バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第一話 「暫く」

 「かあか〜、かあか〜」
 暗い山道の中、幼い男の子が傍に倒れた母親を揺すっている。母親の背中には矢が刺さっており、白い立派な羽織が血に染まっている。背後からは男達の喧騒(けんそう)が響き、辺りには木々を燃やす炎がゆらゆらと揺らめいている。
 「・・・ごめんね。・・・守ってあげられなくて・・・」
 母親は力を振り絞って起き上がり、震える手で我が子を抱きしめる。母親の口からは血が垂れ、意識も朦朧(もうろう)としている。すると、視線の先に一人の男の足が見える。しかし母親の視界は(かす)み、顔を見上げる体力も残っていない。男が大人でなく少年であることも分からず、守るように子の頭に手を添える。
 「・・・あんた、もう助からねぇな」
 少年の声を聞き、頭に添えていた手が自然と降りる。
 「どなたか存じませんが、・・・この子を・・・助けて」
 「・・・」
 少年は黙ったまま、母親に(すが)る子どもをそっと離す。母親は子どもの顔を見て涙を浮かべながら、にこりと微笑む。
 「強く生きてね。・・・かあかは、いつまでもそばに居るからね」
 「・・・かあか?」
 不思議そうに見つめる我が子に微笑みかけたまま、母親が倒れる。
 「かあか! かあか!」
 男の子は倒れた母を強く揺するが、母の目が開くことは無い。山の中では、男達の喧騒が大きくなっており、刀がぶつかり合う甲高(かんだか)い音も聞こえ始めている。
 「ここは危ねぇ。来いガキ」
 少年は、母にしがみつく子を無理やり肩に抱え、足早にその場を去る。母を呼ぶ子の声も、次第に戦火の中へ掻き消されていく。

   *

 明る朝、山中にある古寺の和尚(おしょう)が、縁側ですやすやと眠る幼い男の子を見つける。しかしこの和尚、和尚と呼ぶにはあまりに荒々しく、酒瓢箪(さけひょうたん)を片手に、常に顔を真っ赤にしている。また口元まで垂れる程の長い鼻で、その風貌(ふうぼう)から、「天狗(てんぐ)じじい」の愛称で町人から親しまれている。
 「小僧! 起きねェか! 人の家で勝手に寝よって、どこの誰だてめェは!」
 天狗じじいの大声で、男の子が飛び上がる。顔を上げるとそこには、ただでさえ恐ろしい風貌のじじいが、更にしかめっ面をして立っている。
 「ぎゃあああああ!!!!」
 当然、男の子は大泣きしてしまう。しかし、当然ではないのがその声量である。幼い子どものそれではなく、まるで獣の咆哮(ほうこう)のような声量に、天狗じじいはおろか森の動物達も飛び上がっている。両手で耳を(ふさ)ぐ天狗じじいが、子どもの様子を見て再び驚く。なんと子どもの口からは牙が生え、手足の爪が伸び、体中の筋肉が盛り上がっている。そして顔や体には、赤く異様な模様が浮かび上がっている。
 「この小僧ォ・・・妖怪かァ!?」
 異形な姿になった子どもは完全に自我を失っており、白目を剥いたままじじいに飛びかかる。天狗じじいは両手で止めるも、牙を剥き出しに物凄い力で向かって来るので、じじいは子どもの後ろ首に手刀を入れ気絶させる。
 「わしの首を狙ってやがった。本当に妖怪か、それとも・・・」
 じじいは、気を失い元の姿に戻った子どもを抱え、寺の中へ入る。


 男の子が目を覚まし起き上がると、つぎはぎだらけのボロ布団をかけられており、側では天狗じじいが胡座(あぐら)をかいて居眠りしている。男の子は驚くも、いびきをかいて眠っているじじいを観察する。しばらくすると好奇心から、布団を()()てじじいに近づき、その長い鼻を指でつつく。中々起きる様子がないので、今度は鼻を握りグイッと引っ張る。
 「だあァァ!!」
 天狗じじいが飛び上がる。
 「ん何しやがんだァ! このくそガキィ!」
 じじいに怒鳴られ、男の子は目一杯に涙を浮かべ、今にも大泣きしそうになる。
 「ま、待てェ! 泣くなァ! くそっ、こうなったら・・・」


 「きゃははは」
 男の子がじじいの膝の上で寝転がり、髭や鼻を引っ張って遊んでいる。幼い男の子は楽しそうだが、今度はじじいが泣きそうな顔をしている。
 「子守なんて何十年ぶりだ・・・。だからガキは嫌いなんだよな。いだだだァァァ!」
 されるがままの天狗じじいの悲鳴を聞き、森の動物達が寺の中を覗いている。森の動物達は、普段からこの古寺を出入りしており、ここを寝床にしている動物までいる。この天狗じじい、何故か動物達に好かれるようである。
 「しかし、こうして見ると普通のガキだが、さっきのあの姿。いでで! ・・・恐らくこいつは神通力(じんつうりき)を持ったガキ。よりによって訳ありのガキとは、全く面倒だな。いでででェェ!!」


 遊び疲れて眠ってしまった男の子を、じじいが布団に寝かせる。男の子はすっかり安心したようで、よだれを垂らして眠っている。
 「まだ制御が出来ねェようだが、恐ろしい力だ。わしは最強だから問題ないが、このままでは死人が出るな。ちくしょう、何故わしがこいつの始末を考えねばならんのだ」
 じじいが、男の子の寝顔をじっと眺める。その様子を心配そうに動物達が覗いている。
 「・・・今更放っておけまい。それにこの力、こんなくそったれの戦ではなく、世のため人のために使わねばならん。最強であるこのわしが鍛え上げてやる」
動物達が不思議そうに顔を見合わせる。
 「戦なんざしゃらくせェ! てめェの名は、“しゃらく”だ!」

  *

 十数年後、山の(ふもと)の農村は戦に巻き込まれ、荒れ果てている。
 「お兄ちゃん!」
 甲冑(かっちゅう)を身に(まと)い、刀を持った侍三人が、幼い兄妹を囲んでいる。兄の方は、侍に殴られたようで頬を抑えて倒れている。妹は心配そうに兄に寄り添う。二人は、戦で家も両親も失くした孤児で、着物はボロボロで体も痩せこけてしまっている。
 「くそガキが。侍様の食い物を盗むとは、死にてえらしいな」
 ぎゅるるる。兄妹の腹が鳴る。
 「ギャハハ! 腹の虫がはいって返事してるぜ! ようし、望みを叶えてやろう」
 一人の侍が刀を抜き、兄妹に刃を向ける。
 「誰かたすけてぇぇ!!」
 妹が叫ぶ。侍が刀を振りかぶる。
 「しィばァらァくゥゥァ!!!」
 ドオオオン!!! 一人の男が現れ、侍の脇腹に飛び蹴りを入れる。侍は吹っ飛んでいく。残りの侍二人も驚き、刀を構える。倒れた侍の甲冑の腹部は一撃で砕け、白目を剥いてのびている。
 「だ、誰だてめえは!」
 兄妹達も驚き、男の方を向く。
「あァ! おれはしゃらく! 何があったか知らねェが、このガキどもはおれが助けるぜ!」
「・・・侍様に楯突くとは、いい度胸じゃねぇか! 望み通りてめぇから先に殺してやる!」
 侍二人が男に斬りかかる。すると、男の顔や体に赤い模様が浮かび上がる。更に牙や爪が伸びて筋肉が盛り上がり、異様な姿になる。その姿を見て侍が怯む。
 「て、てめぇは一体!?」
「・・・ガルル。珍しいだろ? これは獣の力を宿す神通力、“牙王(がおう)”。さァ、どっからでもかかって来い!」
 「く、くそおおお!!」
 侍が再び斬りかかる。男はバッと両手を広げて構える。
 「“虎猫鼓(どらねこ)”ォォ!!!」
 男は目にも止まらぬ速さで、凄まじい威力の掌底(しょうてい)を叩き込み、侍達が遠くまで吹っ飛んでいく。侍の力の威厳である刀、甲冑は見事に砕け散り、キラキラと空を舞う。
 「すげぇ・・・」
 幼い兄妹が目を丸くしている。すると男は兄妹に近づき、二人を強く抱きしめる。ぎゅるるる。男の腹が鳴る。
 「わっはっは。腹減ったから飯屋に案内してくれねェか?」
 男は二人の手を取り、歩き出す。戦火に燃えた荒村にひゅるりと優しい風が吹く。

しおり