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第十二話 狗

 むっつりと押し黙ったままシェイルはゼインの分厚い報告書に目を通していた。ほとんどが不必要な描写なので紙をめくる手は異様に早い。
 塩気しかないおやつの時間を終えた二人は再びシェイルの自室に戻っていた。
 マリルは二杯目の紅茶をすすりながらシェイルが無駄に長い報告書を読むのを面白そうに眺めているだけである。
 当人にとってどうだったのかわからないが、はたから見れば結構つらい目に遭ってきたようだった。
 少女を愛好する傾向をもつグーデンバルド家当主ブレイデン・グーデンバルドが手を出したのがオルティス家の少女ローレン・オルティス。当時十二歳。そして生まれたのがエリッツである。政治的にグーデンバルド家よりも立場が弱かったオルティス家は何も言えない。
 エリッツの母親ローレンは産後体調を崩し、それがもとでエリッツが生まれて三年後に他界している。
 グーデンバルド家に遺恨のあるオルティス家は愛娘ローレンの子を手放したくなかった。当初より生まれた子は女の子だったことにして軍部名門のグーデンバルド家の関心をそらそうとしていた。
 残念ながら、それが逆効果であった。
 少女を愛好する傾向をもつブレイデンは母親似の美しい顔立ちに成長しつつある我が子を一目見ると半ば人さらい同然にエリッツをグーデンバルド家へ入れてしまう。
 しかしブレイデンはエリッツが少女の格好をさせられた少年であることを知ると早々に興味を失った。オルティス家に突き返すわけにもいかずそのままグーデンバルド家の男児として教育することになったらしい。
 ところがまた別の趣味を持っていた長男ジェルガス、次男ダグラスは弟と知ってむしろ色めき立った。
 各々少女のような容姿の弟に悪戯をしはじめたのだ。ブレイデンは見て見ぬふりである。
 その後は読むに堪えない。
 兄弟は他の同じような趣味を持つ仲間にエリッツを斡旋することもあったという嫌な話まである。
 だが、そんなエリッツが家出した要因はそのような性的虐待というよりは次兄ダグラス・グーデンバルドの結婚であったと言われている。どういうわけか、自身に悪戯をする次兄に想いを寄せていたと、これはメイドの間で噂になっていた。どうしてそうなるのか。
 昨夜のエリッツのひたすら物欲しそうな目つきを思い出し、シェイルは顔をしかめた。どうやら最悪のタイミングで最悪のミスを犯したようだ。
 ちなみに兄のダグラス・グーデンバルドならレジスの街の一等地に新居を構えている。昨日の祝賀会があったデルゴヴァ卿の邸宅からもそう遠くはない。
 シェイルは無駄に分厚い紙の束を机の上に放りだした。
「これ、三枚くらいで終わる報告ですよね」
「せっかくだから今度ゆっくり読んであげてよ」
 シェイルは冗談にのる気になれず、深くため息をつく。
「さぁて、どうしましょうかねえ」
 マリルは他人事のように変な節回しでそういうと、鞄をあさってこれ見よがしにスキットルを取り出した。金属でできた品はレジスの街にはあまり普及していない。例の揚げ菓子といい、どこで何をしているのか知らないが、最近金属製の品を中心とした貴重なものをよく所持しているようだ。
「グーデンバルド家には早々にエリッツがここにいることが知れる、いや、もう知っているのかも。デルゴヴァ卿の祝賀会には参加してなかったけど、ものすごく目立っているからね。それでもおそらく回収には来ない」
「来ないでしょね」
 シェイルは意味のない相槌を返す。
 マリルの言いたいことはわかる。グーデンバルド家ではおそらく醜聞の塊であるエリッツを隠し通したかったはずである。しかし、外に出てしまった以上、騒げば藪蛇。エリッツ自身が出自を隠しているわけだからこれ幸いとしばらく様子を見たあと、頃合いを見てダグラスに呼び戻させることだろう。
 頃合いというのはつまりエリッツがシェイルやマリル、ことによってはラヴォート殿下に深くかかわり国家機密レベルの情報を手にしているであろう頃合いである。
「もう早いうちにダグラスのところに返却してきますかぁ」
「彼は家に戻りたくないそうですよ」
 昨夜、シェイルはしきりにエリッツに帰るように促したつもりだったが、驚くくらいの拒絶ぶりであった。兄のもとへ行きたいに違いないが、そちらに行くつもりもないらしい。どういう心境の変化かわからないがやっかいである。
 マリルはそのとび色の目でじっとシェイルを見つめる。
「舌の麻痺をどう確認したのか知らないけど」
 明らかにどう確認したのか予想がついている顔をしているがシェイルは素知らぬ顔でそれを受け流した。
「返してくるなら返してきます」
 二人ともエリッツを犬猫のように扱っているが、あえて訂正しない。
 ダグラスの新居にエリッツを返却したらどうなるのだろうか。特に交流のある人物ではなかったがあまりよくないような気がしなくはない。ならばジェルガス・グーデンバルドの邸宅にするか。レジスの街にあることは確かだがダグラス以上に接点がないうえに確か当人は帝国との国境に詰めているはずで手間がかかりそうだ。
 だが、マリルはめずらしく難しい顔をして何かを考えこんでいる。そして難しい顔のままスキットルをあけ飲みかけの紅茶にブランデーをどばどばと注ぎ入れる。
「ローズガーデンが終わるまで返却はしません」と、ようやく口を開く。それから小さな声で「あの血統書付きの変態」とつぶやく。
 血統書付きの変態……。殿下は「仕上がった男娼」といっていたか。各方面からえらい言われようである。
 マリルが何か企んでいることには違いないだろうが、シェイルにとっては関係のないことである。ラヴォート殿下の側近としてローズガーデンの企画書を指示通りに作成し、当日までに各種手配を完了させるだけが本来の仕事である。今までいろいろと首をつっこみすぎたといえる。
 マリルがもたらす情報により企画は二転三転したが、今のところ間に合わないほどの事態にはなっていない。
「言ったでしょう。『駒』になるって。とりあえずダグラスのところに帰りたいと言わせないくらいには手懐けておいてよ」
 シェイルは一応頷いたもののこれ以上何をするつもりもなかった。昨日の様子から帰りたいと言いだすことはないだろう。シェイルとしても息抜きに一緒にボードゲームができればそれで異論はない。
「ところであの子、アルマ・ボードウィンとも接触していたらしいね。極秘情報を聞いて、三歩先で余さず暴露するくらいの男だから何か聞いたかもね。あ、それから、デルゴヴァ卿からの招待状。何か同封されていたんでしょ」
 さすが情報収集を仕事にしているだけある。その場にいなかったはずなのにどんどんネタが出てくる。
「おそらくヒルトリングでしょうね。ラヴォート殿下がデルゴヴァ卿に接触するなといったのもおそらくこの件でしょう」
「やっぱり。エリッツは中身を見たの?」
「いや、開封されてなかったんで見てないはずです。見たところであれは指輪か何かにしか見えませんよ」
 エリッツの上衣にしまいこまれていた封書は結局開封しないまま未処理の書類の山の中に埋もれたままだ。
「確かに。あれが軍部の一部の人間だけが使う『武器』だとは思わないよね」
「『武器』じゃなくて首輪でしょう」
 シェイルはその書類の中から文字がにじんでしまっている封書を取り出し、開封する。銀色に光る指輪のようなものが転がり落ち、テーブルから落ちそうになる直前にマリルがつまみあげた。
「これはまた見事な細工。さすが、オグデリス・デルゴヴァ卿。シェイルがこれを持っているのも剣呑でしょう。もっていくからね」
 マリルは何かを企んでいるときの独特な笑顔でヒルトリングをポケットから取り出した光沢がある紫色の布の上に恭しくのせた。
 シェイルはその布をじっと見つめる。
 触れてみないと断定できないがおそらく素材は絹だろう。またもや庶民はあまり持たない高級品だ。
 金属、絹、そしてこの紫色……。
 おそらくマリルが何やらこそこそとやっている場所はコルトニエス鉱山だろう。デルゴヴァ一族の本拠地である。確かオグデリスの兄にあたるアイザックという人物が治めている土地だ。
 レジスで唯一金属を生産できる場所だが、その産出量は多くない。そのほとんどが武器の生産に回されていると聞く。
 そして絹もコルトニエスで生産されるものに違いない。もともとは鉱山を中心に回っていた土地だったが、アイザックに代替わりしてから絹の生産が始まった。そこに自生していた薄紅色の花と金属の媒染剤を使用して染めた紫色の織物は高貴な方々に人気が高い。
 ローズガーデンで何をするつもりなのかうっすらと輪郭が見えはじめる。やはり狙いはデルゴヴァ一族だ。
 しかし第一王子ルーヴィック様の母親エラリス様のご実家でもある。おいそれとマリルが討てる相手ではない。そもそもローズガーデンで問題が起こらないよう動いているシェイルたちとは真逆の動きだ。それが国王陛下の指示であるならば謀反の確証があったとしか考えられない。いや、万が一そうだとしてもローズガーデンで一波乱起こすよりよい方法がいくらでもあるはずだ。
 シェイルは相変わらず変な笑顔で様子をうかがっているマリルから目をそらす。こちらがコルトニエス鉱山に思い至ったことを察して満足気な様子であった。絹を取り出したものもちろんこちらに察してもらうための行動だったのだろう。
「――そういうことなので」
 マリルはヒルトリングを包んだ紫色の布を雑にポケットにつっこむと席を立つ。
「あ、そうだ」
 まさに今思い出したというようなわざとらしい仕草でマリルは一枚の紙をシェイルに押し付ける。
 無言で目を通し思わず深いため息をついた。
「殿下にもよろしく。しばらくここには来られないからゼインを使ってよね」
 ローズガーデンの招待客の変更、席次の変更、そして陛下からの御下賜品の変更。これが正式な書面であることは経験上分かっているが、決して陛下の署名があるわけではない。つまり責はこちらにある非公式な指示だ。シェイルが間違いを犯せば、それはそのまま殿下の責となるだろう。
 指示通り各種変更をしていくのは物理的にはたやすいが、不自然になる。決まったものを覆すのだからわざとらしくともそれなりの理由をでっちあげ各方面に筋を立てる必要がある。
「昨日今日思いついた『おもてなし』ではないでしょう」
 もっと早くに知らせてもらえれば労力は半分以下で済んだかもしれない。
「昨日今日確定した『おもてなし』でした」
 マリルはぺろりと舌を出す。ちっとも微笑ましくはない。
 (だがこちらもすべての指示にしたがう義理はない)
 シェイルも心の中で舌を出した。

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