28話 充足感
「久しぶりね、テオ」
腰に手を当てたルネが、どこか勝ち誇ったような表情で声をかける。
「ルネ、久しぶりだね♪」
ルナ陛下を軽々と抱えたまま近づくテオ。その赤い巻き髪が目立ちすぎて、まるで風景が背景に引っ込んだようだ。その間に、ウタはそろりそろりと二人の間へ滑り込む。
テオが笑みを浮かべ、切り出した。
「あの話、考えてくれた?」
ルネがため息をつきながら答える。
「あ〜、あの話は...こういう事だから。ごめんね」
一方的に話を締めくくったルネは、ウタの二の腕をしっかり掴み、強引に身を寄せる。その勢いにテオは少し困惑しながらも、ウタに目を向けた。ウタも困惑しながら自己紹介を始める。
「え、えっと...初めましてテオさん。私はウタです。」
ウタの緊張した顔をテオはじっとウタを見つめ、ポツリと呟いた。
「初めまして。ふーん...君が羨ましい。残念だなぁ...」
その一言に、ルネはさらにウタを抱きしめる。「当たってる、いろいろ当たってる!」という心の叫びを必死に抑えるウタ。もはや会話に集中できない。
ルネは仕切り直すように、急に話題を変えた。
「テオ、聞きたいことがあったの。日本って国を知ってる?」
ウタが質問をする余裕もない状況を見て、強引に本題へ持っていく。
「ニホン...?聞いた事がないなぁ。」
その一言で、ウタの希望は儚くも砕け散った。しかしめげずに、ウタも質問をしていく。
「その巻き髪は、毎朝セットしてるの?」
突如飛び出した突拍子もない質問に、テオとルネが見事に固まる。
「そこ!?」という無言のツッコミが二人の表情に現れた。しばらくして、テオが不器用に巻き髪をいじりながら答えた。
「えっとこれは...地毛なんだよ...」
すると脇からグリアナが口を挟む。
「テオは竜族の末裔なのだが、角がなくて、その代わりに髪が巻いてるんだ。」
テオがため息をつきながら抗議する。
「グリアナ...ボクが角なしだって気にしてるの、知ってるだろうに。」
しかし、グリアナは肩をすくめて涼しい顔だ。
「事実だろう?なに、そのうち生えてくるさ。竜族は我らと違って魔核ではなく霊核を持つ長命種だ。未だに成長期かもしれんぞ。」
これにはルナ陛下もすかさずフォローを入れる。
「わしはテオの髪好きじゃぞ。」
ルナ陛下が優しくテオの頭を撫でると、テオの顔は見る見るうちに赤く染まっていった。
「...ありがとう、陛下。」
その光景に何かを思いついたようにルネが手を叩く。
「そうだ、ウタ。テオに空に連れて行ってもらいなよ!」
突然の提案に、ウタは思わず硬直する。
「え?」
さらに追い打ちをかけるテオ。
「いいよ。頬にキスしてくれたら行ってあげる。」
どや顔のテオ。しかしその場が一瞬で静まり返る。「さっき振られたばかり」という空気感がひしひしと伝わってくる。
「じょ、冗談だよ〜」
テオがあたふたと誤魔化そうとするその時、ルナ陛下が颯爽と動いた。彼女は躊躇なくテオの頬に軽くキスをする。
「これでよいか?」
イタズラっぽく微笑むルナ陛下。テオは意表を突かれたのか、耳元まで真っ赤になっている。ウタはそれを見て彼女ががとても幼く思えてしまい、年齢が知りたくなる。しかし、気取られぬように直接テオに聞かず、グリアナに尋ねる。
「グリアナっていくつなの?」
突然の質問にグリアナが少し目を開く。
「急にどうした?今年で114になる。」
「えぇ?!」
思わず叫ぶルネ。その後、年齢を巡る軽妙な雑談が続いたが、シャイラとセリシアだけは最後まで年齢を明かさず、頑なな姿勢を崩さなかった――。
「テオさん、明日も会えないかな?」
そろそろお開きという空気でウタは話を切り出した。
「ちょっと見てもらいたいものがあって」
「う、うん...い、いいけど、いつ?」
ウタと何故か動揺してるテオが明日会う約束を取り付けている間、ルネとグリアナは「まさか」という表情で、セリシアはどこか怪しんでいた。シャイラはただ、お腹を空かせているようだった。
「じゃあ明日、陽が落ちたら玉座の間で。」
そうしてテオとセリシア、ルナ陛下と別れて帰路に着く。
◇
帰り道。馬車に乗り、動き出してすぐに静かな車内にルネの声が響いた。
「ウタ、テオに本を見せるつもり?」
その問いに、ウタが答える間もなく、グリアナがさらっと相槌を打つ。
「良い案だと思うぞ。夜天の衣で包んでおけば問題ないはずだ。」
ルネは少しだけ目を細めてグリアナを睨むが、その視線もどこ吹く風。ウタが質問を始める。
「霊核ってなんなの?」
「魔核みたいなもんだよお。竜族と魔族しか持ってない〜。」
シャイラが気怠げに車内で伸びをしながら答えるので、ウタは思わず目線をさまよわせる。どうしても目のやり場に困って隣のルネに視線を送ると、ちょうど目が合う。微妙な空気を振り払うように、グリアナが話を続けた。
「ウタ、明日は私も同席していいか?」
間髪入れず、シャイラが手を挙げて追随する。
「あ、あたしもいく〜。」
ウタは軽く頷きながら了承する。だがその瞬間、ルネが勢いよく提案した。
「せっかくだし、四人で食べに行こうよ!」
「そうだ、お腹すいたぁ!」
その無邪気な発言に、ウタはふと思う。
お腹が空いたことを忘れられるなんて、そんなことが本当にあるのだね、と。
◇
白熊亭の最上階──昼食を終え、二人はグリアナたちと別れて宿へ戻ってきた。部屋に入ってドアを閉めた途端、ルネがウタに飛びつくように抱き締めてきた。
「え?な、なに?」
「魔力補充〜。」
適当な言い訳をしながら、ルネはウタの鎖骨あたりに顔を埋めて力を抜いていく。
「魔力って補充できるの?というか──」
「できないよ〜。オーラでも無理。」
ほぼ全身の力を抜き切ったルネが、完全にウタに体重を預けている。
「眠いの?」
「うん、ちょっと多めに食べたから。お腹いっぱい。」
目を閉じて、幸せそうな表情を浮かべるルネを見て、ウタもつい目を細めた。彼女をベッドまで運ぼうと決意し、お姫様抱っこで持ち上げる。
「わっ...重くない?」
「うん。たぶんグリアナでも持てるよ。」
ルネはその言葉にクスリと笑い、腕をウタの首に回して顔を近づける。ふと頬に彼女の唇が触れ、次の瞬間、耳元で囁いてきた。
「じゃあ、ベッドにいこう。」
「は、はい…。」
ルネの珍しく低い声色に動揺しつつも、ウタはベッドのある寝室へ向かう。その間、ルネの唇が何度も頬や首筋、耳の下に触れ、そのたびにウタの背中にゾワリとした感覚が走る。
「ちょ、ちょっと!落としちゃうよ?」
「もう落ちちゃったよ…。」
耳元で甘く囁かれ、唇同士がふれる。ベッドに着くまで、その距離は縮まったままだった。
「門が閉まるまでに起きて──」
「森の中で待機、でしょ?」
今夜は、帝国情報部の部員を三人脱出させる計画がある。準備を話し合った結果、ウタも協力することになったのだ。ウタは馬車で森の中に待機し、ルネが三人を連れてくる予定だった。
「うん、優秀だね♪」
「どうも。」
ウタはルネをベッドに寝かせるが、彼女は腕を離さない。バランスを崩したウタは、思わずルネの上に倒れ込む。小悪魔のような笑みを浮かべながら、ルネはさらに腕に力を込めた。
「ちょっとお昼寝するね。夕方に起こしてくれる?」
「うん。」
声色を変えて甘えた調子で囁くルネ。
「寝るまでそばにいて欲しい。」
「うん、起きるまでそばにいるよ。」
ようやく腕を解かれると、ウタは上体を起こし、ルネの傍に座り込む。ルネは瞼を閉じて、安心したように小さく呟いた。
「落ち着く…。」
ウタはふと思い出す。
博士が語っていた話だ── アンドロイドは人間によって造られ、人間に安心を与えるために、感情を学び始めた、と。
いま、自分の存在によってこの人間── ルネが安心し、眠りにつこうとしている。
この瞬間、ウタの胸中には言葉にできない充足感が静かに広がっていくのを感じていた──