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緑の瞳

 執務室の扉を叩く音がした。
 きっとケネスだと思ったエルネストは、顔を上げずに答えた。

「ケネス、悪いがしばらくは・・」
「ケネスさんでなくてすみません」

 聞こえてきた声にエルネストはハッと顔を上げた。
 そこにアリッサの姿を認め、複雑な表情を浮かべる。

「アリッサ・・」

 エルネストはお茶を飲みかけて、それが空だと気づいて元に戻した。
 
「い、忙しいから、話は手短に頼む」

 バツが悪そうに咳払いして掴んだ書類も、上下が逆さまで、慌ててひっくり返している。
 落ち着かないのが丸わかりだ。

「彼はもう帰りました。お暇のご挨拶をしなかったことは、ご理解くださいとのことです」

 クスッと笑ってそう告げる。

「そうか」
「なぜ、彼を呼んだのですか?」
「彼は、騎士団を辞めるそうだ。本格的にルクウェル伯爵家を継ぐらしい。これが最後の任務になる」
「なぜ彼を?」

 質問の答えになっていなかったので、再度尋ねた。

「はっきりさせたかったんだ。君が、もうルクウェルに何の感情も持っていないか。私の方が、彼より優勢かどうか」

 そう言いながらも、彼は不安そうに見える。結果を知りたいのに怖い。合格発表を見に来た受験生のようだ。

「もし私がそれで、あなたを選ばなかったら? もしくはそれでもまだ決心がつかなかったら?」
「その時は、私とも縁がなかったということだ」
「それで、いいんですか?」

 努めて平静を装っているが、彼の目が不自然に泳いでいる。

「まあ後は君が義理を感じて、少しでも私に気持ちを寄せてくれればと、期待もしていた」

 諦めて彼は本音を吐いた。

「それで、彼とは話は出来たのか?」
「はい。婚約してからの年月で交わした言葉より、一番会話をしました」

 それを聞いてエルネストは驚いていた。

「それくらい、私たちは言葉を交わしていなかったんです」
「お互いに、納得は出来たのか?」
「少なくとも私は・・出来たと思っています」

 それからアリッサはエルネストの側に近づき、改めて深々と頭を下げた。

「ありがとうございました。お陰で、少しすっきりしました。モヤモヤしたいたものが晴れた感じです」

 有紗の人生はもうどうすることもできないが、ブリジッタの人生はこれで少し救われた思いだった。

「ヴェスタ家とは、もういいのか?」

 ヴェスタ家のことについて、ジルフリードに少し話を聞いた。
 リリアンはジルフリードとの婚約を望んだが、ジルフリードはそれを望まなかった。
 彼らの祖父の約束は、実は結ばなかったが、ジルフリードとブリジッタの婚約で取り敢えずは果たされた。
 彼はそう言っていた。

「ブリジッタは、自分に自信がなくて、ただ周りに流されるばかりで、そんなブリジッタが嫌いでした。だから、幸せになれるわけがなかったんです。自分を好きになれないのに、誰かに好きになってもらえるはずがありませんよね」
「アリッサは、自分のことが好きなのか?」
「そうですね。自分の生き方を自分で何とかしようと頑張っている分、ブリジッタよりは今の自分が好きです」
「私は、ブリジッタもアリッサも好きだ」

 自分が嫌いな部分を「好きだ」と言ってくれる人がいる。
 それだけで、頑なな心が解けていく。

「ありがとう…ございます」
「私には全くの別人として生きるということは、良くわからないが、兄が継いで、その子が継ぐと思っていた家を継ぐことになり、それまでと全く違う立場になった戸惑いはわかる。その中で、どう足掻いて生きていくか。別人なのだから、兄と同じというわけにはいかない」

 それまでの生活が一変し、生き方を変えざるを得なくなった。彼もまた、そうせざるを得ない立場になった。

「家を継ぐことも騎士団を辞めることも、ドロシーの親代わりになることも、まったく想像すらしていなかった。でも、これが今の自分がすべきことなら、真正面から向き合い、精一杯のことをする。そう思っていた矢先に、君を見つけた」

 エルネストは立ち上がり、アリッサの目の前に立つ。そして彼女の手を取りぎゅっと握りしめた。

「新しい生き方を見つけて生きようとしている君に、また違う生き方を強いるかも知れない。それでも、これからの自分の人生には、君に側にいてほしい。ブリジッタ…いや、アリッサ、君の未来に私が共にいることはできるか」
「はい」

 少しの迷いもなく、そう答えられる。
 
「でもまだエルネスト様へのこの気持ちが、あなたと同じかどうかはわかりません」
「それでも、私の側に居ることを選んでくれるのだな」
「エルネスト様の生き方が好きです。尊敬できる方です。そして、そんなあなたの側で、これからの人生を生きていきたいと思います。でも、マージョリー様たちのことやドロシーのことも同じだけ大切なんです」
「わかっている。でも、異性としては、私が一番だと、自負してもいいのだろう?」

 彼の手がアリッサの顎にかかる。
 同じ緑でも、それを持つ人によって色味がまったく違う。
 宝石のように光るジルフリードの瞳。
 自然の緑のようなエルネストの瞳。

 アリッサは吸い込まれそうにその瞳を見つめた。

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