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Layer21 レンズ

「そ、それは……」

 苦虫を噛み潰したような表情でサラリーマンは呟いた。
 そして俺達二人の間に沈黙ができた。

「ねぇ、そこに何が映ってるの?」

 沈黙を破いた姫石が俺の持っていたスマホの画面をのぞきこんできた。

「ッ! 嘘、これって……」

 姫石はショックを受けつつ、映像に映っていた女子高生の方を見た。
 そして、俺が今までで一度も見たことがないような剣幕でサラリーマンを睨んだ。
 俺でもこんな顔ができるのか。

「……最低っ!」

 俺でも驚くほどにドスの効いた声で姫石は言った。

「ひッ! 違う! 私はこんなものは知らない! きっと誰かに私のスマホが悪用されているんだ! 私は何もやっていない! 信じてくれ!」

 サラリーマンは情けなくおどおどとした様子で訴えてきた。

「さすがに、その言い訳は無理があるだろ。この盗撮野郎!」

 俺の言葉にようやく事態が飲み込めた三人組の女子高生と立花は小さく肩を震わせた。
 同じ車両に盗撮犯が乗っていたんだ。
 怖がってあたり前だ。
 しかも、その内の一人は被害者になりかけた。
 幸い俺が殴ったおかげで未然に防げたらしく、映像は盗撮する寸前で途切れていた。

「いい加減なことを言うな! 私が撮った証拠はどこにあるんだ! 証拠は!」

 そんなもんお前のスマホに盗撮の映像があること自体が証拠だろと思ったが、俺はあえてそれを言わなかった。
 そんなに証拠が欲しいならもっと教えてやるよ。

「証拠ならそこにありますよ。ほら、足元に」

「足元だ……と……!? な、何もないじゃないか!」

「何言ってるんです? あるじゃないですか。その靴ですよ」

 そう言って、俺はサラリーマンの黒い革靴を顎で指した。

「私の靴がなんだって言うんだ!」

「この状況でまだ白を切るのかよ。その神経だけは尊敬するわ。あるんだろ? その靴の先端に盗撮用の極小サイズの隠しカメラが」

「ッ!?」

 サラリーマンはとうとう何も言い返すことができず、口をパクパクとさせていた。
 これこそまさに、餌に群がる池の鯉だな。

「……んで……かった」

 サラリーマンが何かを呟いた。

「なんだって?」

 さすがに聞き取れなかったので、俺は聞き返した。

「……なんでわかった?」

 ここまできたらそりゃあ認めるよな。
 しかし、謝罪をする前になんでわかったと言ってくるか。
 このサラリーマンは反省なんてしていないだろうな。
 たぶんまた、盗撮をするはずだ。
 証拠になんでわかったのかと聞いてきた。
 次回への参考にするために改善点を要求してきたからな。
 ま、教えてはやるよ。
 けれど、もう二度と盗撮はできないからな。

「カメラのレンズの反射だよ。革靴のテカりにしては不自然がすぎる。シモ・ヘイヘを見習うことだな」

「シモ・ヘイヘだと?」

「知らないのか? ソ連がフィンランドに侵攻して起こった冬戦争で「白い死神」と呼ばれ、恐れられた狙撃兵だ。「白い悪魔」と訳されることも多いらいしが、そっちはシモ・ヘイヘのことよりも機体の名前の方を連想してしまうため、そっちの訳し方はあまり好きじゃないんだけどな」

 少し脱線したな。
 話を戻すか。

「彼はスコープのレンズが光を反射して自分の位置がバレるからという理由でスコープをつけなかったそうだ。それだけ、レンズによる反射は目立つってわけだ」

「なるほど。だが、レンズを外したら何も見えないじゃないか」

「そうだ。レンズを外したら何も見えない」

「それでは、シモ・ヘイヘのことをどう見習え……」

「だから、そもそも盗撮なんかすんなって言ってんだよ!」

 俺はサラリーマンの言葉を遮って、強く怒鳴った。

「っ!」

 俺の圧に押されてサラリーマンは押し黙った。

「次は東上水市、東上水市です。お出口は左側です」

 そう車内でアナウンスがかかった瞬間、サラリーマンが俺に飛びかかってきた。

「ッ!」

「玉宮!」

 姫石の叫び声が聞こえた時にはサラリーマンが俺の持っていたスマホに掴みかかってきていた。
 いつかは力ずくで来ると思ってはいたが、思ったよりはやくきたな。
 これなら俺の体である姫石に渡しといた方が良かったか。
 俺の体ならまともに抵抗できるだろう。
 しかし、体は俺の体だし中身は姫石だ。
 あまり危険な目には合わせられない。

「くッ!」

 俺は出せる力を思い切り出したが、サラリーマンの方が40代後半ぐらいといっても力は姫石の体よりは強い。
 スマホを奪い取ろうとギチギチと力と共に痛みも伝わってくる。
 これが火事場の馬鹿力か。
 いや、犯行現場の糞力だな。
 このままでは、冗談抜きで指に食い込んでくるスマホのフチによって指を折られそうだ。
 これ以上は姫石の体を傷つけさせるわけにはいかない。
 悔しいがここは引き下がるしかない。
 そう思い、抵抗する力を少し緩めたとたんサラリーマンは俺からスマホを奪い取った。

「玉宮! 大丈夫!?」

 奪い取られた反動で俺はひざから体制を崩し床に尻もちをついた。
 そこに姫石がとても心配そうな顔でかけ寄ってきた。
 この状況の中で動ける姫石は本当にすごいと思う。
 立花や他の三人組の女子高生達は怖くて一歩も動けていないというのに。
 別にこれは立花達のことを非難しているわけではない。
 立花達の反応があたり前だということだ。
 それなのに姫石は立花達とは違い動けている。
 これは姫石の強みであり、弱みでもある。

「……大丈夫。悪いスマホ取られちった」

「それも大事だけど、玉宮のことの方が大事でしょ!」

 たしかにそうかもしれないが、スマホを取られたのは非常に不味い。
 このまま持ち逃げされることだってありえる。
 最低でも盗撮のデータは消去したい。
 だが、どうする?
 俺の今の体では太刀打ちできない。
 姫石にはあまり危険なことはさせたくないが、二人がかりで取り返せたとしてもデータを完全に消去するための時間を確保するのは難しい。
 何か手っ取り早くデータを消去する方法はないのか?
 考えろ。
 どうする?
 どうする?
 どうする!

 ふと、前方から風を感じた。
 見るとサラリーマンが立っている後ろの窓が車内の換気のためか手のひら分空いていた。
 これだ!
 よし、後はサラリーマンの隙を突くだけだ。
 そして、その隙は危険因子だったスマホが自分の手元に戻って来たことによる安堵を感じた今しかない。

 俺は踏み込んだ右足に力を入れ、少しうしろに伸ばした左足をバネのように使い体が前に倒れていくようにサラリーマンに向かって突っ込んだ。
 サラリーマンが持っているスマホを目掛けて思い切り左手を伸ばし、うしろにある右手を左手に沿って力いっぱい突き出した。
 右手のひらにスマホが当たる感触が伝わり、俺は出せる限りの力で押し出した。

「しまった!」

 直後、俺はサラリーマンのひどく焦った声が聞こえた。

 見ると、窓から放り出されたスマホが空を舞っていた。

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