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天の巻

「記憶を……改変!?」

思わず声を上げる柚羽に、仄は小さく頷いてみせた。

「改変と言っても、さすがに記憶そのものを変えてしまう事はできない。【記憶を付け足す】と言った方が正解かしら……すでにご両親が他界されていたから、アナタ自身の記憶を少し(いじ)らせてもらったの」

事も無げに語る仄。

『記憶を弄る』──

言葉では簡単だが、使い方によってはとんでもなく恐ろしい神器と言える。

「柚羽さんの場合、元々嵯峨家筆法の家柄で、代々家宝として伝わる【筆】が存在していた。だから、それが神器であるという記憶を新たに加えたの。そのため、嵯峨家の後継ぎであるあなたは、筆が生玉(いくたま)という神器であり、自分がその継承者であると信じてきた」

淡々と語る仄の言葉に、柚羽の目が次第に大きく見開いていく。

「では、代々伝わってきたあの【口承】も?」

信じられないといった顔で、柚羽が尋ねる。
時空の脳裏に、例の口承の文言(もんごん)が過ぎった。

八握剣(やつかのつるぎ)目覚めし時共に道を歩まん。されば深き眠りに(いざな)うべし』

「そ。それも私が加えておいたの。あなたが時空と出逢った時、剣をこの世から消滅させる手助けをしなさい、という意味をこめてね」

あれは、そう言う意味だったのか!?

時空は、反射的に柚羽を顧みた。
驚愕の顔が、今は感慨深そうな表情に変わっている。

「……そうでしたか。これには、そんな深い意味が……」

そう呟くと、柚羽は手にした筆をじっと見つめた。

「柚羽……」

かける言葉の見つからない時空が、深刻な目を向ける。

「でもそのおかげで、私は時空さんと……皆さんと一緒に闘う事ができたのです。私は、この生玉(いくたま)の継承者である事を誇りに思います!」

そう言い切る柚羽の顔には、先ほどまでの翳りは無く、明るく輝いていた。
その場の全員が、安堵の笑顔を浮かべる。

仄もニッコリ笑うと、今度は凛の方に向き直った。

「あなたの神器は、友達に飢えたあなたの性格を加味して生き物にしたの。子供の頃に拾ったという記憶を加えてね。勿論、意思疎通出来るように、喋る能力も与えてあるわ」

そう言って、凛の抱えるミョウを指差す。

「おかげで、今じゃあなたのベストパートナーでしょ」

片目を(つぶ)って微笑みかけられ、凛は赤くなりながらミュウの背中を撫でた。
何故、この子と会話が出来るのか、ずっと疑問に思ってきた答えが今判明する。

「この子は……大切な友だち」

「みょ〜」

凛の言葉に、ミョウは甘えた鳴き声を返した。

皆の胸にも、温かいものが溢れた。

「ただし、改変できるといっても対象者は限られている。純粋で清浄な心を持った者だけ。(よこしま)な心には効かないの。だから、悪人を意図的に改心させるなんてのは無理な話。便利な力だけに制約が多いのよ」

両手を広げて、仄は付け加えた。
そして説明が終わると同時に、胸元の発光も消失した。

辺津鏡(へつかがみ)──

まさに、神の宝物(ほうもつ)である。

「以上が、私がこの時代に転生してきた理由と目的の全てよ。ただ転生には成功したけど、肝心の饒速日命(にぎはやひのみこと)の所在は、今なお分かっていない」

仄が悔しそうに眉をしかめる。

「それにもし、私が後を追って来た事を知れば、奴は完全に身を隠してしまう可能性もある。そうなれば、一切の手掛かりを失なってしまう事になる。だから素性を隠したの。私にできる事は、早く時空が八握剣を支配できるよう誘導する事と、神器を持つ仲間により護衛させる事だった」

ぐるりと見回しながら語る仄に対し、もはや敵意の視線を返す者はいなかった。

「最初に出逢った日に、屋上で俺を挑発したのはそのためだったのか」

時空の問いに静かに頷く仄。

「饒速日命が、神鏡を人間界のどこかに隠した事は分かっていた。でも、それがどこかまでは分からなかった。だから、神武天皇の転生人(まわりびと)であるあなたなら、必ず八握剣と共鳴し合うに違いないと考えていた」

仄のその言葉に、神器を手にする以前に見た夢の映像が蘇る。

八握剣の神宝図に導かれ、朱色の鳥居を(くぐ)って進もうとする自分の姿。

あの夢こそが、仄の言う八握剣との【共鳴】に違いない。

「そして、あなたは予想通り八握剣を手にする事が出来た。ねえ、時空……結局、あれはどこにあったの?」

時空は、仄に八刀神(やとがみ)神社で八握剣を発見した経緯を話して聞かせた。

「それについてなんだけど……」

尊が思い出したように、八刀神神社の社務日誌について尋ねた。
あそこに記されていた内容は、一体どういう意味なのか。
この元女神様なら知っているかもしれない。
だが仄はすぐには答えず、暫し考えこんでしまった。

「私も、推測でしか答えられないけど……」

前置きの後、仄が重々しい声色で口を開く。

「さっきも話したように、饒速日命の謀略により、数多くの人命が八握剣で奪われたわ。それにより、剣には数えきれないほどの憎悪と怨念が蓄積した。だから……」

仄が、珍しく苦渋の表情を浮かべる。

「もしかしたら……饒速日命は、その【負の念】を維持しようとしたのかもしれない。当時の村人が【供儀(くぎ)】となったのは、恐らくその念を絶やさないために犠牲となった。神鏡を八刀神神社の祭神とすることで、村人に命の奉納を義務付けたのよ」

「そんな……ひどい!」

横で聞いていた鈴が、思わず絶句する。

「何のために、そんな事を!?」

時空も、半ば怒りの表情で吐き捨てた。

「そこまでは分からない……ただ、饒速日命が八握剣を手に入れて行おうとしている事と関係があるのは確かね」

肩を震わせる鈴に言い聞かせるような口調だった。

「人の怨念の蓄積した剣……」

時空の表情が、さらに険しくなる。

饒速日命(にぎはやひのみこと)──

天照大神(あまてらすおおかみ)である仄から告げられた《真の敵》。

これまで幾度も時空を襲い、仲間たちを危険に(さら)した張本人だ。

奴は八握剣を使って、一体何をしようとしているのか。

人間を忌み嫌い、自らの野望のためなら平気で人の命を犠牲にする《悪魔のような神》──

日本という国で生まれ、古代神に対し畏敬の念を抱いて育った時空には、少なからずショッキングな話であった。

「でも先ほどの闘いで、あなたの正体は知られてしまったんじゃありません?あの赤角の口振りは、そんな風にとれました」

柚羽が、心配そうに眉を(しか)める。

「ええ、恐らくね……そして私が皆に神器を与えた事もね……まあ仕方ないわ。あの窮地では、もはや助けに出て行くしかなかったから」

そう言って、仄は肩を(すく)めた。
悲壮感は無かったが、どことなく悔しさが滲み出ていた。

「……事情は分かった」

腕を組み、黙考していた時空が顔を上げる。

「今はお前のいう事を信じるよ、仄……元々神器を手にした時点で、普通の生活など無くなったも同じだ。今さら、『敵の正体が神様だ』なんて聞かされても驚くに値しない。相手が誰であろうと、人の命を平気で奪う奴は許してはおけない。だから……」

そこで一呼吸おくと、時空は皆の顔を見回した。

「俺は、最後まで闘うよ」

時空の両眼には、(あふ)れんばかりの闘気が(みなぎ)った。

その言葉に、その場の全員も大きく頷く。

「そうね、アナタ言い出したら聞かないもんね」(尊)

「どこまでも、お供いたします」(柚羽)

「ワタシが……守ります」(凛)

「一心同体っすよ、先輩!」(晶)

「私に出来る事は何でもします」(鈴)

個々の放つ言葉に、時空はその都度頷き返した。

最後に、霊那の体を支えながら聞いていた幽巳に目を向ける。

「時空、あなたは私たち姉妹の命の恩人。何を頼まれても断ったりはしない。私たちの力も好きなように使って頂戴」

そう言って、幽巳は時空の顔を見据えた。

妹から経緯を聞かされている霊那も、その瞳に同意の色を浮かべる。

「みんな……ありがとう」

時空はペコリと頭を下げると、すぐに顔をあげ照れ臭そうに頭を掻いた。

その仕草に皆の頬が緩む。

「それで、これからどうするの?あなたはまだ、八握剣の支配者にはなっていない。そして、饒速日命がどんな手を使ってくるかも分からない。今のところ、打つ手無しよ」

尊が腕組みをしながら、時空の顔を眺めた。

確かに、その通りだ。

今の俺では、まだ剣を破壊する事はできない。
破壊できない以上、異形たちの襲撃が続くのは必須だ。
おまけに、仄が天照大神だと言う事も知られてしまっている。
想定外の状況に、敵もなりふり構ってはいられない筈だ。
今後は、より一層熾烈で、思い切った手を打ってくるに違いない。

これから来るであろう脅威を予感し、時空は身震いせずにはいられなかった。

バシャーン!

その時突然、窓ガラスの割れる音がした。

慌てて振り向く皆の頭上を何かが走った。

打ちつける音の方に目を向けると、壁に何か突き刺さっている。

それは、一本の矢だった。

「……ほのか!」

時空が叫ぶ。

見ると、矢をかわした仄の頬に血が滲んでいた。

矢が狙ったのは彼女のようだ。

「大丈夫っ!?」

心配そうに叫ぶ尊を手で制し、仄は無言で壁の矢を引き抜いた。
そこには、何やら文字の書かれた赤い布片が貼り付いている。
それに素早く目を通すと、仄はこれまでにない真剣な眼差しで皆を見回した。

「場所と時間が書いてあるわ」

そう言って、仄は布片を時空に渡した。

そこには『明日 廃工場』とだけ記されていた。

「私たちを、誘っているみたいね」

仄の言葉に、皆も布片を覗き込む。

「これは、どう見ても罠ですわ!」

柚羽が叫ぶ。

「そうすよ。こんなの危な過ぎるっす!」

晶の言葉に、全員が同意の表情を浮かべる。

「……どうやら、向こうも腹を決めたようね。(いにしえ)の世では、赤い布には【雌雄を決する】という意味があるの。つまりこれは、『最終決戦への挑戦状』というわけ」

そう言って、仄は時空の顔を(かえり)みた。

「どうする、時空?」

時空も、仄の視線を真正面から受け止める。

「行くとも」

力強く答えるその瞳には、蒼き炎が燃え盛っていた。

「決着をつけてやる!」

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