕らの国と……って、父さん大丈夫?」
なに言ってるんだこいつ、ってこいつ誰だ? 俺の事父さんって言ってるし。
どうなっちまったんだ俺、なんか頭の中のもう一方に別の記憶があるみたいだ。
「俺……そっか、王なんだよ、な」
そんな困惑している俺の手を、立派な姿と化した……そう、チビがぎゅっと握ってくれた。
「しっかりして、まだそんなもうろくする年齢じゃないでしょ。ヒューグレイ国の獣人王、ラッシュ父さん」
その言葉にどっと汗が吹き出してきた。
俺……俺は王なのか? しかも聞いたことのない名前の国だし。
しかもなんでこんな変な場所に、いや、俺は確かスーレイの国の地下の洞窟であの変なやつに……違う、俺は乱心したリオネング王と対立して……そうだ、ネネルは? ルースは トガリやジールはどこに行ったんだ?
「父さん大丈夫、目が泳いじゃってるよ、ねえ父さん!」
玉座から身体がずるりと落ちていく。意識が混濁しすぎてもうどうにかなっちまいそうだ。
「しっかりして、ラッシュ父さん!」
そんな床にへばりつきそうな俺の頭を、チビはぎゅっと両の腕で包んでくれた。

「頑張って、もう少しなんだから……あの日みんなで誓ったじゃない。聖母ディナレの遺志を継いだ自由な国を創るんだって」
「ディナレの、遺志……。そうか!」
「あの頃の仲間はほとんどいなくなっちゃったけど、実現のためには犠牲もやむおえない。父さんは僕に言ってくれたんだよ、ここで挫けちゃ元も子もないんだ!」
「ああ、そうだな……」突然襲いかかった意識の流入のおかげで、まだ朦朧としている。
だが俺はたしかに話していたような気が……する。仲間たちの墓の前で。
「マシャンヴァル軍も加勢に来てくれたし、あとはリオネングが召喚したカミサマって呼んでる連中を倒すだけさ……頑張ろう父さん、みんなに顔を見せてあげなきゃ。士気を高めるためにも!」

ゆっくりと俺は立ち上がり、外へと通じる廊下へと向かった。まだ自分がどういう境遇にあるのかも分からない。だがこの大人になったチビの言葉を信じて、今ここにある現実を見に行くしかないってことか。
「ところで、そのカミサマってのはどんな奴なんだ?」
「えっと、確か名前はズァンパ……なんとかって」

どっかで聞いたな、それ。
⭐︎⭐︎⭐︎
空いている部屋全てに命からがら逃げ延びた人たちをかくまったことで、城の中はもはや避難所同然だった。
けれども、会う人たち全てが俺とチビに祈りにも似た言葉を向けてきて……やめてくれ、俺はディナレの代わりになんてなれないのだから。
「ラッシュ王、ご武運をお祈りしています」
また生まれて間もない赤子を抱いた女性が、俺の前にひざまづいてそう言ってきた。
俺も彼女の前に膝をつき「ありがとうな」とそっと言葉をかける。
「お父さん、ほんとみんなから好かれてるね」
「どこぞの王族みたいに威張り散らすのが好きじゃないだけだ」
そうだ、俺は王なんだ。
どういった経緯でこうなったのか未だに思い出せないが、とにかく俺は王様になっているんだ。
たくさんの人に踏まれて擦り切れつつある赤い絨毯を一歩ずつ踏みしめていくと、外から濃い血の匂いが鼻をつく。
「一時はリオネングもここまで攻めてきたけれどね、ラザト将軍とフィンのおかげでどうにか追い返すことができたんだ」
そんな言葉に呼び寄せられてか、正面のドアから鎧の音をカチャカチャ響かせながら、長身の青年が駆けてきた。
「ラッシュ……じゃなかったごめん」
ああ、この生意気なしゃべり方はフィンだな。
「まさかマシャンヴァルが俺たちを助けにきてくれるだなんてな、けどおかげでリオネングの人獣はあらかた片付けることができた。パチャには後でお礼言っとかなきゃな」
短く刈られた髪に、頬にはいくつもの古傷が刻まれている。親父ほどではないにしろ、かなり精悍な顔つきになってきた。
「パチャ……あいつはどこにいるんだ?」
「え、ラッシュがマシャンヴァルに使者として向かわせたんじゃないか。もう忘れたのか?」
そんな事していたのか、やっぱり思い出せない。

「フィン、さっき聞いた話なんだけど……」間に割ってチビが聞いてきた。
「ズァンパトゥ……とかいう怪物だっけか?」

その瞬間、ドン! と城全体が大きく揺らいだ。
パラパラと崩れた石壁が降り注ぐ。なんなんだ、やつら攻城兵器でも持ってきたのか?
チビとフィンはお互いに来たかと話している、なるほどな、つまりは……

「ラッシュ……様、第二、第五騎兵隊が全滅しました……」
這うように入ってきた血だらけの獣人の兵は、その一言を残して息を引き取った。
「ウソだろ? 今さっき騎兵隊に命じたばかりだぞ⁉︎」
兵の亡骸を抱き抱えたフィンの顔には焦りが見えていた。

ー表に出るのだ、王よ。
ふと、俺の頭の奥から、いつか聞いたことがある声が響いてきた。

ーお膳立てはもう済ませてある。それに烏合の衆を何匹よこしてももはや無駄だ。お前自身がここに来るのだ。
以前にも聞いたようなその声……ズァンパトゥか? いや、あいつの声はもっと軽くてお調子者みたいな、誰なんだこいつ?

考えていても仕方がない、俺はその声に応ずるべく、城の外へ、そして城門へと向かった。
「待って父さん、護衛なしで出るだなんて無茶だよ!」
尻尾……じゃない。俺の鎧に付けられたマントを必死に引っ張り、チビは俺を引き止めようとしていた。
「止めるな、呼んでるんだ……あいつが」
「呼んでるって……いったい誰が? 父さん、また疲れが残ってるんだよ」

そうか、チビのいう通り疲れか?
それにしても、鎧が重い。
俺は少しでも歩みを軽くしようと肩や脚甲のいくつかを放り捨てた。こんなクソ重い鎧なんて着けているだけ無駄だ。
「俺が行かなければ、いたずらに兵を消耗しちまう。だからチビ、お前はみんなを退却させるんだ、一刻も早く、さあ!」
マントを手にしたまま茫然とするチビの方に手を置き、俺は最後のお願いをした。
「父さん……なんで」
チビの目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。

「なんでこんな時に、昔みたいにチビだなんて呼ぶのさ……」

城門の外は、懐かしい地獄が広がっていた。
いや、懐かしいだなんて言ったら失礼だな。
斃れているのはみんな同胞である俺たち獣人と、あの時対峙したマシャンヴァルの兵、それに……以前見たこの鎧の紋章、そうだ、俺たちがいたリオネングだ。
同胞の死体の一人ひとりの顔を確認し、ゆっくり歩みを進める。
「みんな、父さんを信じて倒れていったんだね……」
チビの言葉に、俺はうなづくことすら出来なかった。
胸がつまる。こいつらはみんな俺の理想郷のために散っていっただなんて。
地面に広がった血を一掴み、俺は胸の鎧に塗りつけた。これで俺とお前らは一緒だ、って言葉と共に。
そして俺がこの地で屍となり果てようとも、また同胞と共に土に還ろう。
……あれ、これ誰が言ったんだっけな?

遥か前方には、樹木のお化けのような巨大な存在が、生き残りの部隊を相手にその鞭のようにしなる腕を振り回していた。
弾かれる……? いや、それ以上の衝撃だ、食らったと同時に手足が四散し、人はただの血の霧となった。

そばにいた馬に乗り、俺とチビはぬかるんだ戦場を駆け、あの忌まわしき最後の敵、ズァンパトゥの元へと急いだ。
あ、それはそうと、俺の武器!
「チビ、俺の斧を!」
「え、斧……? なんでまたこんな時に?」
会話が噛み合わない、俺の斧だ、ラウリスタの鍛えしあの大斧!
「もうとっくに手放しちゃったじゃない。父さん……いつの話しをしてるのさ」
激しく揺れる馬上で、チビも俺の後ろで振り落とされまいと必死に掴まっている。
まあいい、いや良くはないが今は奴の元へ向かう方が先決だ。

……ズァンパトゥの姿を見とめた時には、もう足元にはさっきまで同胞だった存在の無惨な躯が大量に転がっていた。
それを見たチビが思わず吐きそうになる。
「な、なんでこんな酷いことを……」
言う通りだ。相手を殺すだけなら、ここまでやらなくてもいい。それを……!
まだ生温かな赤い地面を踏みしめながら、俺はズァンパトゥの前に立ちはだかった。
奴も分かっているのか、俺が近づくまで手を出してこなかった。

「初めまして……いや、お前とは一度会ったことがあったかな?」
顔面にあたる場所には黒く輝く巨大な宝石のようなものがはめ込まれていて、口の代わりにその宝石の中の無数の星々が明滅していた。
「約束通り来た。俺がヒューグレイ国の王、ラッシュだ」
「ふふふ、又の名を傭兵王ラッシュ……いや、愚鈍王とも呼ばれていたかな」
嘲笑いと共にムカつく言葉をぶつける。たしかに愚鈍王かもな、まあそれは敵国が付けた蔑称だが……っていや違う、この名前は仲間が冗談半分で付けたのを俺が気に入ってたんだっけか?
ダメだ、まだ頭の中がこんがらがっている。
「お前がマシャンヴァル最後の侍者、ズァンパトゥだな」
「愚鈍王にしてはよく覚えていたな。ありがたい」
そう、俺こそが全ての血と知を受け継ぐ者さ、と黒く光る胸を張り、奴は応えた。
だけどこいつ、俺が知っているお調子者のズァンパトゥとは全然違う……いったい何がやつをここまで変えたんだ?

「ラッシュ王よ、貴様をここに呼んだ意味……分かるか?」
背丈にしてざっと俺の倍はあるだろうか、いや、さっきまではもっと巨大だったようにすら感じたのだが。
「てめえと俺との一騎打ちを望む。って言いたいんだろ?」
宝石の中の星たちが、突然人の目鼻と同じ配列を成してきた。
「ふふ、まさにそうだ。リオネングの王はこの俺様を召喚させるために、我が命を贄にした。ゆえにこれこそが最後の存在というわけだ」

泣いても笑ってもリオネングにはこの気色悪いバケモノしか残されてないってことか。だから……
「そうだ、一騎打ちだ。貴様が勝てばリオネングは滅び、念願である世界統一を成し遂げることができる。だがもし貴様が負けたときは……」

分かる。このバケモノに勝てるやつなんか、世界のどこにも存在しないってことをな。
だからこその、世界最後の一騎打ちってことになるわけだ。

「……面白えじゃねえか」
胸の奥から湧き上がる戦いの衝動に、思わず舌なめずりをしちまった。

しおり