340章 満足に食事できない元従業員
ミサキはパン屋に足を運んだ。
「いらっしゃいませ・・・・・・」
ホノカは妊娠のために退職。現在は18歳くらいの女性が、店員として働いている。
「ミサキさん、何にいたしましょうか?」
トングをなめるという事件があってから、注文方式に変更された。わずか一人の悪事によって、パンを選ぶ楽しみを奪われてしまった。いろいろな匂いを嗅げるのも、パン屋の醍醐味である。
「チョコパン15個、クリームパン20個、サンドイッチ20個、カツサンド20個、メロンパンを10個ずつください」
ミサキは1日あたり、20000キロカロリーを摂取。85個のパンは、1日もしくは2日で胃袋に収まる。
「かしこまりました。すぐにお持ちいたします」
女性店員は、20分ほどでパンの準備を終える。
「500ペソです」
注文方式になってから、値段は15パーセントほど上昇。お手ごろな値段であるにもかかわらず、割高感はあった。
ミサキはお金を支払ったあと、パン屋をあとにする。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
ミサキはパン屋をあとにしたあと、会いたくない人物と顔合わせ。完全な偶然とはいえ、自分の運命を呪った。
「ミサキちゃん・・・・・・」
アオイはさらに頬がほっそりとしていた。ミサキの家で食事をしてから、何も口にしていない可能性も十分にあり得る。
ツカサも同じようなものだった。何も食べられず、飢餓で苦しんでいる。
服を洗濯していないのか、強い異臭を放っていた。食べ物店においては、退出を命じられるレベル。
二人を見ていると、刑務所に入ったほうがいいと感じられた。いい生活はできなくとも、現状よりは改善すると思われる。閉じ込められるのはつらくとも、ライフラインとしての役割を果たす。
ミサキはクリームパンを一つずつ、アオイ、ツカサに渡す。彼女たちを憎んでいるのに、どうしてこうしているのか。
「アオイちゃん、ツカサちゃん。食べていいよ」
人を甘やかせると、要求はエスカレート。お願いごとをされる前に、縁を切っておいたほうがのちのちのためになることも多い。
アオイ、ツカサはむしゃむしゃとパンを食べる。おなかのすいた犬が、ドックフードをがむしゃらに食べているかのようだった。
ミサキのおなかはギュルルとなる。他人のことを考えている余裕は、失われつつあった。
「ミサキちゃん、お水、お水・・・・・・」
満足に食べられないだけでなく、水にすらありつけない二人。ホノカの言葉が脳裏をかすめたのか、ちょっとばかりの同情をする。
「水を自販機で買ってくるよ」
10メートル先の自販機で、500ミリリットルの水を5本購入。そのあと、痩せこけている二人に、水をプレゼントする。
「アオイちゃん、ツカサちゃん、水だよ」
アオイ、ツカサは水を一気飲み。今後に備えるという発想は、一ミリも頭にないようだ。今さえよければいいという生き方を貫くのは、従業員時代からまったく変わっていなかった。
「ミサキちゃん、ありがとう」
二人の元から立ち去ろうとすると、マイと顔を合わせる。
「マイちゃん、どうしたの?」
「パンを購入しようと思って・・・・・・」
ミサキは袋から、クリームパンを取り出す。いつもお世話になっているので、恩返しをしたかった。
「マイちゃん、これを食べていいよ」
「ミサキちゃん、ありがとう」
マイはパンを受け取ると、アオイ、ツカサにプレゼントする。
「アオイちゃん、ツカサちゃん、おなかを満たそう」
マイに食べてほしかっただけに、落ち込みを隠せなかった。この展開になるのなら、渡さないほうがよかった。
アオイ、ツカサはパンをすぐに完食。げっそりとしていた青い頬は、わずかばかりの元気を取り戻すこととなった。
「マイちゃん、ありがとう」
一時的に栄養補給しても、時間の経過による空腹は避けられない。餓死させたほうが、彼女たちの総合的な苦しみは小さくなる。米だけの生活を送ったことで、そのような発想をするようになった。現実世界の過酷体験は、思考回路を変化させてしまった。
ミサキの空腹はさらに加速する。このままではやばいと思い、10個のパンを一気食いする。毎日のように食べ続けていても、アオイ、ツカサよりも、ずっとずっと空腹で苦しんでいる。腹ペコ少女は、食べるという呪縛から逃れることは許されない。
妖精にお願いして、2000キロカロリーにするつもりは毛頭もない。これからも、20000キロカロリーを続けていく。
「アオイちゃん、ツカサちゃん。中でパンを買ってくる。ちょっとだけ待っていてね」
「マイちゃん、ありがとう」
マイはパン屋に入る前に、二人と視線を合わせる。
「他人に頼るだけの生活はダメだよ。どんなに苦しくても、自分で生きるのを忘れないように」
仏の顔も三度まで。マイの表情は、それを物語っているように感じられた。
先ほどまでの晴天は、曇り空に変化した。