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【十五】

 少しして、家庭教師の指導が激化した。中等部では定期試験の成績上位者が十五位まで張り出されるからだ。俺の唯一の、習い事の休日である月曜日も無くなった。月から日まで、毎日毎日帰宅してからも勉強三昧だ。

 むしろ、時間を潰すためにサロンに行くのではなく、一時間だけサロンに顔を出して(メンバーとして誇れという母の意向)、その他はみっちり勉強だ。茶道などの習い事は、一応週に一回こなしていたのだが、初の定期試験直前の現在では、月に一度になっている。要するに、テスト前は完全にお休みだ。

 俺は、どうせ中一の勉強だろうと、なめきっていた。しかし授業は進む、本当に進んでいく。中一の(俺の感覚で言う)一学期の中盤には、全ての教科で中学校一年生が習うものは終了してしまった。

 そして俺は母にプレッシャーをかけられ続けている。「高屋敷家の長男として恥ずべき事がないよう、必ず十五位以内にはいるのですよ」と。無茶ぶりである。なにせ、初等部の六年生時にも、確かに中学一年生レベルのことはしていなかったと言えば嘘だ。しかし外部入学した生徒は、余裕でそれを超えて勉強ができる生徒たちなのだ。

 率直に言ってしまえば、中学校三年間程度の学習内容をすでに終えている可能性も高い。俺も英語と数学だけは、小さい頃からたたき込まれているのだが……たたき込まれているからと言って得意というわけではない。英語はまだ良い。しかし数学と、後は国語も駄目だ。俺は図書委員会に入る程度には今世では読書が好きなのに、何故だ! 読書と国語は違うんだな……前世では知らなかったよ。

 暗記科目である理科や歴史は何とかなっている。時間があれば、何度もやれば暗記はできる。だが理科も化学式が入ってくると厳しい。

 あああ、憂鬱だ……。そして俺は寝る間も惜しんで勉強をした。家庭教師の先生に習うほかに、自分でも予習復習勉強だ。もちろん学校では、そんな必死な姿は誰にも見せず、俺は微笑を通し続ける。

 誰も俺の努力に気づかないでほしい。必死すぎて恥ずかしいのだ。
 そんなこんなで俺は定期試験に臨んだ。

 ――結果は、十四位だった。

 心底良かったと思って、泣きそうになった。だが、泣いて喜ぶ姿など誰にも見せたくなかったので、結果など見ていませんというふりを貫き通した。本当は真っ先に張り出された紙を見に行ったのだが、トイレに行く風を装ったのだ。一瞬素早く視線を走らせ確認したのである。本当に良かった……! 焦った。前世知識、そろそろ役立たなくなり始めた……! 思えば前世で俺はそんなに頭は良くなかった(むしろ悪かった)。勉強は全然できなかった。これまでの初等部での万能感で忘れていた!

 ちなみに、一位は三葉君と西園寺――二人とも満点だった。点数まで張り出されるわけではなく、昼休みに俺にお祝いの言葉を告げにわざわざ来てくれた葉月くんが教えてくれたのだ。何故知っているのだ……。こちらからは聞いていないんだけどな。興味がないというのは嘘である。もっとも興味がないふりをしたんだけれども。だ
が、満点って……。なお、三位が存沼で、一問一点の問題を二つミスしたそうだ。二つだけミスって……。四位は和泉だった。お前は勉強もできるのか……まぁ、三葉くんも運動神経『も』良いしな。和泉は、一問五点の問題を一つだけミスしたらしい。他は、俺までの間と、俺の一つ後ろは、全員外部生だった。


 ちなみに夏休みは、存沼と二人でマチュピチュに行った。
 中等部になっても、この二人旅に変化はない。行き先にも、確かに場所は違うが、ある意味変化がない。何故遺跡を巡るのだ。本気で探検家か冒険家にでもなる気なのか?

 だが変化もあった。変化はと言えば、砂川院家の別荘に、始めていかない夏だった。単純に誘われなかったからだ。ちょっと、いやかなり寂しい……。勿論葉月君と侑君と、今回から参加しているという高崎君との旅行にも誘われなかった。高崎君に抜かれた気分だ。
彼らは今年は、オーストラリアに行ったらしい。ついに国内脱出だ。

 代わりに家族旅行では、箱根に行った。国内旅行は初めてだった。
 なんでも父が、海外は行き過ぎて飽きたから、『噂されるところの温泉というものに入ってみたい』と言い出したのだ。今まで温泉に行ったことがなかったのか……。母も「たまには国内も良いでしょう」と乗り気だったのだ。確かに全身の疲れがとれたので俺も嬉しかったが(中一で疲れるって……)、弟は退屈そうだった。だから夜に花火を一緒にして(旅館に専用敷地があったのだ)、前世知識を発揮しネズミ花火を披露し(両親には内緒だ)、たいそう喜ばれた。弟、本当に可愛いよ。


 さて文化祭では――……また女装させられた。もう嫌だ。何で中一から中三までいるのに、俺と存沼なんだよ、メインが。今回のお題目は、東北弁シンデレラだった。初等部と違い、一気に大変化を遂げた。何事だ。どこへ向かおうとしているんだ、中等部は!

 そしてまた存沼の鬼の指導が始まった。やはり一字一句だめ出しされるのである。俺は慣れたものだったが、先輩達がその気迫に圧倒されていた。今回も、音響から何から何まで、存沼はこだわった。

 演劇部もあるのに、そんなものはお構いなしだった。むしろ演劇部に所属する生徒達は、感動した表情で存沼を見ている。勧誘すらしそうだったが、さすがに存沼には言い出せないようだった。すごいな。

 そして存沼よ。何故お前はそんなに東北弁のイントネーションを熟知しているのだ。方言を使うだけでは駄目なのだ。発音まで覚えさせられたのだ。英語よりも難しい。「さすけね」ってどういう意味だよ。そんなことを思って、「これはどういう意味なのかな?」と聞いたら、「差し支えない、転じて、大丈夫だという意味だ」と返ってきた。知らないよ!

 本番では、三葉くんが珍しく見に来た。
 吹き出して笑っていた。正常な反応だが、地味にイラっとした。さすがに俺の笑顔も引きつった。大変不本意だが、俺はシンデレラ役で、存沼が王子様役だったのだ。逆では駄目な理由が今回はあった。俺はまだ二次性徴が本格化していないのだ。背が低いのだ。前世でも中三の終わりから高一にかけて成長したので、今回もそうなのかもしれない。外見は似ても似つかないけどな。高屋敷誉の方が、勿論良い。そして存沼は、二次性徴を迎えていたのだ。しかもまだ身長が伸びるのは止まっていない。西園寺に勝るとも劣らないくらい背が高くなりそうだ。

 そんなこんなで、文化祭の劇は大盛況に終わった。もはや俺の両親は何も言わなかった。

 それから暫くしたある日のことだった。
 教室にいた俺の元に、侑君が走ってきたのだ。

「大変だ、誉様!」
「どうかしたの?」
「和泉様と、西園寺様が、その、喧嘩――……口論を! すぐに来てくれ!」

 何があったのだろう。よりにもよって和泉が? それが最初の感想だった。その上、西園寺にも『様』と付いているのが不可思議に思えた。家名はバレていないはずだ。そういう生徒はアンノーンと呼ばれ、敬称など付けられないはずだ(少なくともそういう設定だった)。それにまだ、和泉は生徒会長になっていない。何故喧嘩をしているのだろう。本当は喧嘩だと侑君は言おうとしていた。

 そもそもそれで、それに……何で俺の所に来たんだよ!

 面倒ごとには極力関わりたくなかったが、確かに少し気になった。
 ”五星”の仲が悪くなるのはあんまりよろしくないしな。そんなわけで、俺は素直に、侑君についていった。

「いい加減にしろよ! 二度とやめろ!」

 そこでは大変珍しいことに、和泉が怒鳴っていた。和泉が怒鳴るのなど、初めて見た。無表情ですらなく、眉間にしわを寄せ怒鳴っている姿は、もう本当、大吹雪状態だ。激しいのに大変背筋がゾクリとする。西園寺は一体何をしたんだ? あの和泉をこんなに怒らせるだなんて……。

「断る」

 しかしきっぱりと西園寺が言う。何を断ったんだろう。これからも風紀委員として注意すると言うことか? 西園寺が和泉に何か注意をしたのか? それ以外特に考えられないぞ?

「二度と近づくな!」
「少なくとも二度とお前の顔は見たくないな」
「だったら――」

 和泉が何か言いかけた時、西園寺の目が鋭くなり、俺の家庭教師のレイズ先生によく似たまなざしになった。鷹のような眼だ。しかし口元も笑っていないし、これは冷酷に狩りをする目に見えた。大吹雪と鷹の戦いが勃発しかかっている。いやもう幕を開けているのか?

 なんだかいやな予感におそわれ、さっさとこの二人の喧嘩をやめさせなければ、日本が滅亡する気がして、俺は思わず声を上げた。

「二人とも」

 今回は、菩薩とモナリザと、聖母マリア様を召還した。慈愛に満ちた表情をいつもよりも心がけた。菩薩よ、ダ・ヴィンチよ! 俺の表情筋に力を与えたまえ!

「ここは廊下だから、もう少し静かにお話ししたらどうかな? それぞれ言いたいことがあるのは分かったよ。だけどね僕は、ここでお話をするのは、得策だとは思わないな」

 すると二人が僕を一瞥した後沈黙し、それから再び睨み合った。まだ俺の言葉は足りないらしい。どうしよう。何を言えば良いんだよ。

 咄嗟に間に入ったが、何もうまい言葉など浮かばない。仕方がないので、俺は、召還し舞い降りてきた微笑の他に、思いっきり唇で弧を描いた。頼む、深読みしてくれ。俺は何も知らないけどな。何で喧嘩をしているのかすら知らないけどな。兎に角、もう、やめてくれ。俺の心臓が止まる。日本が崩壊するよりも、そちらの方がよっぽど怖い。間になど入らなければ良かった。

「高屋敷……」
「誉……ああ、そうだな」

 しかし二人が、その時言った。西園寺は僕を高屋敷と呼ぶのだと発見した。下の名前ではないが、『様』は付いていない。

 一方の和泉は、ため息をつきながら、俺を見て小さく頷いた。一瞬だが捨てられた子猫のように見えた。拾ってあげたい。

「――見回りに戻る」
「俺は帰るわ。約束があるから」

 こうして無事に何とか、二人の喧嘩を仲裁することに成功した。
 ――それにしても、何故喧嘩をしていたんだろう。後で和泉に聞いてみよう。もはやルイズではない西園寺に聞いたら不自然だしな。

 その上、これでは俺が仲裁キャラみたいになってしまうではないか。
 そんなのお断りだ!

 それから、俺は和泉と話す機会を探した。しかし、なかなか見つからない。理由は、最近和泉が苛立ちを募らせているのが目に見えたからだ。まだ喧嘩を引きずっているのだろうか? 最初はそう思ったが、和泉はそういうタイプではないと思う。その上、日増しに悪くなっていくのだが、その後特に西園寺と何かがあったという話は聞かない。

 恋愛面――カノジョとでも、何かあったのだろうか?

 その内に、たまたま和泉と玄関で二人きりになった。これはチャンスだと思った。他に機会はないだろう。

「和泉」
「ああ、誉か」
「最近会わなかったから、元気にしているかなと思って」

 毎日どこにいるか探していたから、体調は良さそうだと知っているのだがな。

「まぁな」

 わずかに和泉の表情が和らいだのを見て、俺は世間話を続ける。

「三葉くんも見ないけど、元気?」

 何せ学校に来ていないのだから、知りようがない。

「……さぁな」
「え?」
「今三葉は一人暮らししてるから」

 言いながら、一気に和泉の表情が不愉快そうになった。
 そういえば俺……初等部の修学旅行の時に、そんな提案をしたな。
 してしまったな。実行したのか、三葉君……。これは、俺のせいなのだろうか? それにしても、だからといって何故和泉は、こんなに不機嫌なのだろう。兄貴とも言わないのだから本音で、本気で怒り心頭の様子だ。三葉君がいないから苛立っているのだとすると、これは同時に和泉もまた一人暮らし(お手伝いさんや護衛の人はいるだろうが)になったから、寂しいと言うことなのか?

 和泉は、ブラコンなのか? ブラコンと言うほどの設定はなかったぞ。本当に、無かった。仲の良い兄弟に、いくつかのエンディングでなるだけだ――……だとすると、設定通り、仲があまりよろしくなくなってきたのだろうか。考えたくもない。家督争いが始まったらどうすればいいのだろう。そこには俺は口出しできないぞ。

 だがその後は、雑談に転じ、結局詳しく聞けないまま、俺は和泉と分かれた。

 その後、体育祭があった。

 今年からは、学年別じゃなくて縦割り型のリレーで、各組から学年関係なく足の速い生徒が選出される。中等部では五組あるから、縦割りで五つのチームができている。だがそれよりも、目新しい変化があった。

 珍しく三葉くんが来た。いや、珍しくもないのか。中等部に入ってからの行事には全てきていることが驚きだ。だがそれが目新しいわけではなくて、その隣から、和泉が離れなかった事にびっくりしたのだ。良かった、仲は悪くなっていないらしい。しかし、仲が良いのかも少し不明だった。なにやら、三葉くんの隣で、周囲をにらみ倒しているのだ。

 二人は同じクラスなのだが、先輩達や同級生達も、二人の周囲に近づけないでいる。何事なのだろう。やっと和泉が離れたのは、和泉のカノジョの真由梨ちゃんが来た時だった。二人で話しているのを遠目に見たら、それまでとは全く違って、和泉は穏やかに笑っていた。うん、真由梨ちゃんと何かあったわけではなさそうだ。

 そんなことを考えながら、俺は別のチームだが、これは三葉くんに聞くしかないと思い、歩み寄った。周囲の視線で針のむしろ状態の気分を味わったが、兄弟仲が険悪になられるよりは良い。

「久しぶり、三葉君」

 実際そうだった。夏休みに別荘に行かなければ、ほとんどと言っていいほど会う機会はないのだ。現在では、行事のみといえる。

「久しぶり」
「最近どう?」

 どう、って、何だと自分でも思うが、他にどんな風に聞けばいいのか分からなかった。

「充実してるよ」

 三葉くんの瞳が輝きを増した。頬が紅潮していく。まずい、本当に一人暮らしで株に集中しているのだろう。なんて事だ。お手伝いさん達よ、止めろ!

「何をしているんだ。次はリレーだぞ」

 そこへ、西園寺の声が響いた。振り返ると、体育祭実行委員の腕章をつけた西園寺が溜息をついていた。俺はリレーの選手ではない。おお……三葉君、リレーに出るのか……また練習なしで……。

 風紀委員会からは、行事の度に見回りのため、実行委員に人が呼ばれるから、それで西園寺がこちらに来たのだろう。他の誰も、おそらくこの針のむしろ状態には、足を踏み入れたくなかったんだろうな。

 ちなみに優勝したのは、存沼と西園寺のクラスの組で、MVPは在沼だった。
 ニヤリと笑いながら自慢げにトロフィーを受け取った存沼を、呆れたような顔で西園寺が眺めているのに俺は気づいたのだった。


 なおその次のイベントは、校外学習で、北海道だった。遠足の呼び名が校外学習に変化したのだ。運動会が体育祭と変わったように。北海道……確かに前に行きたいとは思った場所だが(葉月君と侑君とな!)、飛行機を使って遠足、か。


 このようにして俺の日々は流れていった。




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