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第十三話 山村

 秋はあったかどうかわからないほど短かった。山からはすでに冬の空気をはらんだ風が吹き下ろしてくる。すでに日は天頂から傾いていた。今日の分の仕事は早く終わらせたい。老婆は井戸水を満たした桶を持ち足早に小屋の中に戻ろうとした。腰は曲っているもののまだまだ足腰はしっかりしている。
「すみません」
 そこに旅人らしき人物が声をかけた。風の音にまぎれ気配に気づかなかった老婆はびくりと体を震わせる。
 こんな辺鄙なところにやってくる余所者は税を取り立てる役人くらいのものだが、どうもそのようには見えない。風除けのためか砂ぼこりで汚れた白い外套のフードで顔をすっぽりと覆っている。
「少しお話をうかがえませんか」
 老婆の中で警戒心が首をもたげた。
「あんた、誰だい」
「リンゼイ家の縁の者です。久しぶりに訪れたら家に人がいないので難渋しているのですが、何かあったんでしょうか」
「あんた……リンゼイ様のところの」
「はい。遠縁にあたる者です」
 旅人は胸元から一枚の紙を取り出す。老婆は字が読めなかったが、そこに入っている署名と紋章に見覚えがあった。リンゼイ家のものに間違いない。
 老婆は周りを見渡したがこの季節はどこの家も室内で機織りをしていて忙しい。物悲しいような機織りの音が風の音に交じってあちらこちらから聞こえている。
 文字が読めないことが不安ではあったが、老婆は旅人を家へと招き入れた。
「狭いところですまないけれどここに座っておくれ」
 機織りの仕事の途中で室内は散らかっている。老婆は冬の貯えとして置いてある穀物の入った袋が積んであるところに綿を入れた衣服を敷いて旅人を座らせた。
「お一人なのですか」
 旅人は機織りの機械や道具がめずらしいのか室内を見渡した。
「連れ合いは出稼ぎに出たまま戻らないもんでね」
 老婆は汲んできたばかりの水で湯を沸かしはじめる。
「どうかおかまいなく」
「リンゼイ家のことだったね」
 老婆は旅人に茶の入ったカップを渡すと、自身は機織りの機械の前に腰かけた。狭い室内なのでそれで十分に話ができる。
「はい。何があったんでしょうか」
「本当に何もしらないのかい。もう、十年近く前のことだけれどね」
 老婆はこの村に起こった出来事、ことにリンゼイ家に起こったことについて語りはじめた。村人にとっては村を治める領主が変わっただけのことであった。しかしかつての領主であるダリエスター・リンゼイ氏は村人たちからの信頼があつい人物であったはずが、どうにもよくわからないことに、村を賭けた賭博を行い負けたのだと知らされた。
 村人たちが知る限りリンゼイ氏は生真面目で村人たちに交じって朝から晩まで働くような人物であったそうだ。酒も祭の日以外はほとんどたしなまず、灯りの油を節約するためか仕事が終われば眠り、日が昇る頃に起き出すような家であったという。かといってけちくさいことをいうわけでもなく村人が困窮すれば惜しみなく金を出す。節約もそのための貯えを増やす目的だったのだろう。あの領主に限って賭博などもってのほかだったはずだ。
「一人息子のフェリク坊ちゃんをたいそうかわいがっていてね……」
 老婆は涙ぐみそっと袖で目元をこする。
「リンゼイ家の人々はどこへいったんでしょうか」
 老婆は涙をためたまま口ごもる。
「飽くまで噂だよ、何の根拠もないことだから」
 そう前置きをして、村人たちが見たという出来事を総合するにすでにこの世にはいないのではないかというようなことをかなり遠回しに証言した。
「新しい領主に変わってから何か変化はありましたか」
「いや、わたしらはただ仕事をするだけだよ。納期は厳しく言われるようになったけど、もとよりここの村人はみんな生真面目さ。いつも通り仕事をしてりゃ文句を言われることもない」
「そうですか」
「あ、そういえば、今の領主は蚕のふんまで集めていくよ。あれは畑の肥やしにするんだろうかね。倹約家なことで」
「蚕のふんを?」
 旅人は何かを考えこんでいるようにして黙り込んだ。
 しばらくして立ち上がると礼をいいつつ茶が少し残ったカップを老婆に返す。
「そういえば、あんた、リンゼイ家の遠縁って具体的にどういう関係なんだい」
 老婆は急に不安になり旅人を呼びとめる。そういえばこの旅人は室内でもフードをかぶったまま顔すら見せない。
「フェリク・リンゼイは当時いくつだったんでしょう」
 旅人は老婆の声が聞こえているのかいないのか、つぶやきながら老婆の家を後にした。

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