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27話 多くの思惑と困惑







──ここは亜人たちの国、エスカリオン共和国の首都、新都市アルデンフォード。

北側には、建設中のアルファリオ城がそびえ立ち、その中でもひときわ目立つのは「星狼の塔」と名付けられた高塔だ。天に届かんばかりに積み上げられた石材が、不自然なほどまっすぐに空を切り裂いている。その頂を目指し、今日も命綱も付けずに亜人たちが黙々と作業を続けていた。


──しかし、これから語られる物語はこの共和国のことではない。


さらに北へ。山脈を越え、雪原を越え、その先の最果てにある、暗き地へと視線を移そう。

魔族の国、グラヴァス。

そこは、一年の大半が「極夜」と呼ばれる太陽の昇らない日々に覆われた極寒の地。世界が息をひそめ、すべてが凍てつく白銀の絶望に、黒く歪な城が一際異様な存在感を放っていた。

城の地下では、服も着ず、青白い肌の者たちが暗闇の中で蠢いている。目も耳もない彼らは、ただ鼻と口から荒い息を吐き、奴隷のように何かを動かし続けていた。

城の頂上、最も高い場所には玉座の間があり、その中心には一人の男が目を閉じ、沈黙の中に座していた。青白い肌、鋭く尖った耳、黒髪にコウモリのような雰囲気をまとった男──それがこの国の主、グラヴァスである。

玉座の間に、硬い靴音が静寂を打ち破る。音は徐々に近づき、グラヴァスがゆっくりと瞼を開ける。


「グラヴァス様、興味深い実験体が完成いたしました。」


報告したのは、長身で青白い肌を持つ女性、金色の瞳が怪しく光る。


「何体目だ?」


低く、しかしよく響く声でグラヴァスが問う。


「三十一体目でございます。」


その答えを聞き、グラヴァスはゆっくりと立ち上がった。


「よし、見てやろう。」
「有り難き幸せ。我が主よ。」







──暗闇の中で、意識がぼんやりと浮かび上がる。


『ここはどこだろう?』


周囲を満たす温かな液体が、自分を優しく包み込んでいる。その心地よさに、ふと「以前にもこんな風に眠った気がする」と微かな記憶が頭をよぎる。

しかし、強烈な睡魔がそれを押し流す。今回も意識が闇の中へ溶けていこうとしていた──その時、遠くから微かな音が聞こえた。


『なんだ?……誰かの声?』


眠気を振り払うように、必死に耳を傾ける。


「これか?」
「これは二十九体目です。形が酷く、使い物になりません。」

「ゴミ共のエサにしろ。」

遠く、不確かな声。


『誰かが…話している?』


音は少しずつ近づき、胸の中にもどかしさが募る。しかし、自分には何一つできない。ただ聞くだけだ。


「これは三十体目です。形は良いですが、精神が不安定で…」
「ふん、放っておけ。」


さらに近づく声に、身体が熱を帯び始める。


「これだな?」
「はい。『コレ』は素晴らしいです。竜族と我らの血を同時に保持しています。」


声が興奮に震え始める。


「ほう……素晴らしい。まさに『キメラ』だな。霊核はあるのだろうな?」
「特大のモノが。」


その瞬間、男の低い笑い声が玉座の間に響き渡った。


「素晴らしい、素晴らしいぞ! アビスゲートを開くための準備が着実に整いつつある!」

「祝杯を挙げられてはいかがですか? 亜人どもから頂いた特級のお酒がございます。」
「そうだったな!さすがだ、よく気が利く。我が側近、セリシアよ!」


暗闇の中、その言葉を聞いていた『キメラ』は、なぜだか胸の奥がざわついていた。

──楽しいことが始まりそうだ。

無意識に口元だけが、不気味な笑みを浮かべていた。






──暗闇の中で、意識がぼんやりと浮かび上がる。


『ここはどこだろう?』


周囲を満たす温かな液体が、自分を優しく包み込んでいる。その心地よさに、ふと「以前にもこんな風に眠った気がする」と微かな記憶が頭をよぎる。

音が近づいてくる。それは鋭く、冷たく、鼓膜を震わせる振動のようだ。音がすぐ傍まで迫った瞬間、ピタリと止まる──その直後、ガラスが砕け散る甲高い音が辺りに響き渡った。

キメラが放り出されるように飛び出す。赤い巻き髪に竜の翼を持つ、一糸まとわぬ女性だった。四つん這いのまま震えながら、自分を包んでいた液体が消え去った感覚に戸惑う。冷えた空気がむき出しの肌を刺し、恐怖と混乱が心を覆う。

その時、冷然とした声が響いた。


「立ちなさい。私についてきなさい。言葉はわかるわね?」


顔を上げると、黒髪の女性がこちらを見下ろしていた。彼女の金色の瞳には威厳と冷たさが宿っている。


「は、はい……」


キメラは震える声で応え、何とか立ち上がると、彼女の後をついて歩き出した。


「私のことはセリシア様と呼びなさい。」
「は、はい。セリシア様……」


不安げに周囲を見回していたキメラは、ふと目線を下に向けた。そこには、何とも言えない得体の知れないものたちが蠢いている。その不気味な姿に心がざわつき、自分の手を見つめる。すると自分の手がドロドロとした液体にまみれてる事に気が付く、なんだか臭い気もしてきた。


「よそ見をしていると落ちるわよ。」
「す、すみません……!」


顔をしかめていたキメラは、その言葉で慌てて視線を前に戻す。しかし、セリシアが振り返る。金色の瞳が鋭く輝き、右手をかざすと、周囲の空気がざわめき始めた。細かい水滴が集まり、みるみるうちに大きな水球を形成していく。


「踏ん張りなさい。」
「え?」


その一言が告げられるや否や、水球がキメラに向けて放たれる。強烈な衝撃が体を吹き飛ばし、彼女は宙へと放り出される。 驚きに目を見開きながら、眼下を見ると、さっきの蠢くものたちが手を伸ばしてこちらを掴もうとしている。恐怖がこみ上げる。落ちたくない──その思いが彼女の心を突き動かした。


「飛べ!」


セリシアの鋭い声が響く。その瞬間、背中の翼が本能的に羽ばたいた。風を切る感覚とともに、彼女の体は宙を舞う。翼が一度羽ばたくたび、下にいた蠢くものたちが吹き飛ばされていく。
自由だ──心地よい浮遊感に、高揚感が加わり、思わず笑いが漏れる。こんなにも飛ぶことが気持ちいいものだったのか。


「戻りなさい。」


セリシアの命令に従い、キメラは再び地面に降り立つ。地面に足を付けながらも、再び飛びたい衝動に駆られ、翼がピクリと動く。その時、別の声が響いた。


「ほう、なかなか上出来じゃないか。」


振り返ると、黒髪の男が立っていた。セリシアは即座に跪くが、キメラはただその場に立ち尽くしていた。彼女の戸惑いを見て、セリシアが低く叱責する。


「何をしているの、跪きなさい!」


その声に慌てるキメラだったが、男が手を上げた。


「そのままでいい。」


黒髪の男はゆっくりとキメラに近づき、周囲を一周するようにじっくり観察する。その顔は険しく、眉間には深い皺が刻まれていた。


「セリシア、こいつに服を着せろ。見るに耐えん。」


セリシアは顔を伏せたまま短く返事をする。


「いまの人は……?」
「我が主、グラヴァス様よ。付いてきなさい。」


言われるままに歩き出すキメラ。途中、何気なく振り返ると、先ほど自分が出てきたであろう黒い容器が目に入った。前面のガラスは粉々に割れ、散乱している。
さらに、その隣の容器に目をやると、赤い髪の男が眠っている姿が見えた。その姿に、なぜか親しみを感じてしまう。


「あれは……ボク?」


しかし、思案する暇もなくセリシアに急かされ、慌ててその場を後にした──。







『わたしのししつ』と呼ばれる部屋に案内されたキメラは、セリシアから服を手渡された。キメラはそれを受け取り、姿見で自分を見ながら体に当てがってみるが、どうも胸の膨らみが気になって仕方がない。


「あの赤い髪の人にはなかった……これ、なんだろう?」


そう呟きながら、自分の胸を押したり触ったりして確かめてみる。しかし、いくら触っても意味が分からない。首を傾げるばかりのキメラ。


「何をしているの。早く着なさい。」


セリシアの声にハッとなり、慌てて服を着始める。しかし、その動作はぎこちなく、袖を間違えて頭を通しかけたり、スカートを逆に履こうとしたりと散々だった。

そんな彼女の姿を見て、セリシアは額に手を当て、大きなため息をつく。


「……これから教えることが山のようにありそうね。」


それからしばらくして、キメラはセリシアとともに、グラヴァスの玉座の間へと案内された。二人とも跪き、セリシアが報告する。


「グラヴァス様、服を着せました。今後の方針を伺います。」


グラヴァスは玉座に深く腰掛けたまま、キメラに目を向ける。鋭い視線を浴びせられ、思わず縮こまるキメラ。その様子に興味を引かれたのか、彼は低い声で答えた。


「霊核が満たされるまで200年はかかる。それまでにそれなりに使えるように仕込め。」
「仰せのままに。」


セリシアが頭を上げ、立ち上がろうとしたその瞬間だった──。
突然、玉座の間がざわめくような不思議な音に包まれる。キメラが跪いている床が光を帯び、緻密な魔法陣が浮かび上がった。魔法陣から青黒い光が溢れ、キメラの体を包み込み始める。


「なんだ──?!これは!」


グラヴァスが立ち上がり、その光景に目を凝らす。光は強さを増し、やがてキメラを魔法陣の中心へと引きずり込んでいく。


「バカな……! アビスゲートだと?!」


グラヴァスの叫びも届かず、キメラの視界は再び真っ暗な闇に覆われた──。







どれくらい経ったのか分からない。キメラが目を覚ますと、そこは乳白色の床、壁、天井に囲まれた奇妙な空間だった。すべてが柔らかい光を帯び、現実味がない。

その時、どこからともなく、キメラのことなど気にも留めない会話が漏れ聞こえてきた。


「あれ、思ってたより早く起きたね。朝には強かったの?」
「そんな事はないお」


キメラが訳が分からずに呆然としていると、部屋の隅から灰色の砂が突如現れ、彼女を包み込む。その動きは恐ろしいほど無機質で不気味だったが、なぜかキメラは恐怖を感じなかった。ただ、目の前で起きることを静かに見つめるばかりだった。


「いってらっしゃい。」


その声とともに、視界が歪み始める。世界がねじれ、溶けるようにして消え去る中、紫色した髪が一瞬だけ見えた気がした──。







次にキメラが目にしたのは、暖かな日差しと澄んだ青空だった。

背の高い木々が風に揺れ、小鳥たちが楽しげにさえずる穏やかな風景──しかし、彼女の背後には引き摺られたような跡があり、木々が薙ぎ倒され、所々が燃えていた。

遠くには何者かの姿が見える。大きな耳が揺れ、陽光を受けてきらめいていた。


「ここは……どこ……?」


キメラはその場に立ち尽くし、近づいてくる者たちをただ見つめるしかなかった──






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