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33話 熱気と清流







砂嵐が舞う中、ラディアス帝国の首都アルハザードにそびえる「光明の神殿」は、砂漠の荒涼たる大地に君臨する支配者そのものを象徴していた。

灰色の石で築かれたその姿は、威圧的で冷たい輝きを放ち、周囲に漂う空気すら支配しているかのようだった。

広場には数千の民衆が集まり、荒れた衣服に身を包んだ彼らの表情には期待、不安、恐れが入り混じる。その周囲を囲む帝国軍の兵士たちは黒い鎧と赤い紋章を身に着け、無言で威圧感を放っている。

神殿の高台、階段の頂には、帝国最高指導者アブダウラの姿があった。

年老いてなお鋼のように鍛えられた肉体を持ち、白と黒の入り混じった髭が荒風に揺れる様子は、まるで帝国の歴史そのものを背負う存在であるかのようだった。その鋭い瞳は遠く地平線を見据えながらも、広場全体を一瞥で支配していた。


広場に、アブダウラの威厳に満ちた声が響き渡る。


「我が帝国の民よ。聞け!」


その声は荒涼とした砂漠を貫き、石壁に反響し、民衆の心を掴んだ。


「この地は長きにわたり血と砂に染められた。しかし、それは我らが生き抜くための戦いであり、この砂漠を楽園とするための犠牲であった!」


歓声が上がり、拳を振り上げる者たちの声が広場を揺るがす。アブダウラはその熱狂を冷静に見据え、さらに声を張り上げた。


「北方の亜人どもは、今なおその牙を磨き、我らの平和を脅かしている!三百年前、奴らの血をこの砂に刻み込んだ日を忘れてはならぬ。『災厄のテオ』を経て、我らが手にした教訓、それは何だ?」

「亜人を滅ぼせ!」


群衆の叫びが一斉に飛ぶ。アブダウラは満足げに頷き、言葉を続けた。


「そう、奴らは三百年前、飢饉に見舞われた時、救いの手を伸ばした我らを襲い、その肉を食らったのだ!奴らは恐るべき敵であり、完全に根絶しなければならない。この砂漠を我らの血と誇りで満たし、真の楽園を築くため、我らは再び立ち上がる!」


歓声がさらに高まり、兵士たちも槍を掲げて叫ぶ。広場は熱狂の渦に飲み込まれていたが、その中に異なる空気を纏う一人の若者がいた。

荒布のフードを深く被ったその男は最前列で立ち上がり、鋭い声を放った。


「これが楽園か!?血で染まった砂漠の果てが?」


静寂が広場を包む。若者の叫びは、あまりに鋭く、誰もが言葉を失うほどだった。彼は短剣を抜き、アブダウラを睨みつける。


「降りてこい、アブダウラ!お前に殺された者たちの無念を晴らしてやる!」


「よかろう。」


アブダウラは静かに答えると、階段を降り始めた。兵士たちは道を開け、その巨躯が若者の前に立つ。彼はローブを脱ぎ捨て、鋼のように鍛え上げられた肉体を晒した。


「やれ。我を刺してみよ。恨みを晴らせ。」


若者は震える手で短剣を握り締め、絶叫しながら突進した。涙が頬を伝い、短剣をアブダウラの脇腹に突き立てる。しかし、甲高い金属音とともに短剣は粉々に砕け散り、アブダウラの肌には傷一つなかった。


「な──!?」


アブダウラは若者を見据え、静かに言った。


「貴様の恨み、しかと受け取ったぞ。」


次の瞬間、彼は若者を力強く抱き締め、その声は広場全体に響き渡った。


「我は貴様を許す!お前は人間だからだ!」


民衆は歓声を上げ、興奮の頂点に達した。しかし、アブダウラの腕に力が込められ、若者の骨が砕ける音が響く。若者の身体は力なく垂れ、地面に崩れ落ちた。

歓喜する群衆の中で、ただ一人、白装束の影が呟いた。


「化け物め……」


その金色の瞳が一瞬だけ輝き、やがて群衆の中へと消えていった。







光明の神殿 内部──

遠くから群衆の歓声が低く響く中、暗い石造りの廊下には黒いローブを纏った二人の影が静かに佇んでいた。黒いターバンを巻いた男、マリクが嘲笑うように呟いた。


「役者だな、我らが閣下は。」
「……マリク。昨日の白装束、どう思う?」


問いかけたのは長身の男ナジームだ。腕を組み、壁にもたれかかるその姿には冷静さが漂う。


「速さも技術も奴が上だな。だが、力なら負けねえ。奴の剣は軽い。」

「またそれか。力しか脳がないのか。」


ナジームの皮肉にマリクの目が険しく細まった。

「お前はどうなんだよ、ナジーム。大臣の護衛についていながら、みすみす殺されやがって。」

「黙れ、お前も逃がしただろうが。」


言葉が鋭くぶつかり合う刹那、重厚な扉が豪快に開かれた。アブダウラが悠然と歩み入ると、二人はその場にひざまずき、声を揃えた。


「閣下。」

「よい、楽にしろ。」


アブダウラは手を軽く振り下ろし、長椅子に腰を落ち着けた。その眼光は二人を鋭く見据えたまま、ナジームに問いかける。


「軍務大臣をやった者の情報は?」


ナジームがすぐさま頭を下げた。


「申し訳ございません。まだ何も掴めておりません。ただ、腕の立つ弓手かと。」


アブダウラは顎を撫でながら、考えるように呟いた。


「双星と呼ばれたお前たちが守れなかったのでは、誰がやっても同じ結果だったろう。」


その言葉にナジームもマリクも何も言い返さず、ただ頭を垂れた。沈黙の中、アブダウラが突然、口角をわずかに上げる。


「弓手か……射的大会でも開いて、賞金を与えるのはどうだ?」

「……金で誘き寄せるのですね?」


ナジームが顔を上げ、確認するように尋ねた。アブダウラは無言で頷き、二人をじっと見つめた後、静かに告げる。


「それは我が行う。お前たちは好きに動け。」
「御意。」


二人がひざまずいたまま返事をすると、アブダウラはゆっくりと立ち上がり、部屋を後にした。

扉が閉まると、マリクが肩をすくめながらナジームに目を向ける。


「で、どうする気だ?」


ナジームは眉間にしわを寄せながら答えた。


「大臣の家は封鎖してある。まずは奴らの痕跡を探す。」

「面倒くさいな……」


マリクは大きくため息をつく。その態度をよそに、ナジームの目はどこまでも鋭く光っていた。










アルハザード北部──

アルハザードの中でも緑豊かな土地で、一層賑わうこの地域には、涼やかな風が小川を渡り、白壁の建物群を撫でていく。
旅人や商人が集う宿営地として栄え、そこかしこにラクダや馬を連れた人々が行き交う光景が広がっている。帝国との対立を続ける商会連合の拠点が点在し、外国人たちの拠り所としても知られるこの地は、どこか物語の舞台のような雰囲気を纏っている。


街の一角。白い壁に溶け込むように軽やかに屋根を渡る白装束の影が一つ。

その動きには無駄がなく、視線を向ける暇もないほど速やかに目的地へと進んでいく。そして、紫と黄色のリボンが風に揺れるテラスに到着すると、影は素早く部屋の中へ滑り込んだ。


「おかえり。」


部屋の中で待っていたのは、紫がかった髪を揺らしながら長椅子に腰を下ろしたウタだった。
肩とお腹を大胆に露出した黒地に金刺繍の上衣、深紅の布を巻いた腰、金刺繍の紫のゆったりとしたパンツ。そのまま宮殿の舞踏会にでも出られそうな姿だ。軽やかな声が部屋を満たす。

白装束の主、ルネはフードとフェイスベールを取り、軽く笑みを浮かべながら応える。


「こんにちわ、踊り子さん。」

「踊れないってば。」


ウタが困ったように笑い返す。そのやりとりに漂う軽やかさは、昼下がりの部屋の穏やかな空気と絶妙に調和している。


「急に頼まれて踊れなきゃ怪しまれるわよ。」
「そ、そうだね…練習しておきます…。」


冗談を交わしながら、ルネは服の中から髪を引き出して整え始める。その仕草を見ながらウタが訊ねる。


「演説どうだった?」
「アブダウラがナイフで刺されてたわね。」


その言葉に、ウタは思わず目を見開く。


「え?大事件じゃない?」
「でもナイフは粉々よ。」


肩を竦めながら答えるルネは、どこか飄々としている。
そう言いながら上着を無造作に脱ぎ、さらにゆったりしたパンツも脱いでしまう。露わになった脚はしなやかで美しい。彼女がウタに近付き、軽く唇を重ねた。


「踊りの練習する?」
「まだお昼だよ…。」


ルネがウタを押し倒し、指先でお腹を撫でる。その動きに、ウタは甘く息を漏らした。


「ただいま。」


二人の距離はさらに縮まり、部屋には昼下がりとは思えない濃密な空気が漂い始める。その静けさと情熱が混ざり合う瞬間は、まるでこの地に流れる小川のせせらぎのようだった──






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