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第百三十一話 火の守り(7)

 アルヴィンに話は聞いていたが、ロイ保護区があるスサリオ山の森は本当に広大だった。なんとなく森の家の先の方にあるような印象を抱いていたが、想像よりずっと北側に位置しており、一行は城からいきなり北に向かって歩き出した。城からは近いという話なのでもしかしたら森の家に行くよりは早く着くのかもしれない。同じ森の中なのに木の種類や生えている植物も若干違うような気がする。本当に大きな森なのだ。
 ロイは北の方にある国なので少しでも自国の気候に近い方が過ごしやすいだろうという配慮もあるが、頻繁に視察にも行きやすいという利点があるらしい。やはり他国の人々を目の届かないところで大勢保護するわけにはいかないのだろう。
 アルヴィンが軍の内定を受けながら保護区を抜け出してしまった話からわかる通り、以前は保護区の監視がゆるかったようだが、ロイの人々が帝国軍を迎え撃つため大勢保護区を抜け出して国境にまで走りこんできた事件があったため、最近は周辺に兵が常駐しているらしい。
 ロイの人々の力を目の当たりにしたエリッツはレジス軍が警戒をするのも仕方がないことと思いつつ、やはりその窮屈さに同情もしてしまう。今回の視察の報告もそういったレジスとロイの関係に少なからず影響を及ぼすことになるのだろう。
 人が多く住む場所に向かっているだけあって、森の家に行く獣道のような道よりも歩きやすくならされている。だが一行は馬ではなく徒歩で進んでいる。人数もさして多くない。中の間の離れで打ち合わせをしたメンバーとアレックス、アレックスの秘書官のリザと呼ばれていた女性だ。エリッツにとって視察という言葉のイメージがあまりに格式張っていたのでもう少し大規模でぞろぞろと行進してゆくような想像していたが、よく考えれば今回は機密事項を含む任務であった。話によるとシェイルを見張るためと情報の漏洩に警戒するためレジス軍の間諜が周りにいるのだというが、これはいつものことらしく、みなさほど気にしている様子はない。いや、気にしようにも気配がまったくない。あらためてシェイルの不自由な立場に思いがおよぶ。
 エリッツはあくびをかみ殺した。
 ダフィットが呼びに来たのは朝というよりは夜中だった。シェイルの目が届かないからか、わりと乱暴に叩き起こされた。一度くらい蹴られたような気がするがそれは夢かもしれない。だがそのおかげでいつものようにベッドでぐずぐずすることなく動き出せた。
 そこからはあわただし過ぎてあまり記憶がない。とにかくしゃべるな、物音を立てるな、たが急げとダフィットにむちゃくちゃにせっつかれ、何がなんだかわからない中、気づいたら黙々とまだ暗い森の中を歩いていたような状況だ。
 今日の予定も歩きながら聞いた。視察自体はよくあることなのである程度形式が決まっているようだが、今回は北の王がいる。ロイの人々のことを考えるとなんだか勝手に緊張してしまう。
 エリッツはちらりとアレックスを見た。王女なのに大きな荷物を持っている。荷物を持つ従者もつけていないのだ。体が大きいので歩きではきついのではないかと失礼ながら心配していたが、息ひとつ乱すことなく軽快に歩いている。
 今回歩いてゆくと言い出したのもアレックスらしい。ダフィットは「徹底したパフォーマンスですね」と揶揄したが、やはりエリッツにはアレックスがそこまで計算高いようには思えない。単に道幅も広くはなく、そんなに遠方でもない、もしくは単に歩きたかっただけではないか。
 実際、朝が近づいた夏の森の空気は清々しく歩くのも苦にならない。仕事でなければ避暑地に向かうような心持ちだったに違いない。
「やっぱり朝の森は散歩に最適ね」
 アレックスは機嫌よく歩きながらエリッツに話しかける。
「その大荷物は何ですか?」
 アレックスは軍用らしいごつい背嚢を軽々とゆすりあげた。服装は先日と同じく真っ白なシャツに乗馬用のようなズボンだ。男性っぽい印象の服装が好きなのかもしれない。
「これ? まだ秘密」
 ふくふくと笑う笑顔にいたずらっぽい色が混ざる。おそらくロイの子供たちに配りたいといっていたおもちゃかお菓子なんだろう。秘書官のリザも同じような荷物を持っているが、こちらは体が細いのでアレックス以上に大荷物に見える。
「ふふ、楽しみね。ロイの人たちはとてもおおらかでいい人たちよ」
「アレックス様は保護区の視察によく行かれるんですか?」
「三度目くらいかしら。ラヴォートくんはたぶん正式な視察は初めてよね」
 アレックスがラヴォート殿下を振り返るが、殿下は「ああ」と言っただけだった。雑談をする気分ではなさそうに見える。――というか面倒くさそうだ。本来であればこれはアレックスの仕事でラヴォート殿下の側から見れば「巻き込まれた」という形になるのだろう。巻き込んだのはシェイルというか北の王なのだが。
 しかしこの北の王をともなう視察は異例のことであり、気が抜けない。みな仕事中という顔つきの中、アレックスだけが森に散策にでも行くような雰囲気で歩いている。エリッツもみなに従って真面目な顔をしていようとは思ってはいるのだがアレックスはあれこれと話しかけてくるのでうまくいかない。視線を向けた先のダフィットが何か怖い顔をしている。
「その短剣、素敵。異国っぽい雰囲気もよく似合うわ」
 それを褒められるとエリッツは弱い。風見舞いとしてシェイルからもらった自慢の品だ。
「全体が金とも銀ともいえない色なのは、エリッツくんの髪の色に合わせてあるのかしら。おしゃれね」
 そういわれて、エリッツはベルトに固定してある短剣をあらためて手に取ってみた。たしかに言われてみれば、この色はあえて指定しないとそうはならないという色合いだ。
「気づきませんでした」
「それを持って鏡でも見ないと気づかないかもしれないわね。はたから見たら一目瞭然よ」
 本当にシェイルはエリッツのためだけにこれをあつらえてくれたのだ。またじわじわとよろこびが押し寄せて来て、エリッツは短剣を抱きしめた。
「そういえば、エリッツくんのお兄様たちは軍にいらっしゃるのね」
 アレックスは次から次へと話しかけて来る。ゼインやパーシーもよくしゃべるがアレックスはまた少し違っていた。話すスピードがゆっくりで、さっきからエリッツの話ばかりである。何だか申し訳なくなってくるくらいだ。
「はい。長兄は北の国境の警備を、次兄は市街警備をしています」
「あら、そう。グーデンバルド家は優秀な方が多いのよね。お兄さんのことは好き?」
 家の話を出されると微妙である。父には許してもらったが、家出をしていた身だ。
「エリッツ」
 唐突にシェイルに呼ばれた。
「すみません。ちょっと呼ばれています」
 アレックスはクスリと小さく笑う。
「すずしい顔をして焼き餅焼きよね。本当にラヴォートくんにそっくり」
 何のことかわからずエリッツが首をかしげていると「早く行ってあげて」と、またほほ笑んだ。
 わざわざ呼ばれたので視察にかかわる重要なことかとやや身構えたが、シェイルからは再度日程の確認があっただけだった。拍子抜けしてぼんやりと口をあけていると、ラヴォート殿下が近づいてきて「遊びに行くんじゃないんだ、クソガキ。口をあけるな」と耳元で罵られる。嫌な予感がして視線を向けるとダフィットが冷たい目でこちらをにらんでいた。エリッツだって真面目な顔で視察に向かいたいのだが、アレックスの方からいろいろと話しかけてくるのだから仕方がないではないか。
「アレックス様、あまり関係のない私語はつつしんでください。緊張感がそがれます」
 アレックスもリザに注意されている。このリザという女性がなかなか強そうなのである。細く引き締まった体は軍出身者にも見えた。顔も声も凛々しくて、アレックスとは対照的な人物だ。あわただしくてきちんとした挨拶すらまだしていないが、エリッツなどはこういう人物に叱られがちなので、無意識に身が縮こまってしまう。
「おしゃべりをして緊張をほぐしたかったのよ」
 だがアレックスは悪びれることなくにこにこしている。
「まもなく到着します」
 そんなアレックスを無視して、リザがエリッツたちを振り返る。これくらい強さがないとアレックスに対して意見をいったりできないだろう。
「シェイラリオ様、準備を」
 ダフィットがどこからか取り出した北の王の長衣をシェイルに着せかける。袖のうつくしい刺繍が木漏れ日となって降る朝日にかがやいた。
 ダフィットの手際は見事なもので、シェイルをたちどころに北の王に変えてしまう。――とはいえ、長衣の下はいつものシェイルの制服姿のままだったので、簡易な着替えなのだろう。それでももはや気安く話しかけられるような気がしない。目の前で変わっても気後れしてしまう。エリッツは静かに一歩後ろに下がった。
「エリッツ、殿下を頼みましたよ」
 シェイルは北の王の姿のままいつもの口調でエリッツに指示をする。なんだか落ち着かない。
 いつもラヴォート殿下についているシェイルが北の王として視察にのぞむのであれば、殿下の従者はエリッツの役割か。「ダフィットは?」と視線を向けると相変わらず冷たい目でエリッツをにらみ「下がれ」と言い放った。ダフィットが北の王の一番近くを従者よろしく陣取っている。
 確かに北の王についているのがレジスの人よりもロイの人の方が自然だろう。だがそこはエリッツの定位置である。釈然としない思いでダフィットを見るが、有無を言わさぬ厳しい顔でにらまれてすごすごと引き下がった。これは仕事なので仕方がないが心がささくれる。ラヴォート殿下の方へ行ったら行ったで不満気にエリッツの方を見てくるので完全に居場所がない。
「本当に素敵な刺繍ね。ロイの成人男性は誰でも刺繍ができると聞いたわ。誰かにお願いできないかしら」
 アレックスだけが変わらず上機嫌である。
「アレックス様」
 それもリザに一喝されて、静かになった。

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